月が輝き 星が瞬く

 

白んでいく東の空は

柔らかな日差しと鳥の歌

 

優しいパンの香りで目が覚める

 

 

なんて幸福な一日のはじまり。

 

 

 

通りに聞こえる子ども達の声

一生懸命に生きている命の声だ

 

荷を運ぶ馬車の音が聞こえ

生活の香りがここまで届いてくる

 

 

 

世界は回っている

今日咲いた花の色を君に教えよう

 

日差しに咲いた花の色

 

 

 

ほら、こんなにもこの世は暖かい。

 

 

 

 

 

 

 

 

■ 雨は止み 氷は溶ける ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

術後の山は越えたと医師に告げられたのは、心電図の音が絶えず鳴るベッドの横でだった。

 

一晩は長く、それでいて短い。

こんな時間の一瞬に、小さな命は身体を抜け出して

物言わぬ入れ物になってしまうのではないかと怖かった。

 

シューシューと酸素が送られ、

呼吸を助ける。

僅かな胸の上下がどれほど自分を励まし続けたか。

 

 

『この子は生きようとしている』

 

その言葉をただ信じる。

まるで、それしか教えられていない幼子のように。

 

ただその一念を。

 

 

 

長く流れるようであった金色の髪は、

およそ痛みなど知らないとばかりに美しかったのに。

傷口を覆う消毒液とガーゼの間に覗くのみで。

肩口や耳の傍あたり無秩序に切られている。

 

 

まるで野生の生き物であると言わんばかりに、

命の胎動を伝えていたというのに。

閉じられた瞳のなんと儚げなこと。

 

 

機械鎧の右腕から点滴をすることは出来ず、

左腕に偏ったたくさんの医療器具は、小さく細い腕をさらに世を弱々しく見せている。

 

 

それでも呼吸する肺は、

上下の動きを止めはしない。

 

 

 

本人からの弱音など終ぞ聞いたことはないけれど。

あんなに辛い事だらけの生き方で、

どんなにそこから逃げたいと思っただろう。

 

強いと言われても、まだ15歳。

寝不足なのは何も文献ばかりのせいではないだろう。

がむしゃらに走らなければ生きられない時もある。

 

それを知るに15歳はあまりに幼すぎる。

あまりに残酷すぎる。

 

 

 

 

 

「目を覚ませば、また君は無茶をするのだろうね」

 

 

スルリといつもどこか抜け出して、

騒ぎを起こしては皆を心配させてきた。

「なんでもない」なんて顔をするけれど、

そんな喧騒の中に送り出すのはいつも躊躇われた。

 

 

しかし。

いつも躊躇っていたはずのそれを。

 

 

「・・・・・私が命じた・・・・」

 

 

いつも躊躇った。

けれど、「軍の狗になるか」と言ったのも、

「警護につけ」と命じたのも、

紛れない自分の言葉。

 

 

こんなに大切な存在になるだなんて、

彼と初めて会った私は思いもしなかった。

 

ただ生意気で、ちょっと力がありながら、

その使い方を知らない子ども。

能力だけは高いのだから、それで上の狸どもを驚かしてやればいいと。

当てのない旅をするという。

いつかは音を上げて、そしてここを去っていくだろうと。

 

 

ただ単純にそんな事を思っていたけれど、

そんな浅はかな人物像など、彼は簡単に打ち壊してしまった。

 

 

 

高い洞察力と判断力。

類稀な集中力。

鍛錬の体術と練成技能。

 

 

 

驚いたのは狸ばかりではない。

なんという拾い物をしてしまったのだろうか。

 

 

私の胸を捉えて離さない。

 

 

彼との関係は、久しく忘れていた感情を思い出させた。

それは馬鹿馬鹿しいと捨ててしまったものかも知れない。

 

 

 

弟が拾った猫を飼えないという彼が、

捨てて来いという彼が、その実、一番心配し、飼い主探しを引き受けることも。

 

靴擦れ1つでも決して弟の前で治療しようとしないのは、

痛みを感じず、眠れず、泣く事のできない弟を、どうにか守ろうとしている現われ。

 

手を伸ばそうと思うことすら躊躇われる研究に、

目を細めながら文献を漁るその姿。

 

 

 

こんな真っ直ぐな生き方を、

自分はいつから捨ててしまっただろう。

 

 

軍人であるが故に捨てなければならなかった?

軍人であるが故に持ち続けなければならなかった?

