招かざる客
ガツン
そう効果音が聞こえるほどにストレートに。
まるでどこぞの外国人格闘選手がリングの上で喝采を浴びる為の決め技のように。
それは見事に右頬を叩いた。
いや、殴った。
それを見ていた者たちは、
血が沸騰するような出来事に、息を詰まらせ、そこから一歩の足が動かなかった事を、
後で多大に後悔することになる。
「なぜこんな所にガキがいるのかっ!!!
セキュリティの問題かそれともこの子どもが無知なのか・・・。
まったく嘆かわしいことだ」
戯言とはまさにその言葉だと思った。
力任せに大人が振るった暴力は、受けた子どもを軽々と後方に飛ばしてしまった。
あまりに理不尽な、そして突然なその行為に、
投げ出された子どもは受身をとる暇もなく、強かに壁に打ち付けられた。
ドン・ガシャン
壁とその横にあった金属製のくずカゴにぶつかり。
ガランと転がったくずカゴは、入れられていた書類の書き損じや紙コップなどをぶちまけた。
なぜこんな事になったのかと、後に振り返れば、
そもそも彼女たちが司令部を訪れている時に限って、
来て欲しくもない客がいたと言う事が最も大きな要因であると考えられた。
国軍将軍職・グイスマール准将。
北部の田舎町からどういうわけか出世している男であった。
力もない(戦争経験などただの一度もない)権力もない(実家は田舎の商家であった)という、
特殊な人間である。
言ってしまえば、運のみでここまで上がってきたと考えられ、
付随するのはゴマすりと賄賂という大層なご身分の方なのだ。
とはいえ、実力主義よりも慣例と上下関係の厳しい軍内部にとって、
ロイ・マスタング大佐よりも地位の高いグイスマール准将は司令部の軍人にしてみれば、
客である以外の何物でもなかった。
・・・・歓迎したくないと皆が思っていたとしても。
「・・・・せっかく鋼のが来ているというのに・・・・」
表情にありありと『めんどくさい』を貼り付けている上司をみて、
ホークアイは聞こえるようにため息をついた。
実際の事として、ホークアイもまたあの妹のように可愛いエドワードと話もしたいし、
いろいろと構いたくてしかたないのだ。
それはまた、ロイの横に控えている副審の部下とされるもの達も同意見であり、
それぞれが「将棋を一局」「旅の話を」「買っておいたオレンジジュースでも」と、
あの手この手で小さな妹のような彼女を甘やかしてやりたいのだ。
それなのに。
「分かりきっている事をわざわざ声に出さないで頂けますか・・・気が滅入る」
ホークアイは最大限に低い声で、ワザと小さくそう言った。
だってまったくそうだろうと、ホークアイは蒼い軍服の並ぶこの状況を見てそう思う。
何がしたいのか視察の内容すらハッキリしない上官殿を出迎えるために、
意味のない整列をしている。
その為に今日の職務は滞っているし、醜く会話すら成立しない男に、
頭を下げる趣味など持ち合わせてはいないのだ。
「まったく・・・・早く視察でもなんでもして、とっととお帰り頂く方向で」
文句の1つでも言おうと口にした上司の声は、
品なく響く軍用車のエンジン音が轟いた所で結末を口にした。
『とっととお帰り頂く方向で』
ホークアイとハボック、ブレタにファルマン、フュリーは了解を示す為に、
きっちりと敬礼のポーズをとった。
「まったく暑いな・・・どうにかならんのかね・・・東部の暑は」
着くなりでっぷりとした腹を揺らしながら、
グイスマール准将は軍用車からその身体を引き抜いた。
「暑さは自分らのせいではないっつーの!!」と心で思っても口に出すことは出来ず、
「そうですね・・・准将殿は北部出身であられるので、余計に堪えられるのでしょう」とだけ返す。
そもそも、その体格では、どこに行っても通常の何倍も暑さを感じるだろうけれど。
「あぁ、マスタング大佐だな・・・噂は聞いているとも。
