渦中の不安
「かっ可愛い・・・」
暖かな日差しの差し込むリビングには二台のベビーベッドが並べて置かれている。
普通、寝室に置かれているそれがマスタング家ではリビングにも置かれている。
それは、夫ロイ・マスタングが軍上層部に顔が広いことや昇進確実ということで出産祝いが膨大であったことと、妻エドワード・マスタング旧姓エドワード・エルリックは、長い間旅をしていたことから、顔なじみが多くその出産祝いも届いたことから同じ用途のものも多く存在していた。
豪華な装飾が施されたどこぞの王室用かと思わせるベビーベッドは
アームストロング大佐からの贈り物で、さすがに立派すぎることから普段見えない寝室に置くことになった。
リビングに置かれているのは、スタンダードな木製のもので、
しかしながら仕立てのよさが漂う一品であった。
それは、植物の練成を得意としていたラッセルとフッチャーからの贈り物であった。
一台に2人を寝かせてもいいのではないかと思うのだが、寝返りを打ち始めれば呼吸障害などの危険もあるために、別のベビーベッドが必要とのことだった。
そうして並べられたベビーベッドに眠っているのは二人の天使。
その造形が愛して止まない妻に似ていて本当に嬉しいとロイは心の底から歓喜に震えていた。
透けるような肌は頬がピンク色に染まり、ほやほやと柔らかい。
蜂蜜を溶かしたかのような金色の髪も母親譲りであり、
赤ん坊特有のミルクの甘い香りはそこから漂っているのではないかと思えた。
あと一つ欲を言うなら、瞳の色も愛すべき人と同じ金色ならば良かったのにと思いはするが、
自分と同じ黒い瞳をしていたことは、確かに自分たちが愛し合った証のようで嬉しくもあった。
なにより、エドワードはその色がお気に入りのようで、そのことも自分を嬉しくさせた。
「かっ可愛い・・・」
ロイが一日に何度そのセリフを言うのか数えて見たいけれど、
きりが無いことは分かりきっているのでそんなことはしない。
たまの休日であるのに、ロイはベビーベッドから離れようとせず、ずっと娘を見ていた。
そんな夫を半ば呆れて見ているのは、もちろんエドワードである。
夫の気持ちも分からないでもないが、
始終一緒にいるエドワードが眠っている娘たちに張り付くことはもう無い。
結婚する前、何かしら外に出て騒ぎを起こしていたエドワードは子どもが出来て、
それはもう幸せなのだけれど、生活のギャップを感じることも多い。
好きな文献をゆっくり読むような時間など無いし、買い物に出たとしても
寝かしつけた子どもが目を覚ますまでの短い時間しか許されはしなかった。
はっきり言って、ここまで子育てが大変だとは思わなかった。
家事と育児を自分がすると言った時、
ロイは大変ならハウスキーピングやベビーシッターを雇おうと言ってくれた。
「君に家のことをしてもらうために結婚したのではないのだから」と。
その申し出は嬉しかったものの、他人の手で子どもを育てるようなことだけはしたくなかった。
それは、自分が母親の愛に包まれて育ったことと、我が子を抱けなくなった母親を知っていることがあるからなのかも知れない。
何より、我が子は本当に愛しくてたまらない存在なのだ。
それでも毎日の慌しさはどうだろう。
母さんはこんなにも大変だったのかと思い巡らす。
いや、あの田舎では買い物に行くにしても遠かっただろうし、女手一つで育てていく不安もあっただろう。
親になって親の恩に気づくとはまさにこのことだ。
今も洗濯籠いっぱいのシーツやおしめの山をこれから何度も往復して片していかなければならない。
することは、まだまだ山のように残っているのだ。
それなのに。
「ロゼッタ〜マリアベル〜パパですよ〜。」
と、せっかく寝ている娘の頬に指を当て出すロイが居たりする。
いつもなら微笑ましく見えるその光景も、なんだか辛く見える。
家事をすると言ったのは自分
毎日働いて、せっかくの休日に娘と遊びたいのも分かる
母は父が居なくても、立派に自分たちを育ててくれた
そんなことは、分かっているのに
不満が心を満たしていく。
子どもを可愛がっている夫を見ているのに
なぜこんな気持ちになるのか。
洗濯籠がいやに重く感じられて、目頭が熱くなっていく。
「ふっえっ・・・んっ」
久々の娘たちとのスキンシップをロイは満喫していた。
階級と比例して忙しくなる毎日に流されて、満足に娘の顔すら見られない日もあった。
本気で、軍を辞めようか悩んだほどだ。
自分にとって子どもは嫌いではなかったが好きとも言えず、むしろ苦手な部類だった。
何を言っても泣いたり、常識など通用しない子どもの相手をすることが嫌だった。
しかし、自分の愛しい妻との間に生まれた天使のような娘たちに出会った時
そんなことは関係なく、可愛くて、愛しくて、本当に天使だと思った。
ぷにぷにとしたその頬をつつけば、眠っている口をふにゃふにゃと動かす。
