手を伸ばすその先に、求めていたモノは確かにあって。
どうか離さないようにと握り締める。
「貴方が大好きです」
「貴方の傍にいたいのです」
「心が貴方を捕らえて離さない」
明日の朝には さよなら と
瞼に落ちる涙の冷たさで目が覚めた。
ほとりほとりと溢れてくるそれ。
どんな苦しい事があったのかと自分に問いかける。
外はもうすぐ明るくなる。
今日も天気だ、昨日の天気予報がそう言っていた。
「雲ひとつ無い洗濯日和となるでしょう」
サワワと流れる風に遊ばせて、シャボンが香るシーツを干そう。
涙が零れる先に、真っ白なふかりとした布団がある。
その延長には、腕枕をした仕草の夫が夢の中。
お揃いのパジャマに、見慣れた黒い髪と優しい胸。
『なぜ、泣いているんだい?』
「何でもない」
『君が何もなくて泣くものか』
「だって・・・・」
何もないわ。
苦しい事など何一つなかった。
私はこの人の腕の中で、何も失ってはいない。
ほとりほとり
「っぅう」
夫が眠っている。
こちら側に伸ばされたままの暖かい腕。
閉じられたままの瞳。
「ロイが・・・・好きだから」
『・・・・それなら私も泣かなくてはいけないね』
あぁこんなにも、貴方の瞳は暖かいと思うのに。
ウゥーーーカンカンカン!!!!!!ピーッッピー!!!!
ビクリと体が震える。
そう、あの時警報が鳴った。
あの時?
私は長いオフホワイトのスカートを履いていた。
隣にはラフなシャツの彼。
そう、久しぶりの休日で。
オープンしたてのカフェで遅めの朝食兼ランチを楽しんで、
これから映画でも見ようかと。
そう彼が・・・・夫が笑っていて。
日差しの強い日で。
どこか遠くから大道芸の陽気な音楽が聞こえて来て。
「帰りには公園の角にあるアイスキャンディーを買ってあげよう」と夫が言うから、
「子どもじゃないのに!!」と拗ねて見せたけれど、
その日の陽気はとてもアイスキャンディーを買うのに適していたから、
「では、いらないかい?」ときっと分かっていて問うてきた夫に、
「・・・・欲しい」とぼそりと返して、それから2人で笑ったのだ。
映画を見終わったら、庭に植える草花を探しに行こう。
アイスキャンディーを手に持って、公園を一回りした先の園芸ショップと花屋さん。
夏に咲く薄い紫と青い小さな花を買おうよ。
きっと水を弾いて綺麗だよ。
ねぇ映画を見ようと約束したよね?
終わったらアイスキャンディーを買ってくれるんでしょう?
手に持って、庭に植える花を一緒に探すのでしょう?
なぜ、貴方は動いてくれないの?
警報が鳴った。
それはもう煩いほどに。
通りに差し掛かったジュエリーショップ。
そこは美しい宝石を飾ったウィンドーがあった場所。
思うに、誰かが奪う為にそこに押し入って、
そして、誰かがそれを阻む為に抵抗して、
警報が鳴って、シャッターが下りて来て、それでも逃げようとした者が、
愚かにも爆発物を投げたりした。
きっとそんなところ。
嘘みたい。
きっと、ドラマでもこんなに上手く話は進みはしない。
そんな誰かが起した騒ぎの中に、
そんな事に全く関係の無かった夫が巻き込まれて。
キラキラ光っていたウィンドーは粉々になって降り注いで。
隣で笑っていた私をかばう様に抱きかかえて。
そのまま・・・・動かないなんて。
一体誰が想像しえた?
こんな馬鹿げた物語など。
お揃いのパジャマは愛用していた木綿生地のものではなくて、
薄い色をした前止めの病院服。
洗い立てのシーツはシャボンの香りの中に、染み付いた消毒液を匂わせる。
伸ばしたままの腕は、もう髪を撫でてはくれない。
「ふっ・・・・ぁぅ」
ほろりほろり
何も失えない。
貴方が居なくなったら、私には何もない。
その腕以外に、どこに行けばいいと?
失うものさえ、私にはない。
こんなに弱い女にしたのは貴方なのに。
離れて行かないでと貴方を抱きしめる。
強く強く
伝えきれないこの思いがどうか伝わればいい。
この愛しい存在をどうか連れて行かないで。
「ロイ・・・ロイぃ・・・・・」
ほとりほとり
涙を拭ってくれる腕はもうない。