 

 

それが今ではとても曖昧だ。

 

 

 

そんな彼と共に過ごす時間を、

心地良いと感じながら、これでは駄目だといい続けた自分も確かにいた。

そんな事は良い訳で、

彼を傷つけたことに変りはなく。

 

ましてや、この事件の引き金は、

自分の醜い嫉妬以外のなにものでもなかっただろう。

 

 

 

彼に禁忌を背負わせたくないなどと、

いつの間にか自分の気持ちにセーブを掛けて。

閉まりきらない蓋を無理やりに回し続けた。

 

結果、招いたのはこの惨事。

 

 

いや、彼がいたからこそ惨事は最悪の形をとりはしなかったけれど、

それでも、例えこれが軍人として、指揮を任される立場の自分として、

思ってはならない事だとしても。

 

 

彼だけは巻き込まれて欲しくなかったなんて。

 

どんな犠牲があったとしても、

彼だけは生きていて欲しいだなんて。

 

 

 

 

この子はあまりにも痛みに慣れてしまっているから。

慣れたような顔をして、それでも痛みを知っているのだから。

 

 

 

できる事なら、暖かな祝福だけを与えたい。

 

笑って、今日一日に感謝しながら、やわらかな布団で明日が待ち遠しく眠る毎日。

夢に魘されることなく、怯えることなく、ただ守られて。愛されて。

朝日に起こされ、漂う朝食の香りにお腹を鳴らして苦笑いしあうような。

 

 

 

「君に・・・謝りたいことがあるんだ。

 伝えたいことがたくさんあるんだ。

 だから・・・早く目をあけてくれないか?」

 

 

 

決して守られることを望むような子ではないと思うけれど、

それでも人は支えられなくては立てない時がある。

支えてくれる人がいるという事が、立って歩けることに繋がることがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深夜もいよいよ深まって。

もう夜明けが近くなろうかという頃。

 

 

目を離す事ができず、傍を離れる事ができず。

ロイはピッピッと音を立てる機械と、上下する布団をただ見ていた。

 

時間がどれくらい経ったのか、はっきりとしなくなった頭で、

しかし、目を閉じることすらできない。

生身の手を握ってやりたかったけれど、それもできず、

冷たい機械鎧の腕をさすり続けた。

 

 

 

・・・・。

ふるりと腕が揺れた。

 

一瞬息が止まるかと。

目を見開き、傷ついたその顔を見やる。

 

 

 

小さな唇は、熱で乾いてしまっていたけれど、

それがゆっくりと開かれる。

 

 

 

 

『苦しいよぉ・・・』

 

 

 

堪らず名前を呼ぶ。

初めて聞いた、そんな声だった。

目頭が熱くなる。

 

 

今までの彼の言葉はどれ程の気遣いで満ちていたのだろう。

 

弟への贖罪の念と、大人たちへの遠慮と。

決して溢されることのなかった心の内が、

押し出されるような声で、小さく届く。

 

 

 

瞳を覗き込めば、一瞬のふにゃりと蕩けた色の後で、

すぐに緊張が見て取れた。

 

 

『たいっさ・・・・ごめっ・・・嫌いにならないで』

 

 

怯えたように、言われるその言葉。

大佐と言われていた自分。

 

婚姻して得た准将という自分。

 

 

 

「どうして?嫌ってなんてないよ。・・・・ずっとそうだ。

 君を嫌いになるなんて、あるはずがない」

 

 

震えるよう繰り返される声に、

胸が潰れそうになりながら、それでもそんな事を欠片だって思ってはいない。

どうして嫌いになれるだろう。

 

 

 

 

 

『ずっと・・・・ずっと・・・・苦しかった』

 

「・・・・うん」

 

『ずっと・・・・誰かにもういいよって言ってもらいたかった』

 

「うん・・・・うん」

 

 

 

熱に魘されるように、言葉を紡いでいく。

それは、夢の住人であるかのように儚い声だ。

 

けれど、その声こそが、

彼が生きているという証拠であると。

 

 

頷き、汗で張り付いた前髪を梳いてやる。

傷口に障らぬようにゆっくりと。

 

 

 

ぼやけた瞳が揺れる。

こんなに互いを見つめ合った日があっただろうか。

 

 

 

『ずっと言いたかった・・・・大佐に嘘を付いてたから』

 

 

意を決したように、

それでも小さく呟かれた声に、その続きを促す。

 

「・・・・・なに?」

 

 

 

 

 

少しの躊躇いの後で。

彼はこう言った。

 

 

 

『俺っ・・・・女なのっ・・・ずっと騙して・・・た。

 男だなんて嘘だよ。嘘・・・・だから、ごめんなさい』

 

 

 

それは私を酷く驚かせたけれど。

 

 

あぁ、こんなにも小さな身体で、

どんなに思い枷を背負わせ続けていたのだろうかと、

堪らず涙が込み上げた。

 

 

 

こんな小さな子が、

性別を偽るだなんて余程の覚悟であったろう。

 

賢い子だ。

それがどのような悲劇をもたらすか考えなかったわけではないだろう。

国家を相手にした偽造は、

その幼さと危険を計りに掛けても許されるものだとは言いがたい。

それでも、進むために、彼女は彼になったのだ。

 

 

少なからず心を許してくれていたと思っていた。

 

だからこそ、この子は辛かったに違いない。

『嘘』を付き続けなければならない『自分』を、

どれ程痛めつけて歩いてきたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

そして、続けられた言葉に。

告白に。

 

 

 

 

息が止まるかと思った。

こんな一瞬で人は動くことができなくなる。

 

 

 

 

 

 

早く目を開けて。

君に伝えたい言葉としなければならない謝罪がある。

 

私も君が『好き』だ。

こんな感情は初めてで、とても君を傷つけたけれど。

もう二度と君から目を反らせたりしない。

曇らせたりしたくない。

 

 

 

 

話を聞いてくれるだろうか。

ロイエド子