ただそれだけのことが、可愛らしくて堪らない。
そして、また今日何度目かのセリフを言おうと口を開いた時、背後から泣き声が聞こえた。
娘は、目の前に居て、いまだ夢の中であるし、この家には自分と…
「っエディ?!」
声の主に気づき振り向けば、洗濯籠を持ったままでその場に立っている妻を見つける。
金色の相貌からは涙が溢れていて、赤いエプロンに染みをつくっていた。
「っどうした?どこか痛いのかい?」
慌てて駆け寄り、その顔を覗く。
目を瞑り、顔を左右に揺らすが辛そうなことに変わりなく見える。
「何が・・・」
「っごっごめんっ・・・何でもないっんっから」
詰まりながら言葉を紡ぐエドワードの声は弱弱しく、
とても何でもないなどとは思えなかった。
「何でも無くはないだろう?どうしたんだね・・・」
落ち着けるために、エドワードを抱きしめて、背中を撫でてやる。
何度か繰り返すと、ほぅと息をつくのが分かって、背中を撫でていた手で今度は前髪をかき上げ、あらわになった額にキスを落とす。
「何があったのだい?」
「・・・怒らない?・・・嫌いになったりしない?」
泣いたことで起こるシャックリの合間に、濡れた瞳で見上げながらそう問われる。
久しぶりに泣いた妻を見て、自分も酷く慌てていたがどうやらそれも落ち着いた。
「もちろんさ。どうして私がエディを嫌わないといけないのか・・・さあ、何があった?」
もう一度額にキスをして、エドワードの言葉を待つ。
「あっ…あのね。ロイが毎日働いてくれていることも知っているし、今日が久しぶりの休日だってことも分かってる。ロゼッタとマリアベルを可愛がってくれるのも嬉しいし、自分が家事をするって言ったことも間違いじゃない・・・っと。で…ね。でもね。あっ…」
早口で伝えようと一生懸命なエドワードは、しかし、自分の感情を言葉に出来ていないように
思えた。
それでも、全てをその口から言わせないと意味がないと、ゆっくり背中を撫で、エドワードが伝え切るのを待つ。
「…寂しいんだ。」
「寂しい?」
コクンと頷いて、そのまま顔を上げずにエドワードは続きを口にする。
「何て言っていいか分からないっけど…寂しい…。ロジーもマリーもいるっのに…
ロイだって、傍に居てくれるって分かってるけど…最近っんふぇっ…さ寂しっい」
感情を認めてしまって収集がつかなくなったのか、エドワードはまた泣き出してしまった。
「っいろいろ…しなきゃっいけないッし…っでもっ…ごめっん…訳わかんっんないっふっ」
エディの言葉を聞いて、自分の行動を振り返る。
今日、自分からエドに話しかけたことがあっただろうか。
簡単な挨拶だけで、後は全て娘と向き合ってはいなかったか。
ここ最近、エドの話を聞いたことはあっただろうか。
忙しさを理由にして、ほったらかしていたのではなかったか。
真面目に背負いすぎてしまうということを、嫌と言うほど知っていたというのに、
自分はエディを1人にしてしまっていたのだ。
(馬鹿か私は!)
愛しい人は、今まで何処かに留まることをしていなくて、それが望んでいたことで無いにしてもその環境の変化がストレスになることもある。
ましてや、自分が仕事に出てしまえば自宅には一人で、
2人分の子どもの世話と、家事をこなさなければならないのだ。
そこには、命の重圧があるのだから、半端なものではないだろう。
それなのに、私は、家に帰っても仕事の疲れから話し相手にもならず、
休日といえば、子ども達に構ってばかりで・・・。
エディが寂しいと感じるのも無理はない。
「エディ…すまない。君を1人にしてしまっていたなんて。
泣かないで…エディに泣かれたら、どうしていいか分からなくなる。」
そう言って、瞳から涙を舌ですくい取っても、後から溢れ出していく。
なかなか、止まってくれないその涙に、自分の過ちが取り返しのつかない物なのかと焦る。
「エディ…。どうすればいい?」
「ごっめん。俺が我がままなっんだけ…」
「我がままなんかではない!子育ては2人の問題なんだよ。君1人に背負わせていいものではないのだ。何ができる?言って。」
目線を合わせると、エディは首に腕を回して、肩に顔を押し当てた。
言葉では伝わらないのならと、腕を更に強めてエディの体を抱きしめる。
「ならっ…。キスをして。」
「キス?」
「うん。帰ってきたら、ロゼッタよりもマリアベルよりも一番先にキスをして。」
耳を真っ赤にしているそのお願いが、自分の思っていたものとは全く別なもので。
愛しさが込み上げてくるには、十分で。
そんなにも、寂しい想いをさせていたのかと、胸が痛むにも十分だった。
「誰よりも大切な君に、一番先にキスをするよ。愛している。」
肩にあった顔が正面になり、それでも顔はまだ赤いままで。
そっと唇にキスをした。
泣いて赤く腫れた目頭は痛々しかったが、それでも微笑んでくれる
エディに安堵した。