荒れた大地に乾いた風が吹き込んでくる
乾いた風は喉を傷めるが、
湿気を含む風よりは幾分かマシだと思った
風は匂いを消すが、匂いを運びもする
硝煙の匂い 血の匂い 脂の匂い
ここでは、もう当たり前すぎて
感じなくなる者の方が多い
南方戦線の中心部
激化する戦いに軍は1つの決断を下した
「国家錬金術師による反対勢力の殲滅」
召集者名簿の最後
年齢順で記されたその一番後
「鋼の錬金術師・エドワード=エルリック 地位・中佐」
呼ばれたのは必然
行きたくなかったのは本音
逃れられない運命
形に残るは自分の罪
「はぁ、今日が終わる。」
戦場の夜は静寂と興奮が背中あわせに存在している。
一日の命が延びたことを神に感謝する者や
戦場の興奮を冷ますために身体を重ねる者もいる。
そんな、日常が延々と繰り返される中
エドワードは1人で星を見上げていた。
命が延びたことを喜ぶ気にはなれなかった、
変わりに消えた命と明日奪う命が増えるだけだから。
ましてや、人を消すことに興奮したりしない。
心の何処かが欠けるのを感じるだけだから。
戦場の簡易テントの小窓からであっても星は見える。
それだけが救いのように感じた。
戦場にいる自分が救いを求めることに、
何を求めているのだと言いたくもなったが・・・。
ここから見える星空は、
一度捨てた故郷の空。
そこは、暖かく迎えてくれる人々が暮らす場所。
いつも迎えてくれたあの空。
そこは、どうしようもない無能と優しい軍人たちが暮らす場所。
鉄色の横から見上げるあの空。
そこは、大切な、たった一人の弟が暮らす場所。
星空は、きっと繋がっているのだろうから。
ここだけは許されると思った。いや、許して欲しかった。
自分は、名前も知らない人の血を浴びて、
きっと明日もそうするだろうけれど、
空はきっと繋がっていて、
大切な人たちを思い出せるから。
今日も1人で星空を見上げる。
そこには、乾いた戦場の風が吹き込んでいた。
「中尉、今日の書類はもう無いのかね。」
東方司令部、執務室。
大きく堅い机をトントンと指で叩きながらロイ=マスタングは尋ねた。
その広い机の上に、書類は置かれていない。
半年前まで、部下に言われなければ一向に無くならなかった書類の山。
「ここ数日分の書類は全て終わっております。」
ホークアイ中尉は敬礼と共にそう言った。
誰も何も言わないが、誰もが皆分かっていた。
半年前まで滞っていた執務。
半年間で彼が変わったその理由。
半年前の願いは、聞き入れられなかった。
それでも、ホークアイはその言葉を言う。
「もう、休んで頂いて結構です。」
半年間何度となく繰り返される彼女の言葉。
苦笑いと共にロイは当然のように答える。
「私に休む権利と自由を与えないでくれたまえ。鋼のが帰ってくるまでは。」
それは、半年前から変わらない願い。
あの子が帰ってくるまで・・・。
半年前の東方司令部に招かざる客が現れた。
その男の名はハクロ将軍。
「なぜ、私ではなく鋼の錬金術師が戦場へ行くのです?!!」
ロイは渡された召集令状を握り叫んでいた。
南部の情勢が悪化していたことは知っていた。
何より大佐という地位であったし、イシュバール殲滅戦の時と状況が酷似していた。
近いうちに人間兵器投入の指令が下ることも予想がついていた。
しかし、下された召集令状に「焔の錬金術師」彼の銘は無かった。
代わりに記載されていたのは
「鋼の錬金術師」
まだ、十五歳の
たった、十五歳の子どもではないか。
「答えて下さい!ハクロ将軍。イシュバール殲滅戦での経験もある私が派兵されず、
まだ、戦場での経験のない鋼の錬金術師を投入する意味はあるのですか。」
大人の変わりに、子どもを戦場へ行かせる理由はあるのですか?
