ロイは泉の端に腰掛けた。
随分と長い間の習慣のようにして。
彼女が耐えるようにして泣いたことも、
皆の前で「平気だ」といったことも、1人になって「寂しい」と溢したことも知っている。
体が小さく、出産が危ないと言われたことも、
その不安を1人で抱えるしかなかったことも。
「産まない」という選択などできるわけないじゃないかと1人震えていたことも。
見守るということが、どれほど悔しく、辛く、耐え難いことなのか、
ここに来て初めて知った。
手を伸ばせば触れるほどの距離だとしても、
もう自分は彼女に何をしてやることもできないのだ。
できる事なら、攫ってきたい。
もう大丈夫だよと抱きしめてやりたい。
1人で生きることがどれ程心細いのか。
ここで見ていれば嫌というほどに感じる。
大丈夫だと虚勢を張って。
耐えねばならぬ涙を拭い、出産の恐怖に震える愛しい人よ。
子どもを産む事が「怖い」のだと、とうとう人に言う事のできない愛しい人よ。
あぁ、私の愛しい人。
「生きていて欲しい」などと彼女にとっては辛いだけの願いなのかも知れないと、
小さな肩を見るたびにそう思う。
その度に伸ばしてしまいそうになる手を、ぐっと堪える。
「ロイ、ロイぃ」と涙で濡れた顔を枕に押し当てて、私を呼んでいる。
彼女は1人に耐えられない。
そう思うたびに腰掛けていた場所から体は揺れる。
飛び出して抱きしめてやりたくなる。
そんな時間を幾時間過ごしただろうか。
君は少しずつ、周りの人に助けられて、
泣く時間も嘆く時間も少なくなっていった。
次第に笑顔が戻っていった。
けれど、その事に気付くたびに、君は私に「申し訳ない」とか、
自分が私のことを忘れているのではないかとか、
そんな風に思っているようだけれど。
その度に自分を責めているようだけれど。
そんな事を考える必要などないよ。
君が笑ってくれるなら、それは何より私にとっての安らぎなのだから。
春は君に優しいし、空はどこまでも美しい。
花は心地良いし、月は包んでくれる。
それに気付く事ができたなら、もう大丈夫だ。
生まれた子を見たよ。
君に似てとても可愛らしい良い子だ。
抱きしめて遣れないのが心底残念だ。
名前も贈ってやれなかったな。
けれど、君にあの子を残せて本当に良かった。
・・・・・君を攫っていかなくて、本当に良かった。
君たちが笑った顔も、泣いた顔も。
あの子が初めてパパと呼んでくれた日も。
ずっと見ていた。
慣れない子育てに君がどうしようもなくイライラしている時も、
子どもの泣き声に耳を塞いでしまった時も。
ずっと見ていた。
飲ましたミルクを吐いてしまう時もあったね。
夜鳴きが酷い時もあった。
2人で一緒に育てていくはずだったその過程を、
すべて君が背負うのは、当然のことではないんだ。
頼っていいんだ。
君には手を伸ばしてくれる沢山の人がいるよ。
できれは私が一番に手を伸ばしてあげたいけれど。
ずっと・・・見ている。
見ても何をしてやることもできないのだから、
見るだけ辛いだろうと。
止めろというものもいた。
生きている君たちの辛さに比べたら何だというのだろうね。
君たちを残してしまった私が、
それでも君たちを見ていくことができるなら、
その何と幸せなことだろうと、そう思うのだよ。
君たちが生きていることが、私の幸せだ。
合わせ鏡のように