故人に報告、手土産は酒
美しいバカラのグラスと値の張るウイスキーのボトルを置く。
冷たい土に胡坐をかいて座り、墓石にチンとグラスを合わせる。
月は丸まると育ち、あたりをぼぉっと照らしている。
まぁ、こんな夜があってもいい。
花束でなくて、酒を片手にお前に会いに来たのだから。
今日はお前と飲もうと思う。
随分と心配ばかりをかけてしまっていたから。
私は結婚するよ、大切な人とね。
いつも煩い程に電話口でお前は言っていたな「嫁をもらえ」と。
それは愛妻家のお前らしく、「嫁自慢」に隠れてしまっていたけれど、
その時の声だけは、変にお前らしくなく、真剣だったなぁと今ならそう思うよ。
本当はね、守れるかどうかとても怖いのだ。
大切なモノが増えるほどに失う悲しみが怖くなる。
この両手の中にどれだけのものが抱えられるだろう。
本当に私は彼女を幸せにできるだろうか。
お前のように。
彼女は、とても一生懸命に生きている人だから。
強さも弱さも何もかもを自分で背負い込んで進んできた人だから。
あの強い輝きをそっと休められる場所になればいい。
そうなれればいい。
かつてお前がそうであってくれたように。
人を殺して、その地位を高めてきた自分は、酷く汚れた存在だとずっと思ってきた。
そんな自分が、まさかこんなに人を愛す事ができるなんて、あの時の私は信じられなかった。
今なら、お前に言ってやれるのに。
「本当に大切な、愛する人がいるのだ」と。
とても暖かくて、腕に抱くだけで幸せが溢れてくるんだ。
幼い頃の、
まだ世間がどんなに汚いものであるか、どんなに恐ろしいものであるかなんて知らず、
正しい事と悪い事が綺麗に分かれているのだと思っていた頃は、
優しいだけの綿に包まれていたけれど。
自分はもうとっくに大人になっていて、
この世が綺麗なことばかりではなく、
正しい事が間違っていて、間違った事が正しいとされる世の中で、
その区別は大人になるほど境界を曖昧にしてしまっているけれど。
それでも、離したくないと。
この腕の中の人だけは、きっと自分を裏切らず。
そして、私もまた、この腕の中の人のためなら、世界を敵に回す事さえ厭わない。
どんなに世の中が曖昧になろうとも、
きっとこれだけは正しいことなのだと言える相手を見つけたんだ。
「遅いんだよ」ときっと笑っているだろうか。
そうだな、随分と遠回りをしてしまった。
お前に、妻自慢をしてやれないことが悔しい。
なぁ、ヒューズ。
俺はお前のように生きたいと思うけれど、
お前のように死にたくはないと思うんだ。
お前のように周りを諭し、励まし、どんな時も信念を曲げず歩いていけたらいいと。
泣く子どもを腕であやして、怖気づいた者の背中を押してやる。
痛むものに腕を貸し、悲しむ者と酒に付き合う。
お前がいつもそうだったように。
けれど。
私は、妻となる彼女を置いて先に逝きたくはない。
まだ幼い子どもを残して逝きたくはない。
それは、きっとお前もどんなにか願ったことだろう。
『ばぁか・・・あったり前だろうが』
そうか。
そうだな・・・・だから私は、生きようと思うよ。
お前の分もなんて陳腐な言い方は好まないが、
それでも、「あぁいい人生だった」と笑えるくらいには図太く生きてやろうと思う。
ぐぃと酒を煽る。
幸せになるよ、親友。
お前が示してくれた、絶対に心を許せる存在に気付いたのだから。
フワリと風が通り抜けて、ざざっと囲むようにして植えられている木々がなった。
自分は、錬金術師で科学者で。
科学で証明できないものなど信じるつもりはないけれど、
「お前が祝福してくれているのだ」なんて。
そのくらいの受け取り方をしてもいいと、そう思う。
なぁ、ヒューズ。