いつだって子どもの世界はキラキラの宝石箱に満ちている。
眩しいくらいの朝の光りも夕焼けのどこまでも赤く染める光りも、
大人が目を瞑ってしまいそうなそれを必死に、瞳に焼き付けるように。
【金色の宝石箱】
トントンと朝ご飯の準備がされているのだろう音がリビングに響いていて、
ふわぁとあくびをしながら洗面所を目指す。
昨夜は遅くまで起きてしまっていたけれど、今日は朝から出かける用事があるのだ。
ひんやりとする廊下を進んで棚からフカリとしているタオルを手にする。
清潔に保たれた洗面所には一輪挿しの金木犀の香りが爽やかに満ちている。
ふぅとどこか寝ぼけていた頭を切り替えるために小さく息を吐いてから、
冷たく感じる水を勢いよく手に当てて、パシャリと掬い顔を洗う。
ブブィィと細かく振動する電気剃刀を手に持ち、余り濃くは無い髭を剃る為に備え付けの鏡を覗く。
在り来たりな朝の風景で。
毎日、繰り返される日常の生活。
ウィィと名残を惜しむように振動音が切られると、確実な目覚めが近づいてきた。
そこに、トトトッと駆けている二重の足音が響く。
あぁ、もうそれだけで顔が緩んでしまうのを自分は止められないのだから仕方ない。
この世で何にも代えられない大切な存在。
愛しい娘の足音が響く。
幸せに顔を緩ませながら柔らかいタオルで顔を拭いていると、
くっと服を後ろに引っ張られる感じと、娘の声がした。
「どうしたんだい?」
「あのねっパパ!!お空に金色の雲があるのよっ!!!」
早く早くと急かされながら、リビングの庭に面している大きなガラス窓の傍に案内される。
服の裾をしっかり握りながらこけてしまうのではないかと心配する程に慌てた様子で急ぐ娘。
「ロジー遅いよっ!!早く!!」
「だってパパが遅いんだもんっ!!」
ガラス窓の前でこっちこっちと手招きしているのはもう1人の娘。
先ほどの足音のもう1つ主だろう。
こちらは妻を呼びに走っていたらしく、エプロン姿の妻が娘の横に立っている。
「金色の雲なんだよ!!」
「キレイねぇ」
まだ消えてなかったねと笑って、ほらパパも見てと窓の外を指差している。
小さな娘の小さな手が指差す方向に光り輝く雲が確かにあった。
「・・・・キレイだな」
その雲は一つだけぽっかりと空に浮かんだように見えて実はそうではなかった。
今日の空は秋晴れというには不十分で、一面を薄い雲に覆われているような天気なのだ。
そんな一面の薄雲が一箇所だけぽっかりと空いていたのだ。
雲の上から光っている太陽の光りがその隙間から差し込んで、
まるでそこに一つの金色の雲が浮かんでいるように見せていたのだった。
周りが「空」ではなく、「雲」で。
浮かんでいるのが「雲」ではなく、ただの「隙間」なのだと。
雲が光っているのではなく、狭間に太陽の光りがあるのだと。
言えばきっと簡単なこと。
けれど、金色の雲を見上げる小さな子どもの目の輝きと、
一瞬先に消えてしまうかも知れないそんな貴重な風景を一生懸命走って知らせてくれた嬉しさと。
そんなモノを無かったことにはしたくなくて、
自分は少しだけ笑って娘の髪を優しく撫でていた。
隣の妻もきっと金色の雲の正体に気付いているのだろうけれど、
優しく微笑ながら娘の体を後ろから抱きしめるようにして床に膝をついている。
いつだって子どもの世界はキラキラの宝石箱に満ちている。
眩しいくらいの朝の光りも夕焼けのどこまでも赤く染める光りも、
大人が目を瞑ってしまいそうなそれを必死に、瞳に焼き付けるように。
いつかその空の遠さに愕然としたり、夕焼けの赤に恐れを抱く日も来るだろう。
けれど、この時の感性はきっとこの子たちの宝ものになるのだろう。
「あぁ、本当にキレイだ」