戦場に行かせる分けにはいかない。
あの子の肩にはもう十分過ぎる荷があるのだから。
母親を練成した罪、弟を誘った後悔、その結果の悲しみ。
取り戻そうと必死に足掻く彼を
救おうと思えど、更に地に落ちろなどと思えるはずはない。
戦場に行き、人間兵器になれ。
母を殺した錬金術で、今度は人を殺しなさい。
どうして、言える。
そんな、睨みつけてくるロイをあざ笑うようにハクロ将軍は言い放つ。
「マスタング大佐。勘違いしてもらっては困る。
鋼の錬金術師はただの子どもではない。軍が認めた人間兵器だ。
彼は、今まで国家錬金術師であるが故の権利を受けている。
貴重文献の閲覧、高額な研究費用…。その全てにおいて大人と同じ権利を有した者が、子どもであることを理由に義務を放棄することは筋が通らないではないか。ましてや、それを承知の上で彼は資格試験に臨んだのではないのかね。
それに、君が戦線に行かないのは、イシュバール時の経験を評価しているからだ。
その経験を軍事指揮に生かすために、マスタング大佐には司令部に残ってもらうよ。」
言葉を失うロイの肩を叩きながら、ハクロ将軍は尚も言葉を紡ぐ。
「まぁ、頑張りたまえ。鋼の錬金術師の力もこれではっきりするだろう。
あぁ、どうしても行けないというならば、資格を剥奪するといい。
君が後見人だったろう。
上の者も期待はしていたが、それまでの人材だったということだよ。」
執務室に暗い空気が漂っている。
ここにいるのは皆軍人で、それぞれに階級に見合う修羅場を潜ってきた。
南部情勢も把握していたし、上司であり、国家錬金術師である大佐が召集されることも
予想していた。
しかし、彼が顔色を変えた召集令状には、予想していなかった名前があった。
軍の命令は絶対
そんなことは百も承知している。軍に入る前から分かっていたことだ。
「鋼の錬金術師・エドワード=エルリック 地位・中佐」
「あいつ、どうするんスっかね。」
沈黙の中、ハボックが呟く。
あの子が、いや、あの子たちがどんな思いで資格試験を受けたか知っている。
どんな深い絆を持っているかも知っている。
兄は、弟を助けたくて、自分がどんなに罵られようと決して前を見ることを止めない。
弟は、兄を支えたくて、いつも自分ばかりに罪を重ねようとする兄を優しく包む。
軍上層部がロイに手柄を立てられるのを良しとせず、
かといって、国家錬金術師の力を欲したための処置だと言うことは分かりきっていた。
そんなことの為に、子どもの手を汚させるのだ。
地位と権力にしか目を向けることの無い愚かな軍人。
「中尉、私はこれほど軍が汚い組織だと思ったことはないよ。
そんな鎖すら解けない自分が本当に情けない。」
守ってやりたいと思う。
それなのに、自分たちは小さな子どもの
ただの日常すら守れない。
『俺たちは悪魔でもましてや神でもない
人間なんだよ
たった一人の女の子さえ助けてやれない
ちっぽけな人間だ・・・!』
いつかのエドワードの声が蘇る。
・・・あぁ、そうだな。
人間とはなんとちっぽけなんだろう。
子どもを守れない、守ろうとしない大人は、
人間ですら無いのかも知れない。
「アル。話があるんだ。」
東方司令部に程近いその宿は、安いながらも料理が美味しかったし、
何より、アルフォンスに詮索の目を向けない主人が気に入ったのでよく利用していた。
朝早く東方の駅について、エドワードは1人で司令部に向かった。
いつもなら、到着の連絡を入れれば、
「おかえり」と言って「いつまでいられるか」と尋ねられるのに、
今回は、「1人で司令部に来なさい」と嫌に落ち着いた声で言われた。
そんな事を普段の口調で言われれば、「ふざけんな」と言う事も出来ただろうけれど、
緊張は、電話越しでも十分伝わっていた。
アルに宿の手配を頼むと告げて、1人で司令部に行った。
普段と同じ道であるのに、足がなぜだか、重い。
ガチャリ
無駄に重たい司令部のドアを開けて、
ただ、それだけで、
なんだか全てが分かってしまった。
