トリシャ・エルリックはいたって普通に振舞っているように見えた。

よく笑い、優しい声音で子どもたちに接している。

その姿は明るい家庭そのもので、軍人たちはツキンと痛む胸と共に、

そんな時間があったのだと納得した。

 

これが姉弟が取り戻したいと願っていた時間。

そして二度と手に入れる事ができないと絶望した時間。

 

「つらかっただろう」と思ってはいたけれど、

目の当たりにすることでそれはより強く感じられた。

そして、「失わせてはならない」とも。

 

 

軍人たちは計画を起こす。

何よりもまずしなければならない事はトリシャ・エルリックの病気についてである。

それが全ての原因であり、それを取り除かなければならない。

 

 

 

 

「すみません、トリシャさん。突然お邪魔してしまって」

 

「いいえ、こんな田舎では随分と不便でしたでしょう?」

 

暖かな夕食を家族のテーブルで囲んだ。

メインのホワイトシチューは野菜がたっぷりと入ったもので、

「母さんのシチューは美味しいんだ」と何度も恋人から聞かされていたので、

まさか、食べられるとは思っていなかった。

 

8年前の少女も、熱いシチューを冷ましながら、口に運んでいる。

急ぐものだから、スプーンを落としそうに成るたびに、横の母親は、

「しょうがないわね」と零れたシチューと口の周りを丁寧に拭いてやっていた。

照れ臭そうに笑うその子の顔は、心底安心しきっていて、

『あぁ、これが本来の子どもらしさなのだろう』と思わずにはいられなかった。

 

 

子ども達を寝かしつけた後で、トリシャは暖かい紅茶をリビングにいた4人に振舞った。

村のリンゴ作りの名人がつくったアップルティなのですよとにこやかに。

湯気が立つそのカップからは、甘いリンゴの香りが立ち込めていた。

 

 

 

「トリシャさん。貴女にお伺いしたい事があるのですが」

「はい。何でしょうか」

 

切り出した声に、3人の表情が変わった。

手にしたカップを同時に下ろす陶器の音が止むのを待って、

話を切り出した。

 

「不躾で申し訳ないが、体調が思わしくないような事は?」

「あら、本当に不躾ですのね」

 

いっそ「くすくす」と笑い出しそうに言葉を返してくる女性に、一度唖然とする。

目の前の女性が「母親」以外の面をこちらに向けているのだと、そう感じる。

 

「どうしてあなた方が知っていらっしゃるのか知りませんが、

 私は、もう長くはないの。えぇ、それは事実です」

 

死を前にしていると、目の前の女性は事も無げに話す。

それに反応したのは、隣に座っていたハボックだった。

 

「って!子どもがいるんでしょう!!」

「少尉、声が大きいわ」

 

止めるホークアイの声に、姉弟が眠っているだろう二階を目線で気にしながら、

立ち上がった腰を再びそのイスに戻した。

 

一つ離れた席にいたヒューズは、ゆっくりと眼鏡をかけ直して、

ハボックの肩をぽんぽんと叩いてやっていた。

誰もが思ったのだ。

それでは、あの姉弟が可哀想だと。

 

突然の母親の死があの子たちの運命を狂わせたのだと、そう思っていたから。

それを何の事でも無いと言うように言った女性が許せなかったのかも知れない。

 

「俺にも子どもがいるんだ。まだ小さいけれど、置いて逝くには早すぎる。

 そして、貴女の子どももそうではないですか、トリシャさん。

 治療を受けるべきです、あの子たちと共に生きる道を探すべきです」

 

再び、部屋に静寂が戻る。

並べられた陶器のカップには、まだ淹れられたアップルティがたっぷりと入っているが、

ずいぶん冷めてしまったことだろう。

前に座るトリシャだけが、そのカップを手の中に持ち、ゆっくりと口に運んでいる。

 

 

「あなた方は、どうして私たちの事を知っているのか分からないけれど、

 私が死ぬ事は変えようがないの。医者にも行ったわ、何度も、遠くにも。

 私だって・・・私だってあの子たちと離れる事は・・・とても辛いもの」

 

「それでも、何か方法が!」

 

「遠くの病院から帰って来たとき、あの子達泣いたの・・・もう、離れないといけないけれど。

 どうせ残されていない時間なら、少しでも傍に、あの子達を見てあげていたいの」

 

 

 

方法は無いのだろうか。

ぎりっと音がするように奥歯をかみ締める。

ゆっくりと流れる空間の中に、甘い香りが立ち込めている。

沈黙を破る女性の声は、とても穏やかなものだった。

 

「あなた方とあの子達はいつか出会うのかしら」

 

「・・・未来で」

 

「あらっそれでここに来てくださったの?

