【曲がった世界の隅で】

 

 

 

 

 

 

 

「まったくどこに行かれたんだかっ!!」

 

ドサリと音を立てて、主の居ない部屋のデスクの上に届いたばかりの書類を重ねていく。

外の陽気が余りに心地よいものだから、あの上官はふらりとまた市街に出かけたのかも知れない。

 

 

軍に在籍して三年目。

いまだ下っ端の下っ端である自分がこんな場所にいるのは破格の人事だと、

移動命令を受けた時には蜂の巣を突付いた様な騒ぎだった。

 

 

それもそのはず、自分の直属の上官である人は、

この軍事国家のトップの地位に最年少の若さで到達した。

 

戦火の不安を抱えていた民衆から英雄と称えられ、

甘いマスクと耳に響く声から女性にすこぶる高い支持を集めている男。

 

 

大総統、ロイ・マスタングその人なのだから。

 

 

 

丁度、大総統がその地位についたのと同じ時期に、自分は軍籍に入った。

戦争に出るなんてごめんだけれど、それでも身近な人を守るために自分が望んだのは軍人の道だった。

新たな大総統が誕生したと聞いた時は、嬉しかったのだ。

 

「次の大総統はこの国を平和にしてくださると約束された」

 

市内のどこであっても、そんな話は耳に入っていた。

(実際に、軍内部よりもその話は信憑性を増して伝え続けられていったようだ)

 

 

 

半ば崇拝するような勢いで「大総統ロイ・マスタング」像をつくっていたというのに、

配属されたその日に出会った彼は、緊張するこちらに振り向くなりこう言った。

 

 

「・・・・・君、私のそばで働かないか?」と。

 

 

 

 

「って、勝手に誘うぐらいなら、仕事はきちんとこなして欲しいなぁ・・・本当に」

 

秘書官のような仕事を任されるままにこなして来て、三年だ。

怒涛のように過ぎていく毎日に必死に齧りついてここまできた。

 

さすがに大総統の長年の部下たる人々は優秀な人ばかりで、

自分がここで働いていていいのだろうかと不安になった日も少なくはない。

 

 

「大総統も、まさか髪の毛と瞳の色だけで秘書官を決められるなんて・・・はぁ」

 

 

どうして大総統が一目で自分を目に止めたのか。

それに気付いたのは大総統の傍で働くようになって一週間ほど後のことだった。

 

「・・・・何か御用でしょうか」と聞くと、「いや、なんでもないよ」と苦笑する。

その顔はどこか遠くを見ていて、ツキリと胸の奥を痛ませた。

 

 

彼がデスクの上に置いているモノは決まっていた。

銀色のアルミで作られた簡素な珈琲カップ。

インク壷とペン立てに何本かの愛用のペン。

決済済みの書類を入れるケースと処理前の書類の束。

 

そして、1つの写真立て。

 

 

 

振り向きざまに笑いかける一人の女性。

小柄ながら流れる金色の髪は風になびき、オフホワイトのスカートがふわりと揺れている。

きっと愛しい人に瞳を向けているのだと分かるその表情。

 

 

 

聞かずとも分かった。

その写真に写っている人が大総統にとって大切な人なのだということは。

 

写真の女性が浮かべている優しい表情と同様に、

忙しく流れる日々に追われた時間の中で、彼が視線を向けるのはいつもその写真にであったから。

 

 

違っているのは、ほっと肩の力を抜いた後に、きゅっと唇を噛むような表情だけだ。

 

 

 

 

すぐに軍の内部書庫に入り込んで、大総統の過去について調べようとした。

けれど、止めたのは彼の副官を長くつとめているホークアイ大佐であって、

ぽつりと大総統の過去について話してくれた。

 

 

 

「あの人は大切な人を失ってしまって、追いかける事もできず、ずっと歩いてきたの。」

 

 

 

馬鹿にするなと怒ればよかったのかも知れない。

どこに女と重ねられて嬉しい男がいるものか。

ましてや、過去に愛した女性であり、今直囚われ続けているその人の影を。

 

この髪の色と瞳の色に彼は亡くした妻の面影を重ねているというのだった。

 

 

 

今日こそ秘書の任から離れたいと言おうと思い続けて三年。

自分はもう彼のそばに居すぎたので、そんな理由では離れ難くなってしまったのも事実。

 

妻を亡くしてすでに長く時間が立っているにも関わらず、

未だに日に透けた金色の髪に向けて手を伸ばそうとする男と、

自分が声を掛けた瞬間に現実に引き戻されてしまう男の表情は、

どれほどの言葉で愛を囁くよりも雄弁に亡くした妻に対する思いを語っていた。

 

 

大総統は戒めに自分をここに置いている。

 

 

「もういないのだ」と確認するために。

きっと彼の夢の中ではまだ妻は生きていて、あの花のほころぶ様な笑顔で笑いかけているのだろう。

夢から覚めて、深い絶望の中にいながら、狂うこともできない男の生き方はなんとも壮絶ではないか。

 

 

 

「時折君が憎らしくて堪らない。

 君を殺す事で妻が生き返るというのなら私は迷わずそれをするだろうに。

 君が何でもなく笑い、話し、息をするのを見るたびに、妻は生き返らないのだと突きつけられている」

 

 

夕日が傾いた茜色の執務室で、

掠れてしまった声の先で大総統はそう言った。

 

「そうですか。ならば私は生き続けなければなりませんね」

 

笑ってそう返すと、大総統も「そうだな」とだけ短く答えた。

ロイエド子