ある劇場でのひと時。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺・・・9年なら待てるなぁ」

 

 

シアターから出ると、ロビーの明かりが眩しかった。

パチリと反射的に瞬きをしながら、横に居る恋人がそんなことを言った。

 

 

 

青年時代に見逃してしまったリバイバル上映に、

そんな映画知らないと年代の差を窺わせる恋人を誘った。

流行や最新の映画を全く取り扱わない通り一本裏手の劇場は、

騒がしくなく、スッテッキに深く被った帽子が似合う初老の男性や、

片手に懐中時計だけをもって微笑む初老の女性に人気の場所であった。

 

館内は古めかしくはあるが汚れはなく、

洋館を改築したようなつくりになっている。

ロビーには紅い絨毯が敷かれ、もぎりは髭が伸びた男性。

 

横にある売店では、当たり前のようにポップコーンが売られ、

「これでも売り上げはいいのよ」と微笑む女性が1人。

どうやら、自分は「割に合うのだろうか」と思案顔を向けていたらしい。

 

見たところこの二人しか職員はなく、

規定の時間になればもぎりの男性はロビーを女性に任せ、

階上の映写室に向かうらしい。

 

 

 

カタカタと回るフイルムの音と、

歪な数字が教えるカウントダウン。

 

 

満員の劇場にはない、とても静かな、

それでいて、歓喜とも興奮ともつかない穏やかな高揚感が高まっていく。

 

 

 

 

 

その映画は、1人の女性が幼馴染に恋をする話。

簡単に行ってしまえばそうだ。

 

猛獣や自然災害、存在不確かなモノからの脅威など1つもない。

ただ、淡々と繰り替えされる日常の羅列と、そこに生きている女性の真っ直ぐな恋心。

 

 

 

やがて2人はその恋を実らせて。

まるで甘い砂糖菓子を口に含ませるような、

幸せで、暖かい生活を送る。

 

朝起きるだけで幸せよとキスをして、朝食のミルクに蜂蜜を溶かす。

お昼にバスケットを持ち出して、彼の職場近くの公園でランチ。

いい夢をと囁き合い髪を撫でて、その横で眠りにつく。

 

 

手が触れれば顔を赤くして、

瞳が合えばキスを贈る。

 

 

 

 

 

なんと幸せな事だろうと、

そう思わずにいられない風景と感情。

 

 

 

それを壊したのは。

やはり、猛獣や自然災害、存在不確かなモノからの脅威などではなく。

もっとも身近でもっとも怖いモノ。

 

人という存在。

 

 

人が始めた争いは、渦を大きくしながら田舎にたどり着いた。

何が正しく、何が間違っているのか。

或いは、全てが正しく、全てが間違いであり、

また、何も正しくなく、何も間違いではなかったのかも知れない。

 

それでも、幸せよと呟いた彼女は「離れたくない」と泣き。

微笑んだ彼は、とても痛い顔をした。

 

 

 

 

1人残された女性は「夫が戦争に取られてしまった」と言った。

 

 

 

星が流れて太陽が昇り。

幾日も過ぎた後で、彼の死亡通知は無常にも彼女のもとに届けられる。

 

その時には、泣くような気力さえ無くした彼女がいて、

「もう、この世界に未練なんて1つもないわ」とだけ言う。

 

 

舞台は切り替わり、流れていく風景に動く足下だけ。

それは汚れきった軍人の足下で。

・・・・視聴者たちはそれがきっと恋人の元に急ぐ男性の足だと分かっただろう。

 

世を悲観した女性の元に、

間違った死亡通知が届けられた男性が帰還する。

 

 

2人は抱き合い喜び合って、その幸せを手にするのだろう。

 

 

 

 

誰もがそう願うハッピーエンド。

 

しかし、面前には泣き崩れた彼が抱く女性の姿。

すでに意思を持った動きを見せず、白と赤のコントラストが示す彼女の事切れた事実。

 

 

 

カタリと音が鳴ったのは、

彼の悲痛な嗚咽が流れてきたときだった。

 

 

横に居た恋人は、席を立ち、そのまま扉の方へと向かって進んでいる。

慌てて、しかし、音を極力立てないようにして、恋人の後を追う。

 

 

 

 

 

「俺・・・・9年なら待てるなぁ」と彼女。

ロビーではもぎり兼ポップコーン売りの女性がいるが、

その視線から逃れるようにして、右端にならんでいる濃い緑のソファーに座る。

思いの他体重に沈むソファーに。

 

 

「・・・・彼が死んだと報告されてから、9年間?」

 

「そう、後を追うのはそれから」

 

 

