重い重い扉を開ける

どこなのだと言いながら、手元の案内図を確認して。

 

ここに居ると聞いた。

誰からだっただろうか・・・不思議なことに思い出せない。

ただ、ここに奥さまが居られますよと言われたのだ。

半信半疑のまま渡された地図は、今まで行ったところのないもので。

顔を上げたその時には、相手はもう居なかった。

男なのか女なのか。そう言えば部下であったような、それでも違うような。

しかし、丁寧に自分はここを探し当て、そして扉を開いている。

ギギギと軋みながら開く、分厚い鉄の塊は、

それだけで下界と遮断されているかのような不気味な印象を与えていた。

 

暗いその建物の中には、受付のような場所がある。

それは、ホテルロビーのような様子なのだが、明るさや賑やかさというものはない。

閑散としていて、汚れている印象がないのは物品がほとんど無いからだろう。

 

ぼぉっとした明かりはロウソクだろう。

ゆらゆらと回りに光りの渦を作りながら照らしている。

そんな受付場所に、1人の男性が立っている。

初老であるような様子で、腰が少しだけ曲がっている。

 

「すまない。ここに妻が居ると言われて来たのだが」

こちらとしても、ここがどこであると言う事や、

なぜ、ここに妻が居るかも知らないのだ。

不用意に名前を言う事は避けた方がいいだろうと判断した。

 

のっそりと顔を上げた初老の男性は、ぺラリと手元のノートを剥ぐった。

近づいてみれば、それには名前が記されているので、入室記録なのだろうか。

男性の後ろには部屋番らしい番号と鍵が垂れ下がっており、

やはりここがホテルの受付という印象は強くなるばかりだ。

 

「・・・エドワード・マスタング様でしょうか?」

ピタリと止まった台帳の音と、しわがれた男の声。

観察していた思考を止めて、男の声に頷いた。

 

「あぁ、私の妻だ。私はロイ・マスタングと言う」

 

 

 

「えらいすいませんでしたねぇ。ワテの事を厳つい思いましたでしょう」

 

「いや・・・」

 

男は、こちらですと灯明を手に持ち、案内してくれた。

どこかの方言が混じっているのだろう、その言葉は酷く聞きづらい。

 

「ここに来られる人は、いろんな所から来られますから、

 ワテの言葉もよぅ混ざりまして。聞きづろぉてでしょう?」

 

しかし、そんな事は全く気にもしていない様子の男性は、

まだまだ奥に進んでいく。

どれだけ奥行きがあるのか全く分からない程の暗闇で、

失礼だが、ここにそんなに多くの客がくるとは思えなかった。

 

「ここに・・・妻が居るのですか」

 

「へぇ。ここに迎えに来られる方は、たいがい不思議がられますが、

 仕方の無いことです。なんでここに居るのかと聞かれましても、ワテもよぅ知りませんし」

 

「随分と前から創業しておられるようですね」

 

「はいはい。人が生まれてきた時分から、長い事してますねぇ。

 迷われた方はここに来られて、だれか迎えに来てくれるのを待ってるみたいですし」

 

手元の明かりだけで、ここからは男性の後ろ姿しか見えない。

ともすれば足元すら危ないような。

無口なのかと思っていた案内人は、そうでもないようで。

こちらの質問に淀みなく答えていた。

 

幾らか沈黙の後、質問しようかどうか迷っていたら、

男が口を開いた。

 

「あぁ、奥さまの事なのですがね」

「妻の?」

 

突然に話始められた事と、その内容に、眉を寄せる。

自然と重くなった声音を男がどう判断したのかは分からない。

 

「何日も眠らずにお迎えを待ってらっしゃいましたから、今は眼を閉じていらはる。

 えぇ、えぇ、お怒りになる人もいますが、それはどうかと。

 人は眠らんといかないものでありますでしょう。あんじょう、お怒りになりませんよう」

 

「・・・そうか」

 

「ここは、こんな辺鄙な所ですから、満足な食事も作られしません。

 冷たいもんばっかりですから・・・少々お体冷たくなっているやも知れません。

 まったくこちらもどうにかしたいのですが、そればっかりは」

 

 

 

「あぁ、ここですね」

 

遅くもなく、速くもない足が、ピタリと止まった。

ジャラリと手の中で鍵が音を立てたが、その音は、

今まで足音と話し声だけだった空間に、ビリリと響いていた。

 

 

「奥さまは眠っていらっしゃいますから、どんだけ大切な人の声にも反応されるかどうか。

 いえいえ、それは皆さま言われる事が違いますし、私は声は聞こえてらっしゃると思いますよ」

 

ガチャリと鍵が開けられる。

ひんやりとした風が中から吹き出ているようだ。

 

「人はいかないけん時がありますよ。それを止めるんは、いつだって無力です。

 貴方が引きずられない事を祈りますがね」

 

 

 

 

 

パタンと扉がしまる。

動かない妻を前にして、あの旦那はどうするだろうか。

こんな場面に立ち会う度に、物悲しさはつのるばかりだ。

 

共に連れて行かれた人の方が多いか。

迎えの案内が届くのは、とても稀であるのだから。

そして、ここに辿りつくことが出来る者もそういない。

本当に大切に思っていた人のみが会える。

 

であるから、連れて行かれてしまうのだけれど。

連れて行きたくはないにしても、ついていってしまう人も多いが。

 

 

『私は、大切な人を連れて行きたくはない。

 1人でいいの。1人がいいの。お願い心の中を覗かないで』

 

 

金色の少女は瞳に涙を溜めて、許しを請うた。

それは、案内状を届けるために、彼女の心を覗いた時に。

 

人は、1人でなどと逝きたくはない。

けれど、大切な人を共に連れて逝きたいと思うだろうか。

それは個人の考えの相違だろうけれど。

 

案内状を持った者には、案内しなければならない。

どれだけ彼女が『来て欲しくはない』と言ったところで、

これが自分の役目なのだ。

 

 

かの人は、妻に連られていってしまうのか。

それとも彼女の声を聞けるだろうか。

 

 

ロイエド子

案内人