あははと鎧が笑った。

 

 

 

 

広い執務室には整然とならぶデスクと乱雑に置かれた書類の束。

至る所に付箋が貼り付けてある書物や蝋で頑丈に閉じられたままの封書。

 

軍服を身に纏った大人たちがせかせかとその部屋の中を動いている時に、

それはもう図体がでかく、無骨に光る金属製の鎧は、あははと声を出して笑っていた。

 

 

その声の何と容姿に似合わないこと。

 

 

見ればどこぞの兵隊か屈強な男性が内部に存在するのだろうと疑わないだろうそれは、

ひどく可愛らしい声で笑う。

そのことを、おかしいと感じる事のできなくなった部屋の大人たちは、

珍しい事だと判別して、小首を傾げた。

 

 

 

その鎧の内部に、屈強な男性は居らず、

ましてや、弱弱しい人物さえも居なかった。

子どもでもなく、その鎧には、人と呼べる肉体を持つモノは誰一人として存在していない。

(これを鎧の唯一の肉親といえる存在が聞けば、烈火のごとく怒ることは明らかであるが)

鎧が発しているのは、確かに人の声。

暖かな肉体と、震える声帯を持ち得る人の声。

 

 

けれど、鎧の中はからっぽ。

 

 

「どうしたんですかアルフォンス君?」

 

いつも静かに恐縮してソファーに座っている、とても人の良い鎧(アルフォンス)が、

声を出して笑ったことは、記憶に無かった。

もちろん、笑ったことがないという意味ではなく、この部屋にいて、

目の前で忙しそうに働いている者がいるなかで、声を出して笑うことが珍しいのだ。

 

不思議そうに聞いたのは、フュリー軍曹で、

彼もまた、鎧の少年と同じように心根の優しい男であった。

 

フュリーが発した声によって、確かにアルフォンスの声が届いていた執務室の軍人たちは、

同じようにアルフォンスに顔を向けた。

この部屋内にいる軍人は、只今三名。

 

アルフォンスに声を掛けたフュリーと、咥え煙草のハボック、クッキーを齧ったブレダの三名。

 

 

そんなすでに顔見知りとなった軍人の顔がすべてこちらに向いていることを、

アルフォンスは見回して、もう一度笑った。

今度は、「すみません」との言葉付きで。

 

 

いつもお調子者のハボックは、煮詰まっていた書類処理よりも、

アルフォンスの笑い声が大変気になっていて、

「何がそんなに可笑しいんだ?」と半分近く残っていた煙草を灰皿でもみ消して、尋ねた。

 

 

 

「だってこれは、本当にお伽噺だ」

 

 

 

無骨な鎧が差し出したのは、一冊の小さな本。

それは本当に小さなモノで、アルフォンスの手でよくそのページを繰ることができるなと関心するような

代物であった。

 

もはやお伽噺などに興味をなくして久しい大人たちではあったが、

アルフォンスが差し出した小さな本に興味は沸いて、その身を乗り出すようにして、本を受け取った。

 

 

 

本の題名は、とてもよく知っているモノで、

それを見た3人は、そろってギクリと嫌な感じを受けた。

 

 

 

 

 

 

 

【聖書】

 

 

 

 

 

 

神の言葉とも言われるそれ。

ある者はそれに真実があるといい、ある者はそれが愛だというそれ。

それをこの鎧たる少年は「お伽噺」と言った。

 

 

そして、ソファーで「あはは」と可愛らしい声をだして笑ったのだ。

 

 

 

 

「おま・・・」

手にした小さな聖書を持って、ハボックは声を出せなかった。

口元にない煙草を苦々しく思いながら、どう声を発したものかと頭は真っ白だ。

 

 

 

この少年である鎧は、「神などいない」と子どもの純真さで突っぱねているわけでなく、

それ以上に覚めたていで、この聖書を手にしている。

そこには、救いだとかいう曖昧なものは無く、それを「お伽噺」と片付けながら。

 

 

 

「だって、罪ある人は幸いだと、ここには書いてあるんですよ?

 それがお伽噺でなかったら、何なんでしょう。

 その罪のために、僕はこんな身体になって、兄さんはもう壊れてしいそうなほど。

 それを幸いだと言われて、僕はどうすればいいんでしょう。」

 

 

 

何も言葉を返す事ができない。

 

 

 

「これを書いた人は、どんな地獄をみたというのでしょうか。

 母親が崩れる瞬間を?それとも生きながら身体を失ったとでも?

 ・・・・痛みも何も感じないままで、無機質なものに貼り付けられて、

 それでも、笑って存在しているとでも?

 そして、壊れていく、大切な人をどうにか止めようとしているとでも?」

 

 

 

フュリーは唇を噛んでいた。

何も返してやれない無力さが悔しい。

それでも、決して目をそらす事無く、浪々と話すアルフォンスを見つめる。

 

 

「神は越えられない試練を与えないといった。

 でも、僕はこんな試練いらなかった。強さなんていらない、ただ生きていたいだけなんです。

 神が与えた、試練が罪で、その罪ある人が幸い?

 神が受け入れ、愛してくれているから?

 ・・・・・・こんな試練、僕はいらなかった。」

 

 

 

 

 

もしも、ここに少年の肉親たる人がいたならば、

アルフォンスは決してこんな事は言わなかっただろう。

 

もしも、これが彼の出す救難信号だとして、無力な自分たちは何をしてやれるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きていたいといったアルフォンスが、

どうか生きることに絶望しないで欲しいと。

引き金すら握った、人の命を奪う自分たちがそう思う。

 

 

それは、どんなに滑稽であることだろう。

 

 

 

 

 

 

鋼の錬金術師 書架