 ・・・死を止められなくて残念に思ってくださるのなら、あの子たちを頼みますと、

 そう言ってもいいのかしら」

 

 

「・・・未来を変えたいのです。あの子達が私たちのような軍人と関わらずに過ごせるように」

 

「あの子達は幸せではないの?」

 

 

曇った瞳に何を言ってあげればいいだろうか。

死んだ貴女を練成して、そして、弟は体を姉は足を失い、弟を取り戻すために、腕を失い。

そして、魂だけの鎧となった弟と、取り戻すための旅をしています。と?

 

 

「あの子達はいつも負けず嫌いで、突っ走ってばっかりで、心配ばかりかけて。

 それでも・・・私の大切な娘と息子です。きっと未来も変ってないのでしょうね」

 

置かれたカップは、白いソーサーの上に。

沈黙はこの母親にどう届いたのだろうか。

死を覚悟した彼女に、気休めでも「幸せに過ごしています」と伝えるべきだったのだろうか。

明るく美しく成長した娘と、逞しく優しく成長した息子さんがいると。

 

 

 

「・・・それでも前を向いていますよ」

「エドは無茶して、いつもアルに怒られてますけど」

「そうそう、家の娘と並ぶと姉妹みたいで」

 

 

 

ホークアイ、ハボック、ヒューズが声を出す。

 

『俺は不幸じゃないよ』といつか言った恋人は、

泣きそうだったけれど、それでも前を見ていた。

 

フラリとした足取りで執務室に来ては、弟に怒鳴られながら、

ソファーで眠り、誰かが彼女が眠るようになってから常時置かれるようになった毛布を

そっと掛けてやるようになった。

 

金色の髪をツインテールにしたまだ幼い少女と並べば、

年相応に笑い、そして、姉のように振舞うのだった。

 

変えてやりたいと願った日常に、

明るい彼女がいる。優しい弟がいる。

確かに、辛いと言う事のない毎日は、

大人の心を抉りはするが、それでも2人は歩いている。

 

 

 

「これから未来が変わっても、変らなくても、私はあなた方と子ども達が出会って欲しいと。

 そう望みます。」

 

 

 

 

 

それからの一週間を共に過ごした。

 

晴れた日は庭で遊び、せがまれるままに、ブランコを押した。

雨の日は室内で読書をして、聞かされる錬金術の話に、ハボックは混乱した。

髪を梳いて、白いワンピースを着たエドに、ホークアイは姉のように接した。

ヒューズがアルを肩車してやれば、エドもして欲しいと訴えたが、その役はロイが奪った。

 

庭に花を植えて、いつ目が出るのか話し合った。

水撒きに草むしり、洗濯も手伝った。

 

そのどれも、どれもが切なかった。

 

 

 

「悲しいですね」

 

ポツリとハボックが呟いた。

目の前には、取り合うようにして洗濯物をカゴから出して、母親に手渡す姉弟の姿。

どんなに自分たちに懐いてくれたからといって母親に勝てるとは思えない。

 

その結末を自分たちは知っている。

それでもそれをどうしようもないのだ。

母親とて、その悲しみを隠そうとしながら、それでも悲しんでいる。

制限付きの愛ではないのに、その時間は刻々と近づいているのだから。

 

 

 

「人体練成だけは止められないだろうか」

「母親の死をきちんと受け止めさせる事が大切かと」

「・・・難しい問題だな」

 

 

我々は軍人。

命のやり取りは何度も経験した。

奪う事も、奪われる事も、日常に近い場所にあるのだ。

それでもその理由を問われれば、躊躇する自分がいる。

死を理解することも、説明することもとても難しいことなのだ。

 

 

      ☆☆☆

 

 

 

「「かあさん!!!」」

 

突然、思考の中に姉弟の叫び声が飛び込んだ。

顔を上げれば、白いシーツを落とし、その場に倒れこんだトリシャと二人の姿。

4人は駆け寄り、トリシャを抱き上げる。

 

(おかしい、時間が早まっているのか!!!)

 

以前にエドから聞かされていた母親の臨終の瞬間は、違っていた。

外から帰ると母親が家で倒れていたと。

 

(くそっ!!私たちが居るせいで、時間が歪んでしまったのかっ?!)

 

警戒していた一日とは違う形で、その時を迎えているのかも知れないと焦る。

ハボックが彼女を抱えて、家に戻り、そしてベッドに寝かした。

呼吸は荒く、手足が冷たい。

 

 

「かあさんっ!!」

 

すがりつくようにして泣き出す2人に、「大丈夫だ」と声を掛ける。

 

どうすればいい?

