ジャラリと鳴るは命の証
君のもとに帰って来るよと
「あぁ、すまないね」
ガチャリと受話器を置くも、耳には妻の可愛らしい声が残っている。
幼子を連れて軍には来させたくなかったのだが、
重要な会議資料を自宅に忘れ、しかも部下たちも手が離せない。
仕方なく、妻に持ってきてもらう事になった。
「少将、書類の方はどうなりましたか」
凛とした声は何年経っても変らず、いつものように副官として響く。
それでも彼女にしては珍しく焦っているのだろうか、
革靴から響く音は大きかった。
「妻が持ってきてくれる事になった」
「そうですか」
素直に喜べないというような顔をしたのは、
妹のように思っていた少女に会える事を喜ぶというよりも、
幼子を連れてあのトラブルメーカーとも言える少女が何か起こさないかという心配顔だろう。
結婚して随分と落ち着いたように見える妻は、
旅を長年しており、また、その行く先々で事件に巻き込まれていた。
それを彼女の口からではなく、新聞や時折聞こえる噂話で知るたびに、
ともにため息と心配を重ねて来たのだ。
「今は、目の届くところに居てくれるだけでも良いと言うことか」
「・・・そうですね」
決してそんな妥協のような感情など共に持っていないだろうが、
それでもそんな事を考えて己の中の不安を打ち消した。
すぐに幼い子の手を引いて、
随分と女性らしくなった妻はこの軍の門をくぐるだろう。
・・・兵士の目が釘付けになるだろう事は容易く想像できるので、
一言言っておかなければならないか。
「・・・少将。こちらが届いておりました」
受話器に再び手を伸ばそうとした時だった。
小さな黒い箱を副官は差し出し、丈夫な執務机にコトンと置いた。
白い彼女の手には似つかわしくないような箱で、
それがジュエリーボックスのような煌びやかな物ならば、
彼女の手にも似合うだろうにと、何故かどうでもいいような事が頭を過ぎる。
小さな箱であるにも関わらず、
どうしてこんなにも威圧を与えるものであるのか。
「確認をお願いします」
あぁ、これは。
命の証なのか。
「・・・分かった」
軍に在籍する物は、1つの証明を持っている。
それは地位にも、所属にも関わりなく持つ事を許されている、
いや、義務付けられているものであった。
ドッグタグと呼ばれるそれ。
銀の板に、名前、血液型、性別といった自己証明を書き、
首からぶら下げる。
どんな遺体であっても、その証明が出来るようにと。
既婚者となった自分には、
帰る場所が出来た。
守る者も増えた。
だからこそ、ドックタグを作り変えたのだ。
死したその時に、伝えて欲しい相手を。
自分が帰りたいと望む場所を新たに付け加えた。
小さな箱から金属の擦れる音がして、
ジャラリとそれはすべり落ちた。
内容を確認して、少しだけ目を細める。
あぁ、こんなものを用意しているのだと、
君が知ったらどうするだろう。
「縁起でもない」と怒るだろうか。
「ふざけるな」と涙を流すだろうか。
それとも、何も言わず、ただ頷くのだろうか。
軍服の襟元を緩めて、銀色のそれを付ける。
これは約束。
この場所に自分の守りたい者がいるのだと。
この場所に自分は帰ってくるのだと。
そう願う者はやすやすとは死なないと、
どこかの軍隊の長が言っていたか。
「こられたみたいですね」
「あぁ」
少しだけ華やいだ声が聞こえる。
微かだが、それが愛しい人の声で、
守りたいと望む人の声で。
ジャラリと聞こえる銀色の音を消していく。