「こ〜ら!それに触っちゃダメだと言っただろう?」

 

 

 

堅苦しい軍の執務室。

木製のデスクと書類棚。ファイリングされた資料が重なるように配置されている。

それでも主の地位を訴えるように、床にはその他の部屋より上等な絨毯が敷いてある。

よく見れば室内の装飾も華美ではないが質の良い物だということが分かる。

 

そんな空間に頬を思わず緩めてしまうような情景があるという事をどれだけの人が信じられるだろう。

 

それよりもずいぶん昔に、軍に似つかわしくない金色の子どもが出入りしていた事を、

もしかして知っている者は思い出すのかも知れない。

肩の階級は少将を示す軍の高官の執務室に、ひょこりといるのは金色の髪をした2人の少女だった。

 

 

 

その日は妻がどうしても出て行かなければならない用事を抱えていて、

一日の有給を申し出ていた。

仕事も溜めずに片付けていたし、軍に出る事無く幼い2人の娘と共に過ごすことは決定事項であったのだ。

 

しかし、残り少なくなった上官の暖かい温情によって、

どう考えても急ぎではない簡単な書類が山のように届いたのもその日の早朝であった。

1つずつは確かに簡単な書類であるのだが、量が量であり、しかも要求している期日は目前。

電話で申し訳無さそうにそれを伝えた長年の副官に罪はなく、

どこまでも自分の足を引っ張ってくれる上官殿にそっと報復の思索を巡らす。

 

自宅に届けられないだろうかと尋ねたが、どうも量があるので無理らしい。

さて、困った。

今日一日は娘と共に過ごすと決めていたし、この連絡を受ける直前にすでに妻は出かけていた。

まだ夢の中にいる幼い娘は昨晩「何をしようか」と2人で今日の予定を決めていたようだし、

ここで「仕事だ」と言ってしまうのはどうも気が引ける。

 

「・・・軍に連れていらしてはどうでしょうか。幸い昨今は情勢も安定しておりますし、

 自宅に残されるよりは安全かと思うのですが」

 

 

 

執務室でそれなりに遊んだ2人は、ホークアイ大尉に勧められたジュースを飲んでいた。

来客用のソファーは大きく、小さな2人は座っていても足が床に付かないので、

プラプラと揺らしながら手に持ったグラスを落とさないようにジュースを持っていた。

 

ふと懐かしいような気がしたのは、娘の髪の色が妻の色と同じだからだろうか。

それとも禁句であった小さな姿が重なったからだろうか。

 

こうして自分が執務室のデスクで書類を片付けている時に、

彼女はよくソファーに座り、当時中尉であったホークアイ大尉にジュースを勧められていた。

 

軍にそれまで常備されていたのは、苦いお茶と薄いコーヒーだけだった。

余程の腕が無ければそれらを美味しく淹れるのは難しく、ただの眠気覚ましに飲むという代物だった。

それが、年の若いエドワードが姿を見せるようになった時、

誰が最初に揃えたのかそういえば聞いた事はないが、きっとホークアイかヒュリー辺りだろう、

白く大きめのカップとココア缶が給湯室に置かれた。

それはいつも連絡なく訪れる彼女の為に、日持ちがしながら口に合うものをと用意されたものだろう。

 

連絡があったときは、爽やかな香りがするオレンジジュースが運ばれて来たように思う。

彼女は果物が好きで、オレンジジュースも果汁が多いものを好んでいた。

それでも酸っぱ過ぎるのは苦手なようで、完熟の甘いジュースが好きなのだと言っていた。

 

その好みを彼女は付き合いだした時に自分に話したのだけれど、

「俺の好みなんて知らないはずなのに、出されるジュースがそうだったんだ」と、

嬉しそうにとても照れた様子でそう言った。

 

帰る場所をなくしたはずなのに、とても嬉しかったんだと。

 

 

いま娘が口にしているそのジュースは、きっと妻の好みであった物で、

娘を連れて来てはどうかと提案した大尉があれから購入したものなのだろう。

まったく副官の抜け目の無さは健在であるようだ。

 

 

妻の容姿と重なる幼い我が子は、

黒い瞳を今にも閉じてしまいそうにユラリと揺れている。

退屈だろうかと思ったが、仕事をしている姿というものが珍しかったのだろうじっと見ていたり、

中庭でハボックたちと遊んだり、片付けている書類を覗き込んだりと、

忙しく遊べたようだ。

 

程なくしてソファーに丸まるようにして眠ってしまった2人は、

すっぽりと小さな体をソファーに預けている。

その光景すらも、文献を読みふけりそのまま眠ってしまった妻を思い出させ、

ひどく優しい気持ちになった。

 

 

眠ってしまうエドワードの為に執務室に常備されていた毛布は、東方司令部時代のことで、

あれから時間が経過し、中央の執務室にはもう毛布は用意されていなかった。

エドワードは旅を終え、執務室で休息を取ることももうなくなったのだ。

そうして、今は自分の妻となり、ここで同じように眠っている娘の母となった。

 

カタリと音を立てた回転イスから腰を上げて、幼い娘の近くに寄る。

軍服の上着を脱いで娘の体に掛けてやり、金色の髪にそっと触れる。

 

 

 

琥珀色の髪。

ジュースの好み。

その眠る姿。

 

 

大切な妻に似ている娘が堪らなく愛しい。

 

 

眠った夢に魘されなくて良かった。

妻はよくソファーの上で知らず許しを請うていたから。

 

帰る場所を失くさせるわけにはいかない。

妻は悲しい覚悟をたくさんしていたから。

 

 

できる限りの幸せをその手に掴めるように。

我が娘を腕に抱きしめて「同じ目には合わしたくない」と言った妻。

 

魘される夢はいらない。

悲しい覚悟なんてしなくていい。

 

 

「さぁ、もう少しで終わるから、一緒に家に帰ろう」

ロイエド子

休日返上