声にだしてみた、ゆっくりと。
とても小さく、ただ自分にだけ聞こえるように。
声に出すというのは、それを誰かに伝えたいからだと思う。
そうでなければ、自分内だけで唱えていればいいのだから。
何度も何度も自分の中で繰り返して唱えた言葉があった。
それは決して忘れてはならない願いであり、
叶えなければならない目的でもあった。
それを自分は放棄してしまう事などもはや出来ず、
また、しようなどとは思うはずもなかった。
誰かに届けたいのではなく、
自分の中にあればいい言葉。
それとは別に。
ゆっくりと唱える。
ゆっくりと唱えてみた。
『さよなら』と。
きゅっと胸が痛くなるのは、どうやら自分がおかしいからのようだ。
こんな欺瞞な考え方をしているというのに。
まだ何も成していないのに?
言い続けた言葉を「偽り」にしてしまうの?
それは、誰に向けた言葉なのだろう。
消えるならば何も言わずに消えてしまえばいいというのに。
「さよなら」なんて、残されて、
誰が喜ぶのだろう。
それが翌日までの繋ぎの言葉でないなら尚のこと。
「さよなら」の次に「また明日」と言う。
それは、幼い頃の友達との会話。
明日会うことに何の疑問も、
どんなに幸せな事かも知らなかった頃の。
幼い自分の言葉。
冷たくなった母に「さよなら」とは言えなかった。
もう二度と会えないなんて信じられなかったから。
あの時、「さよなら」と言えていれば、
自分は過ちを犯さなかったのだろうか。
再び会いたいと願った母は、
その姿を歪に曲げて、酷い血の匂いとともに、目の前にあった。
しかし、それは母ではなかった。
そう思いたいのは自分だけで、
それでも、二度殺した母だったのか。
『さよなら』と唱える。
ゆっくりと声色に乗せて。
誰に届けるつもりなのか、この言葉を。
「また明日」と言える相手などいない。
旅先で出会う多くの人にも。
故郷にいる幼馴染にも。
・・・優しすぎる軍人たちにも。
そして、隣にいる鎧姿の弟にも。
自分が『さよなら』と言ってしまえば、
この関係は脆くも崩れさってしまうだろう。
そんな危うい均衡の中に、
立っているのだから。
暖かくされた部屋に1人。
ストーブの上に置かれたヤカンからはシュンシュンと湯気が上がり、
窓は薄くくもっている。
外に出れば冷たい大気を胸に満たし、
また進まねばならない。
それでも、
この守られていると感じてしまう暖かさの中で、
『さよなら』と唱える。
旅先で出会った人たちと
故郷の人たちと
いつか残してしまうかも知れない弟と
・・・優しすぎた軍人と
言うことはできないだろうけれど、
愛しく思ってしまった黒髪の男へ
その時には『さよなら』なんて残さない。
だまって消える。
何も残しはしないから。
届けるはずの『さよなら』を1人で唱える。