古い映画で、その内容もいささかシュール。

それでも見たいと思っていた青年時代の自分と、それを覚えていた今の自分。

内容など把握していなかったけれど、それでも自分を惹きつける何かはあって、

もう終わってしまったのかと残念に思った記憶だけは鮮明で。

 

まだ恋も満足に経験していなかった自分が見たいと思っていた映画は、

無くしたくないと切望する恋を見つけてから見ることが叶った。

 

 

いざ、恋人と並んで見てみれば、

結末を見ずに恋人は席を立ち、劇場を後にしないままで、その品評を行っていたりする。

 

 

 

「なぜ、9年なんだい?」

 

「俺がきっとギリギリで保てる年月・・・かな?」

 

 

少しだけ考えるようにして回答を示し、

ギィと軋んだソファーに更に体重を乗せてまるで遊んでいる様だ。

 

 

「自分を保てる・・・・それが9年なのかい?」

 

 

「10年って何か区切られてる感じがするだろ?・・・まぁ、主観的推測だけど。

 そんなに離れてしまうのは嫌、でもだからって」

 

 

うぅむと更に考えるのは、恋人で。

どうして9年と10年に差がつくのか上手く説明できないらしい。

 

 

「それにさぁ・・・俺ってきっと諦めが悪いから、自分の目で確認したいとか言い出すんだきっと。

 人の死はとても難しいもので、納得するのにとても、とても時間がかかるんだ」

 

死んでしまうのは一瞬なのにね、と恋人は悲しげに笑った。

諦めが悪いと評したのは、きっと過去の後悔を引きずっているからで、

科学者という領域に属するという意味よりも、死に敏感でそして疑い深い。

 

 

 

 

「きっと・・・会いに行くんだろうなぁ。確かめに」

 

「そこは戦場で危ないのに?」

 

「・・・・彼が死んでるんなら、いいんじゃん?」

 

「それでは、9年間待って真偽を確かめられないじゃないか」

 

 

 

会話に矛盾が生まれ初めて、

むぅと恋人は頬を膨らませて抗議してみせた。

 

 

 

「じゃあ、ロイはどうするの?

 もしも、俺が死んだと聞かされて、そうして」

 

 

さぁ、これでどうだと手を返してきたのはいいけれど、

その質問は酷く無防備であった。

 

 

「もしもと前置きしたとしても、君からそんな事を言われたくはないね」

 

 

それは本当のことで。

どんな想像も想像でしかないとしたところで、

自分にはそんな想像力は必要なく、また、したくはなかった。

 

 

 

人前で「恋人同士」を見せるのを嫌う恋人が、

ポスリとその金色の頭を肩に寄せた。

小さな重みが肩から伝わって、くすぐったさを届ける。

 

子どものように甘える恋人に、髪を撫でる仕草で答える。

 

 

 

 

「9年も待てないな・・・・君がいなくなったら、すぐに後を追ってしまうよ」

 

「嘘だったら、どうするんだよ」

 

「・・・・・君はとても寂しがりやだからね」

 

「答えになってないじゃん」

 

 

 

 

うん、そうだね。と言って、彼女の金色の髪にキスをしたところで、

上映終了のブザーが押された。

ガヤガヤと一瞬の騒がしさの後で、開かれた劇場のドア。

 

階上から髭の男性が下りてきて、来館者に「ありがとうございました」と述べる。

 

 

初老の男性も女性も思ったよりも清々しい顔をしていたので、

幾分顔の赤い恋人とともに「おや?」と顔を見合わせた。

 

そんな自分たちを見た人は、訳知り顔で笑う。

 

 

 

「あらあらお二人さん。最後まで見なかったの?」

 

「おや、若いね・・・・では結末は知らないままかい。」

 

 

可笑しそうに笑いながら、二人は話かけた。

 

 

「私もそうであったけれど」

 

「わしもそうであったが」

 

 

ステッキでくぃと深く被っていた帽子を上げると、

皺が深く刻まれた男性が笑って言った。

 

「続きを知りたくなったのは、この歳になってからでの話しで。

 あんたらはまだ若いのだから、この続きを自分で決めていきなさい」

 

 

懐中時計を大切そうにバックにしまった女性も笑って言った。

 

「2人を離してしまうのは、何も戦争や死だけではないのよ・・・きっとね」

 

 

 

 

とても意味深な言葉を残して去って行く二人を見ながら、

唖然としたまま、言葉を発する事無く見送ってしまった。

 

 

それを見ていて、微笑んでいたのはポップコーン売りの女性と、

次の上映準備をしている髭の男性。

 

 

 

 

 

 

答えはいつも傍にあるのに、

それに気付くには遠回りをしなくてはならない。

 

けれど、歩くその道が無意味な事か否か。

ロイエド子