あぁなんて馬鹿。
それは他愛のない毎日。
いつもは「あと五分」なんて思う布団の中で、
パチリと目が覚めたことや。
出掛けの安宿のフロアに、可愛いピンク色の鉢植えがあったことや。
朝露の道路が清々しく感じたこと。
そんな毎日の欠片に、貴方のことを思う。
■ 痛みを伴う幸せがあった。■
まだ刷りたてのニュースペーパーは、
ザラついた安紙に濃い黒のインクで最新のニュースを届ける。
下手をすれば、手を汚してしまうその紙には、
今日も政治のスキャンダルや、
水路に挟まって動けなくなった子猫の救出劇が報じられている。
そんな片隅に、本当に小さく。
見つけた自分を本当に恨んでしまうけれど。
『おめでたいニュース』とばかりにデカデカと。
ご丁寧に写真付きで報じているのは東部の地方ニュース。
全国紙であるというのに、この地方版は。
いつの間に東部地域まで戻ってきてしまっていたのか、
一面から4枚ほどはぐったそのページ。
いままで避けるようにして(実際に避けていたのだけれど)、
この地を訪れてはいなくて。
定期報告も何やかんやと理由をつけて、郵送し続けた一年とちょっと。
南部の山脈に北部の凍りついた湖。
西の荒れた大地まで。
時折、ふらりと故郷に立ち寄り、ふらりと師匠の家を訪ねた。
けれど。
どうしても、行く事のできなかった「東部」には。
まだ彼がいて。
あの鐘の音と共に海に沈めたはずのあの感情は、
ふとした瞬間に染み出して。
じくりじくりと自分を内部から腐らせていくようだった。
そうして、本当に気付かないままに、
自分は「東部」エリアまで来ていたようで。
こんなニュースペーパーを手にして、嘘だろうという程に動けないでいる。
笑えるはずだった。
もう大丈夫だと思った。
こんな一時の気の迷い。
なんだあの時のあの苦しみは、俺ってば馬鹿なんだからと、
そう、昔の失敗を笑い話にしてしまうように。
少しの照れと、話せるようになれた自分に安心したりして。
目の前が暗く霞むようだ。
はははっ自分は少しも変れていないじゃないか。
【東方司令部、ロイ・マスタング准将に第一子誕生】
そんな記事。
写真には懐かしい黒髪、黒瞳、軍服。
そうして見慣れない笑顔。
なんだあんたそんな風に笑ったりできるんだ。
あぁ俺ってば知らなかったよ。
父親になったんだ。
守る家族が出来たんだ。
良かったじゃん。
命っていうのは、望んだってなかなか手に入るもんじゃなくて。
それは女性が本当に愛しんで胎内で育てて、
そうしてやっと授かるものだから。
命の大切さを知っているあんたは、
それは本当に嬉しいのだろうな。
大佐の子ども。
あぁ、愛されて生まれてきたんだろうな。
どうやってその日を過ごしたんだろう。
その日も溜めていた仕事に埋もれていた?
有事の時の冷静なあんたで居られたんだろうか。
馬鹿みたいに取り乱して、産婦人科の廊下を行ったりきたり。
まるで動物園のオリにいるライオンみたいじゃなかったろうな。
あぁ、記事にインタビューまでされているじゃないか。
調子にのって答えてやがるよ。
「その日は朝から有給でしたから、ずっと妻に付き添ってましてね。
仕事は毎日定時で済むようにしていましたし。
何より予定日が大幅に狂わなかったので、妻に感謝ですね」
・・・・中尉が大変だったんだろうな。
そっか。
付き添ったんだ。ずっと。
奥さんのそばで。
ずっと。
人が生まれるってことは、本当に感動するものだから。
まして、自分の子どもが生まれたんだもん。
大佐・・・泣いたりしたんだろうか。
奥さんに「産んでくれてありがとう」とか。
言ったんだろうか。
家族が増えて。
毎日が繰り替えされる。
ミルクを温めたり。
ガーゼ片手に、お風呂に入れてやったり。
離乳食のかぼちゃを潰すの手伝ったり。
子供服買いすぎて、奥さんに呆れられたり。
部下から届くお祝いに一緒に喜んだり。
初めて話した言葉に浮かれたり。
「パパですよ」なんて教えてみたり。
秋祭りのぼんぼりの光り。
冬の雪だるまは大小合わせて三つ。
春には芽吹いた草花とピクニック。
夏は無能返上で水遊び。
・・・・・・なんでだろ。
なんでそこで。
貴方の横で笑っているのが俺じゃないんだろ。
貴方の幸せを願っています。
その気持ちに偽りなんて少しもありません。
でも。
その横で、同じように笑っている自分を想像しては、
現実に戻されて。
胸がぎゅっと痛くなるような。
掌の真ん中がツキンと傷むような。
そんな気持ちになります。
ずっと好きでいたかった。
叶う事ない願いだったとしても。
初めての恋で。
初めて愛した人でした。
最後の恋に・・・・したかった。