金木犀の香りが貴女を攫う。
母は言った、「あなたがお嫁に行く姿はどれほど可愛らしいかしら」と。
母は言った、「ウエディングドレスはたくさんのレースでつくろうね」と。
大好きな母は、いつも儚げに笑う。
傍に居る時は、失う時をまるで考えもせず、
貴女にひどい言葉を言ったこともあった。
甘えて腕の中で眠ったこともあった。
夜中に暖かい毛布を掛けてくれたのも知っている。
優しく髪を梳いて、「大好きよ」と言ってくれたのも
眠ったふりをしながら聞いたのだ。
確かに、傍にいたはずの貴女が
なぜこんなにも冷たいのか。
私は言った、「大きくなって楽をさせてあげるから」と。
母は笑って聞いたのに。
父のいないこの生活が、子どもながらに大変だと思うから。
自分が絶対に私が感じる幸せ以上に貴女のために。
金木犀の香りが貴女を攫う。
甘く香るあの香りが、人を死へと誘ってしまう。
あぁ、どうして見せられなかったのだろう。
あぁ、どうして何もしてあげられなかったのだろう。
もっと話を聞けばよかった。
貴女が話す言葉よりも、忙しいと言い続けた日常に大切なものなどなかったのに。
もっと話をすればよかった。
もう話せないいろいろなことは、貴女に答えをもらいたいものばかりなのに。
後悔は後からしか追いかけてこない。
貴女は人を愛すことを、その身によって私に教えたというのだろうか。
後悔などしない付き合い方を、
失って初めて気付くようなことはもうないようにと。
あぁ、そんなことよりも。
ずっとずっとその暖かな腕の中にいられればよかったと思うのは
自分がまだ貴女の子どもでいたいと心から願うから。
十月は、近いしい人の大切な人を多く失いました。
昨年は、兄の同級生が21歳という若さでこの世を去り酷くショックを受けました。
狭い田舎の事。
兄の同級生である彼についてもよく知っていて、
優しく強い本当に正しい人でした。
その彼の弟と同級生で、彼は今どうしているのかと辛くなりました。
お葬式で母親が、「金木犀の香りを嗅ぐことなく息子は逝ってしまった」と言ったという。
自分よりも先に息子が居なくなることは、どれほどの苦しみだろうか。
その彼は離婚しても子ども三人を引き取ってくれた母を本当に大切にしていたという。
自分の手で幸せにするのだと。
そんな彼が世を去るときに何を思っただろう。
きっと泣いたであろう母を見て、何を思っただろう。
悔しかったのか、悲しかったのか、私には分かることはないのだけれど、
思わずにはいられない。
同級生が何日も病室に続いて、葬儀も同級生の涙に送られたのだという。
そして、今日。
この十月に私の同級生の子の母親が亡くなったという。
あまりに頑張りすぎる彼女は、今、何を思っているだろうか。
そしてまた、金木犀が香っていた。
私は金木犀が好きだった。
秋の寂しい帰り道にそよぐあの香りが好きだった。
でも、
この香りは死の香り。
近しい人の泣き声が聞こえてくる。
この香りを嗅ぐことなく消えていった命と
誘われるように消えていった命を知ってしまったから。
金木犀が香る時