まだ2人に何も伝えてはいない。

これから起こる事をどうにか回避させなければ。

 

 

「大佐っこれは・・・」

「なっ・・・!!!」

 

体が透けている。

顎に当てていた自分の腕を目の前に持ってきても、その先で泣くエドが見える。

 

「どうなっているんだっ」

「時間がっ・・・時間がないのでは?!!」

 

 

元の時代に戻る?

まさかっ!こんなタイミングで。

ほとほと自分は神さまと言うものに嫌われてしまっているらしい。

 

考えなくてはならないものは数多あって、

それでもそれを伝える時間は限りなく少ない。

 

 

 

「エディ!!!いいかよく聞くんだ」

 

泣いている二人の肩を引き寄せて、その視界に入る。

言わなければならない。伝えなければならない。

たとえ、未来に出会わなくても。

君は、幸せになる方法がある。

 

 

 

「いいかい。これから君たちに酷く悲しい事があっても、自分を見失ってはだめだよ。

 自分の力には限界がある、君たちには出来ないことがたくさんあるんだ。

 それを見なければ、もっと辛いことが起きるかも知れない。それを忘れてはいけない」

 

「悲しい・・・こと?」

 

「いつも・・・いつも守ってあげたいのに、すまない。

 ただ、君を愛して」

 

 

声がでない。もう、体は消えようとしている。

ここで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      ☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

「大佐っってば!!おぉい!!」

 

 

「エディ・・・?」

 

 

何でそんなところで寝てんだ?

問われて、目を開ければ、そこは見慣れた場所。

背の高い一本の木も、それにぶら下がったブランコもない。

ここは、司令部の・・・中庭?

 

 

「なんで皆で・・・昼寝?」

 

軽く痛む頭を押さえれば、そこに寝転ぶのは、私を初めとして、

ハボック、ヒューズ、そして、ホークアイの3人。

 

「中尉まで昼寝って珍しいよなぁ」

 

とりあえず、私を殴って起こしたのだろう恋人を見つめる。

今まで・・・そう今まで、小さかったような・・・。

 

「小さくなっ「誰が豆のように小さすぎて見えないドチビかぁぁぁ!!!」

 

 

その声に、あとの3人も目を覚ます。

キョロキョロと現場確認を終えた後で、エドを見る。

 

白いワンピースではなく、赤いコートに黒の上下。

可愛く結ばれた長い髪ではなくて、後ろに三つ編み。

そして、手袋とブーツの下には、少女が背負う機械鎧の罪状。

 

 

「夢ではなかったようだが・・・」

「止められなかったんスね」

「結局、何も出来なかったって訳だ」

 

 

「なっなんだよ皆・・・」

 

起きてすぐに落ち込むような仕草をする軍人たちに、驚いたのはエドで、

何か言ったかなぁと自分の言動を振り返る。

 

 

「君を守ってあげられなかったなぁと・・・思ってね」

 

苦笑するロイに、エドは分からないという表情で応える。

 

 

4人の様子に、おぼろげな映像が重なる。

いつだったか?ここで?

いや、違う。あれはもっとずっと前。

 

母さんがいた。アルもいた。

庭の木にブランコがあった場所で・・・。

 

 

 

「でも・・・俺、いつも守ってもらってるよっ」

 

 

 

記憶にある優しい軍人さん。

名前は覚えていないけれど、それでも遊んでもらった事は覚えている。

それが、どういう訳か、

ここにいる4人にそっくりな雰囲気なのだけど。

 

そして、突然消えてしまう前に、言ってくれたのだ。

「守ってあげたい」と。

 

自分は、守ってもらえるような大層な身分ではないし、

今となっては罪人であるから。

あの時の軍人さんを探したいけど、過去を知っている人に会う事はできない。

それでも、ここにいる4人は、きっと同じくらいに自分たちの事を気にしてくれて、

そして大切にしてもらっていると感じる。

 

 

 

 

 

 

カタカタと回るのは昔を映し出す機械。

古ぼけ、色あせた写真の連続は、まるでその人がそこに居るかのような動きを見せる。

カタカタと動きながら、しかし、確かにあった笑顔を映す。

 

 

消えてしまった過去。

それでも、その時間は確かに存在していたものだから。

 

悲しかった事も、無く成してしまいたい物もきっとあるけれど、

それを抱いても、暖かくなれる場所を自分は知っているから。

まだ、歩けるよと。

 

 

 

「素敵な人に出会うのよ、だから、かあさん心配していないわ」

 

 

 

最後に母さんがいった言葉の出会いは、誰の事か分からないけれど。

それでも、母さんに紹介したい出会いはたくさんあるから。

今度、一緒にリゼンブールに行って欲しいと頼んでみようかと思う。

 

 

自分の本懐を遂げてから。

母さんに会いに帰ろう。

 

私の大切な人なんですと紹介する為に。

ありがとうの部屋

記憶の連鎖 2