「・・・・・アイス食べたい」
一本の映画を見終わった後の清々しい余韻の中で、
ぽつりと妻はそう言った。
君の願いを叶えよう
遠い親戚の人に、ごく普通の会話の中で(その内容はもう忘れてしまったけれど)
きっと特に話のネタに尽きたからだと思うが、お勧めの映画を教えてもらった。
彼女は、仕事を始めたばかりでそのストレスも相当なものだったらしく、
唯一の趣味と言える映画鑑賞がどんどん増加しているのだと嘆いていた事を知っていた。
「そうねぇ・・・・最近だと」
聞いた映画の題名。
それを今、目の前にした。
ブラリと立ち寄ったレンタルビデオ店にずらずらと並べられたそれら。
最近では専らDVDが勢いを増しているが、
見ぬ降りをしているように並んでいる旧作のラベルの褪せたビデオたち。
彼女が「最近の」と前置きして教えてくれていた映画は、
すでに多くの人の手に渡り、その余暇時間を楽しませ、
そしてラベルが色あせながら、今、私の手の中にある。
明日は久しぶりの休日で、少し夜更かしも良いかと思っていて。
朝早くからデートというのも捨て難いのだけれど、
ダラダラと怠惰に任せて、一日中いちゃいちゃして過ごす事にしていた。
「まぁ、観るのもいいか」
軽快な音楽と美しい風景。
そこに描かれる人間のドラマ。
動く主人公の女の子は、クルクルとした髪が愛らしく活発でとても好感が持てる。
とてもお金持ちの少女であるのに、まったく気取ったというところがない。
あの権力にまみれている軍の上官殿か彼女のように・・・いや、気味が悪いので想像はするまい。
そんな女の子の一番の親友の少年は、とても正しい少年である。
片親であるが故の貧しさもあるが、それでも病気を持つ母親を支えるとても健気な一面がある。
まぁ、よくある話といってしまえばそれまでで、
お金持ちの女の子の両親は仕事に忙しく、あまり娘に関わらない。
病気を持つ母親のために働く少年。
この映画は、かの児童文学の名著が原作らしく、
なるほどと思えるような、納得させる展開と、分かりやすい構図。
それでいて飽きさせないエッセンスが散りばめられている。
もし、これが子どもの枕元で読まれる物語だとしたら、
とても楽しい夢が見られるだろう。
いや、続きが気になって、「もっと」と強請られてしまうかも知れない。
話は女の子の成長と共に「胸がいっぱいで」と家族の絆に言及しながら、幕を閉じた。
もちろん、最後のもうひとオチは児童文学の「ハッピーエンド」を物語らせた。
どこか暖かいような、清々しいような。
それでいて、考えさせられるような内容に、ほぅと息を付いた。
気付けばもう遅い時間になっているし。
一緒に並んで見ていた妻も「ほぅ」と息を付いたので、少しだけ笑ってしまった。
「さて、そろそろ休もうか」と髪にキスを贈ってみれば、
妻は、一言呟いた。
「・・・・・・アイス食べたい」と。
物語の中で少年が仕事をしていたのが、アイス屋さんで。
話の経過にいろいろとアイスが出てきていた。
少女の歌には、
「ズッキーニ」「それは八百屋さんだよ」「なら私はバニラ!!」と。
「オレンジ味はビタミン」で「レモンは歯にいい」らしい。
ころころと愛らしい笑顔で、女の子は歌っていた。
そして、仲直りには、イチゴたっぷりのストロベリー。
もちろんサービス満点、三段重ねの。
確かにアイスクリームはたくさん出てきていて。
それはもう、美味しそうではあったのだけれど・・・・。
「・・・・アイス・・・・食べたいなぁ」と。
うるると瞳を揺らしているのは、確信犯の証だと分かっているのに、
どうも自分はこんな妻にすこぶる甘い。
「・・・・・・三丁目のアイスパーは何時までだい?」
「もっちろん!24時間オールオッケー!!!」
すっかり寛いでいた部屋着に、ふわりと上着を羽織る。
ご機嫌な妻の様子に、まぁいいかと甘さも満点である。
ポケットに適当にお金を突っ込んで、鞄も持たずに立ち上がる。
まさにウキウキという様子の妻は、それでもとお気に入りのサンダルを靴箱から出した。
細く白い線と、ピンク色のビーズが花を飾る。
私は適当に出してあった外履きのサンダルに足を入れた。
いつもは外を手を繋いで歩くなんてとても恥ずかしがるくせに、
妻は手を繋ごうと、ふわふわしている。
楽しそうに、くすくす笑いながら、カツリと鳴る妻のサンダルと、
砂をジャリリと鳴らす私のサンダル。
「さっきの話・・・・面白かったかい?」
陽気な妻に合わせて、何か会話をと思い、
もちろんこの急なデートのきっかけともなった映画の話をした。
「もちろん」とはいかないまでも、否定的な声全く持って想像していなかった私に、
妻は、「あぁ・・・うんとね」と少し苦笑を交えてそう言った。
会話の選択は間違っていなかったと思う。
それでも、妻はにこにこから、少し困った顔になった。
繋いでいた手に少しだけ、力がこもった。
「ロイってお金持ちだったろ?」
「うん?・・・・まぁ、それほど裕福ではなかったけれど、
生活に困った記憶はないが?」
そっかと妻は言って、スルリと手が離れたと思ったら、
少しだけ前にトトッと進み、その身体をくるりと回転させた。
羽織っていた上着が、ふわりと揺れる。
「・・・・お金に困った事もないし、もちろん愛情を疑った事も無い。
それでも、母さんは父さんに帰ってきてもらいたかったんだろうなぁって」
「・・・・・そうか」
前にいる妻の手をもう一度とる。
首を傾げるようにして、悲しい瞳を一度だけこちらに向けた。
「でも・・・・ロイに出会えたし、あの子と少年もきっとずっと仲良しで。
家族もね・・・これからは、一緒の時間もいっぱいだろうし。
だからね・・・・アイス食べたいでしょう?」
ふふっと今度は笑った。
論点はいろいろと飛んでいて、考えて言葉を選ぶ妻にしては、
少しだけ珍しいと思える様子だった。
それでも言いたい事は十分に伝わったので。
「そうだね・・・・私にはエディがいるし。
子どもが生まれたら、映画の原作を読んでやるのもいいかも知れない」
「そしたら、今度は子どもとアイスを買いにいかないとな!!!」
いい終える前に妻が走り出した先には、暗い道の先にある色とりどりのライト。
それは赤や青でアイスクリームを模っている。
三段重ねのアイスクリームを選ぼう。
溶けてしまって食べるのが難しいなら、カップに入れて。
ミルクが苦手だというのに、バニラが好きという妻は、
二色をバニラに決めて、もう一種類に頭を悩ませている。
どうせ決めかねて、「・・・・どうしよう」と助けを求めてくるのは分かっているので、
こちらは妥協案を提示。
「私は、オレンジとストロベリーとレモンを貰おうかな」
「あっ!!!」
「分けっこして食べないかい?」
「・・・・・うん」
君が好きなアイスの種類は決まっているのだから、
後はチョコレートを選択すれば完璧。
さて、次に物語の後でこの店に来る時には、
自分は何味を選択しているのだろう?
きっと、ガラスケースに届かない子どもを抱き上げて、
「どれがいい」と聞く君と一緒に悩んでいるのだろうね。