ベタベタと体を覆う感じが気持ち悪い。
これは罪の証?これは生きている証明?
「おっどうした大将?」
通り過ぎようとした司令部の薄暗い廊下に、
一際明るい金色を見つける。
先ほど、仮眠室に行くように進めた小さな子どもは、
きょろきょろと辺りを窺うようにしてそこにいた。
有事でもなく、何かの予告があるわけでもなく、
都市が賑わう行事もない。
司令部の中は静かなものだ。
そんな時に、軍部に似つかわしく無い子どもがいても、
また、そんな時では無いとしても、この子どもはここに居る事を許可されている。
どこから乗り継いでここまで来たのか分からないけれど、
疲労だけを浮かべた顔に、司令部一同顔をしかめた。
軍人ではないのだから、そんな夜昼関わりの無い生活を送っている事に、
小さく胸を痛める。
だからだろう、いつもは厳しいあの副官殿は、
優しく接して仮眠室に行くように進めたのだ。
自分の直属の上司たるあの男の勧めには素直に頷かないだろう少女も、
彼女の勧めには小さな首の動きではあったが素直に答える。
そうして、執務室を出て行ったはずの少女は、
仮眠室ではなく、廊下にいた。
気付かれた事にビクリと体を揺らしていたが、
俺と分かったからか、「なんだ少尉か・・・」と一応安心した様子を見せた。
「うん?何かあったか?」
「あっ・・・と・・・いや」
彼女にしてはハッキリしない物言いで、
それでもチラリとその視線を動かして口ごもる。
視線の先を見れば、見慣れた文字。
『シャワー室』
あぁ、と思い至る。
男だと偽っていようと、可愛らしい少女。
その事を知っている者は数少なく。
性別を偽らざるを得ない生活をしているものだから。
それでも時折見せるその年相応な仕草は、
胸の奥をチクリと指しながら、けれども安心するような
酷く曖昧な感情を呼び起こさせる。
「あぁ、俺が見張っててやるから入んな・・・な」
「ふぇ?・・・・いいの?」
「おうっ。まぁこれでも一応、少尉だし。どうにかなんだろ」
それでも迷った様子で、「あ〜」だの「う〜」だの言っていたが、
上目使いに金色の双眸で視線を寄こした後で、
「では・・・お願いします」と頭を下げた。
まさかあの勝気な少女に頭を下げられるなんて予想はしていなかったものだから、
けっこう驚いてはみたのだけれど、
咥えていたタバコを落とさないで済んだのは幸運としか言い様が無い。
テトテトと歩いてシャワー室に消えていく少女を見つめて、
これくらいならどうにかしてやる大人がいても、
きっと世界は変らない。
なんて、壮大なんだか、なんだか分からないような事を考えてみたりする。
そんなやり取りを、思い出したくもないけれど、
こんな時に思い出してしまって、あぁ、眠れないんだろうなと思う。
あの光るような金色の髪も泥で汚れてしまっているし、
顔を拭う清潔なタオルも、いつまであったのか思い出せない。
紅いコートと黒の上下ではなくて、
見慣れた蒼い軍服を着なくてはならなくなった少女は、
それでも男性の振りをしなくてはならなかった。
そうして、こんな場所にいる。
編まれていた細い金糸は、後ろで一つに束ねられて、
時折、馬のしっぽのように揺れるのを目で追う。
飲み水の確保も難しい程に戦況は悪化して、
消毒液の代わりにすら水が使えないような状況で、
どう考えたって体を清めるための水なんて存在していない。
それでも、拭いてやりたいと思う。
自己満足だと言われれば、
はいそうですよ。と言えるくらいにそうだと思うけれど。
あの白い肌に付着したままの誰の血かも分からない赤や、
どんな爆発で煤けたのか分からない黒い埃。
全てがあの小さな子どもにあってはならないモノだと思うのに。
こんな時にこそどうにかしてやらなければならない大人は、
酷く無力だ。
暖かい眠りを。
こんな火薬の臭いのする戦場ではなく、
草木の匂いがする暖かな場所で。
パリパリと張り付く嫌な感触ではなくて、
ふわりと甘い香りがする髪を梳かして。
色の変った重たい蒼の軍服ではなく、
白いワンピースと花のモチーフ。
酷い大人ばかりだ。
お前のいる場所はきっとこんなところではなかったのに。
そうして、その中の一人に間違いなく自分がいる。
酷い大人ばかりだ。
暖かな毛布にくるまって、
明日の遊びの計画でも幸せそうに立てていればよかったのに。
薄い埃のする布を体に巻いて、
消えていった命を数える夜だなんて。
なんて。
なんて。
世界にどうやら、
神さまなんて本当にいないらしい。
居るわけないよな・・・あぁ、本当に。