壊れたオルゴール
ふぁと欠伸を噛み殺しているところに上司と出合った。
それは仮眠室から廊下に出た先の曲がり角だったのだが、自分は大いに焦った。
もちろん、勤務時間中に欠伸をしている姿を上司に見られるというのは褒められたことではないし、
上司が佐官以上の出世株であることも考えれば原因になるのかも知れない。
しかし、自分が「眠っていた」もしくは「眠たい」のだと表してしまった事を。
また、それを「ロイ・マスタング」に見せてしまった事を。
自分は大いに焦ったのだ。
「あぁ・・・仮眠室上がりかね。休息は必要なのだから焦らなくともいいさ」
自分の上司ことロイ・マスタングはそう言って少し笑ってみせた。
自分よりも余程悪い顔色で。
・・・あんたの方が休息を必要としているのに。
ロイ・マスタングが休息を取ろうとしないのはどれくらい前からの事だったか。
立て込んだテロ事件や誘拐事件の処理が忙しいなどという業務によっての休息不足ではなく、
それは精神的な事なのだと部下たる者は知っていた。
「ロイ・マスタング」は一ヶ月前まで幸せの絶頂にいた。
長く思っていた女性と結ばれ、こちらが疲弊するほどの愛妻家ぶりを発揮し、
彼の周りには色とりどりの花が咲き誇っているかのような様子だった。
そして、めでたく妻の妊娠が知らされていた。
彼の妻たる人は「エドワード・エルリック」改め「エドワード・マスタング」となった人物。
クルクルと変わる表情が可愛らしく、流れる金色の髪が美しい女性である。
彼女がまだ幼かった頃からその歩いてきた道を知っている者達にとって、
彼女が笑顔で居られるということは、何よりにも増して嬉しいことであった。
そして、家族を望んできた二人に「家族」が増えることはみんなの喜びであった。
その日が訪れるまでは。
そうそれは一ヶ月前。
病院から届いた連絡に血相を変えてロイ・マスタングは駆け出した。
その時の運転手を任された自分でさえ、どうやってその場に辿り着いたのか分からないほどに急いで。
ドクドクとなる心臓の音と、静まり返った病院の静けさが酷く嫌に感じられたことだけは覚えている。
エドワードの病。
そして、それ故に子どもを諦めなければならないと知らされた2人。
嫌だと拒み続けたエドワード。
命を諦めるなんてあの子にとってはどれだけの痛みなのだろうか。
しかし、彼女を何よりも愛しているロイにとって、それ以外の方法が選べただろうか。
「エドワードが眠ってくれないんだ」
それは憔悴しきった上司から話された、本当に呟く程度の小さな言葉。
窓の外に視線を泳がせて、ぽつりとそう言った。
手術の前、どうしても嫌だといい続けるエドワードにロイは薬を飲ませた。
泣き続けた瞳は赤く腫れ、どんな食べ物も口にしなかったエドワードにロイは口移しで薬を与えた。
朦朧とする意識の中で、エドワードは最後まで「この子を助けて」と言い続けていたという。
目が覚めて胎内にあったはずの小さな命が、
生まれることなく消えてしまったという事実にエドワードの心は砕けてしまった。
「子どもを産めなかったことを覚えているのかいないのか・・・、
それでも眠る瞬間になると怖いと泣き出す・・・取らないで、いかないでと・・・。」
あの時の選択をどう考えても上司は「間違っていなかった」と言う。
子どもの成長を待つにはエドワードの病は進行しすぎていたし、もう待つことなどできない状況だった。
これ以上母体に負担をかければ、出産できたとしてもエドワードの生死は分からない。
悪くすればどちらも助からない可能性もある。
まだこの腕に抱く前ならば、子どもは諦められる。
しかし、エドワードを失ってロイは平静を保つ自信などどこにもなかった。
「間違っていなかった」と上司は言う。
ただ・・・「正しくもなかった」と。
間違っていないことが全て正しいわけではない。
正しくないことが全て間違いだと言い切れないように。
この二人の幸せを望まないものが居ただろうか。
居たとするなら神様・・・あんただけだ。
母親になりたいと望みながら母親になれなかった者と。
父親になりたいと望みながら父親になれなかった者と。
愛しい子どもは生きているのだからと奪わないでと叫び、心を乱した者と。
自らが子を奪うという了承のサインを薄っぺらい病院の書類に書かなければ成らなかった者と。
そんな2人を笑うものが居たならば、
それは神様・・・あんただけだ。