青い空を見たら、突然居なくなった人を思い出す。
「なぁ、たまらないんだけど」
紅いコートと黒の上下。
変らない服装のままで、横に座っている少年。
司令部の中庭に一人で居るところを、執務室から見つけた。
いつも着たら挨拶に顔を出しなさいと言っているというのに、
発見されるまでその多くは図書館だけれど、司令部内をふらついているのだ。
空が嫌味なほど青いというのに、書類の山を片付けなければならなかったので、
クルクルとペンを動かしていた。
どうにもサボりたいという意見が、脳と体から発せられていたので、
無視し続けるのもどうかと思い、背後の広い窓をチラリと見たときだった。
司令官の背後が見通しの良い窓というのはセキュリティー上問題だと思うのだけれど、
それはこの際目を瞑ろう。
その目線の先に、ヒラリと見えたのは紅いコート。
一瞬、血の色を思い出して、額を押さえるけれど、
その色に眩しい金色を捉えて、あぁ、彼が戻って来たのかと判断する。
戻ってきたという言葉は相応しくないのかも知れない。
彼は、ふらりふらりと野良猫のようにつかみ所がないとは言え、
その先には、明確な目指すものが存在しているのだ。
家が無いから、外を歩いているのではなく、
家に帰るために、外を歩かざるを得ないという処か。
それでも定期的に「戻ってくる」。
不本意に繋がれた首輪の先に、ジャラリと重たい鎖が巻かれ、
手繰り寄せればここに着くというだけのモノだが。
どうやら中庭の大きな木下に、彼は腰を下ろしたらしい。
上から見る分には立っているのか、座っているのか判断は難しい処だけれど、
それでも身長の事を引き合いに出せば、こんな離れた所にいる私にさえ、
牙を向けて威嚇するのだろう。小さな子猫は。
ふむ。と顎に手を当てて、少し考える。
図書館にも行かず、報告書も提出せずに、禁書の閲覧願いも頼まれてはいない。
いつも止まる事を知らない回遊魚のような彼にしてみれば、
酷く珍しいのではないだろうか。
こんな青空の下で。
心配になった訳ではなく、言うなら好奇心。
副官に見つかるのは御免だけれど、青い空が呼んでいる。
紅いコートが目から離れないのだから仕方ない。
目の前の書類を意味も無くデスクの端に寄せてみれば、
なんとなく量が減ったように思える・・・ような気がする。
いい訳じみてはいるが、早速ここから離れよう。
目指すは中庭。
大きな木下の紅いコート。
「何をしているんだい」
なるべく足音を立てないように近づいていたのだから、
彼がこちらに気付かないとしても無理はない。
それでも気付いてくれない素振りに、声を掛ける。
眠っている訳でなく、コトリとその背を高い木の幹に預けて、
億劫だと言わんばかりに、こちらを向いた。
サラリと肩から金色の髪が落ちるが、
きつく編みこまれたその髪は、解けることは無かった。
こっちを確認するだけで、何も発しはしなかったけれど、
拒む様子も見られないので、その横に歩を進める。
手入れされた芝の上に、両足(片方は機会鎧のそれだけれど)を投げ出して、
存在感のある瞳は閉じられたまま。
本日は晴天なり。
雲ひとつ無い、まさに発火日和。
さぁ、どんな物でも持ってきたまえ。綺麗に燃やしてあげよう。
どこの雑技団の宣伝文句だろう。
意味も無くそんな事を考えてみた。
さすがに口に出してはいないけれど。
「なぁ、堪らないんだけど」
聞こえた声に、振り向いたりしない。
そうだね。
私も堪らない。
この空は青すぎる。
青すぎて現実を隠してはくれない。
夜の深い闇。
この世の終わりかというような紅い夕日。
罪を暴くかのような煌々とした月の明かり。
恐怖に震える要素は多分にあるとは思うけれど。
それでもこんな青空には叶わない。
明日を黙って信じられるような殊勝な心も、
ただの純真さも、
祈って得られるような簡単な夢もありはしないから。
だから、恐い。
堪らなく。
泥の水の中なら気にならない。
辺りの血の海なら、尚の事。
でも、
人が美しいと感じるこんな青空の下では、
自分の腕がよく見える。
拭っても消えない。
許しを請えるほど簡単ではない。
「堪らない」
「そうだね・・・」