いつも余裕をぶら下げたような顔の大佐は、
目を伏せて、堅い机に腕を乗せて、顎の下で手を組んでいる。
その顔は、不機嫌でもなく、落ち込んでいるのでもなく、
ただ
悲しそうだったから。
いつも笑顔で迎えてくれる中尉は、
唇を少し噛んでいたし、
「よう。大将。」なんて言って、頭を撫でる少尉は俯いている。
ああ、そうか。
自分は戦場へ行くのだ。
誰に言われた分けでも無いが、そう唐突に理解した。
ここの人たちは、軍人であるのに本当に優しいから。
深い悲しみの中に、やるせなさや、怒りや、後悔が入り混じっている。
きっと、自分の為に無理な働きかけをしてくれたのだろう。
「どこに配属されるわけ。まぁ、どこでも大差ないだろうけど。
今だったら、南部?不穏な動きがあったんだっけ?」
わざと軽く言ってみると、皆が驚いたように顔をあげる。
分かるさ。と手を肩ほどにあげてワザとおどけてみせた。
「・・・これが召集令状だ。」
カサリと乾いた音と共に、ご丁寧に赤い紙が渡される。
赤い紙に白抜きの文字。
「鋼の錬金術師、エドワード=エルリック。南部殲滅戦、特別部隊への派兵を命じる。」
低く擦れた声と共に立ち上がったロイが言う。
今まで、敬礼なんて一度もしなかったけれど、
軍の役割を今まで見たことのない顔でする大佐になら、
選別にしてやってもいいと思った。
「了解しました。」
エドワードは、アルフォンスに全てを話した。
自分が南部殲滅戦に出兵すること。
今日、大佐に召集令状を渡されたこと。
司令部の皆はやっぱり優しかったこと。
・・・アルフォンスは連れて行けないこと。
「なんで?!なんで何時も1人で背負い込むのさ。
兄さんが国家錬金術師になったのは、戦争に行くためなんかじゃないでしょ。
分かっていた事かもしれないけど、僕は嫌だ。
兄さんだけが苦しむ事が分かっているのに、1人でなんて行かせられないよ!」
ガシャリと音を立てて立ち上がる。
表情なんて分かりはしないけれど、きっと
悲しくて、怒っているのだろう。
鎧の肩が揺れているのが分かる。
「ねぇ、1人で行くなんて言わないでよ。いつも2人で居たじゃないか。
兄さんが傷付くくらいなら、僕は一生鎧のままで構わない。
国家錬金術師の資格も必要なくなる。
だから、・・・お願い。」
荒げていた声は、何時の間にか小さな子どもを諭す母親のような声で。
ゆっくり、「お願い」と繰り返す。
お前の願いは全部、全部聞いてやりたいけれど、
その願いは聞けない。
「ごめん、アル。もう、決めたことだから。」
どんな言葉でもお前を納得させるのは無理だと思う。
ごめん。ごめんな。ごめんなさい。
何度繰り返しても、きっとこれは俺のわがままだから。
俺は、お前が鎧のまま過ごすことを我慢できない。
お前に身体を取り戻してやりたい。
そのためには、どんなこともすると決めた。
ごめん。ごめんな。ごめんさない。
それは、お前の為だなんてこと言うわけではなくて。
俺がつらくて、悲しくて、苦しいからだ。
お前の為に人を殺すわけじゃない。
道を1人で決めてきたなんて思わないけれど、
「母さんを蘇らそう」
そう言ったのは自分。
「戦場へ行く」
そう決めたのは自分。
もし、祈ることがまだ俺に許されるならば、
弟の幸せを。
罪は全て自分の上に。
この優しい弟には、欠片も与えたくはないのです。
俺が消すだろう命にも、
大切な人がいて、大切に思われて、
母親がいるのだろう。
お前を失いたくない俺が、
命を屠る。
母を蘇らせる本当の罪など知らなかった。
罪を罪と知って人は尚も犯せるものなのか。
罪を罪と知って犯すことの罪深さよ。
優しい人たちのその上に、
優しい星明りが降り注ぐように
俺を許さないように
許さないように
きれいな きれいな ガラス玉は
まるくて 壊れやすい
欠けたときは とても 澄んだ音がする
欠けた 場所は 鋭くとがって
さらに 強い光を はなつ
集めた破片は
どこか美しいけれど
人を 刺して
血 を 流させる
消された目次