早速だが・・・・そうだな、司令部内の案内でもしてもらおうか」
汚らしい汗を拭いながらの提案に、
「お前、視察内容すら今考えただろうが」とやはり思っても口に出来ず、
「・・・司令部内は幾分か涼しいので・・・どうぞ」と得意の接客用の顔を無理やりに作り、
ロイはグイスマール准将を司令部内へと案内した。
この時。
失念していた訳ではなかった。
確かに、皆が分かっていたのだ。
『鋼の錬金術師エドワード・エルリック』がこの司令部に来ている事を。
『ごめんなさいエドワード君・・・北部の准将が視察に来るらしくて』
『え?・・・あぁ、いいよ。気にしないで、どうせ俺は書庫にいるだけだから』
『そう・・・まだこちらに居られるのよね?』
『うん、そのつもり。・・・・あのさっこの場合、俺って一緒に同行しないといけない?』
『いや、その必要はないだろう。君はここに縛られている訳でも、
正式な軍属という訳でもないからな』
『そっか。うん・・・じゃあいいや。書庫に居るから』
司令部に慣れすぎていたというべきなのだろうか。
この小さな少女が。
ここ東方司令部の者ならば、すでに違和感などなかった。
金色の髪をぴょこぴょこ揺らしながら、紅いコートをヒラヒラさせて走る子どもがいても。
「あぁ帰ってきたんだなぁ」と微笑ましくもあるほどだ。
であるから、その状況を知らない愚鈍な大人がいたとして。
まさか、という思いでその光景を見ていたのかも知れない。
ロイは叫び出しそうな自分を力任せに止め、
ぐぃと白い手袋を肌に食い込みそうな程に握り締めた。
周りのざわめきを賞賛とでも受け取ったのか、
グイスマール准将は得意げに「ふっ私の腕もまだまだ有効なようだな」と言った。
それに反応したのは、ハボックで。
子どもに手をあげて、「自分の腕」を試すだなんてことに嫌悪感よりも恐怖が込み上げていた。
「ちょっ・・・」意を唱えようと前に出たハボックを、
ロイは手で遮り止める。
なんで止めるのかとハボックは非難の眼をロイに向けるが、
すぐにこの上司が自分以上に怒りを覚えていることを感じる。
「・・・・グイスマール准将殿・・・彼は、国家錬金術師であり、
ここにいても何の咎めを受ける謂れのない者です」
その低い声に、怒りを滲ませているが、
グイスマール准将はそれにすら気付かない。
「ほぅ、それは気付かなかった。
しかし、それならば攻撃に対する防御の問題かね。
人間兵器としての利用価値を考えるに、少々不安だ」
・・・・・・これが軍部のすることか。
ロイはその手をグイスマールの軍服に伸ばそうとした時だった。
「失礼しました・・・・以後、気をつけます」
壁に手をついて、よたりと起き上がった子どもはそう言った。
口の端を切ってしまったのだろう、流れた血をぐぃとふき取り、
顔を下に向けて、低く。
「ふむ・・・・まぁ、そうか。
頑張りたまえよ」
得意げな顔を崩す事無くグイスマールは前へ進む。
ロイは小さく「中尉・・・鋼のを」と残し、グイスマールの後を行く。
ホークアイは短く返事をし、エドワードに近づく。
「エドワードくんっ!!」
「・・・・あっ中尉・・・ごめん、受身取ればよかった」
はははっと笑う子ども。
大人に力を振るわれたのに。
「・・・・謝るのはこちらだわ。貴女がいることは分かっていた事なのに」
こんな小さな身体を、守る事すら出来ないなんて。
まるで無力な事だ。
子どもはこんなにも思いを隠して、ここに立っているというのに。
「中尉・・・・俺、頑張るからね。
あんな奴にはついて行こうとは思わないけど」
そんな事を、血を流しながら言ってくれたこの子に、
どうにか暖かいモノだけを感じさせて生きて欲しいと願うけれど。
この子はきっと、冷たくて苦いモノをたくさん感じなければならない場所を過ごしていて、
だから、ここは甘える場所ではないのだろうけれど、
甘えることの出来ないこの子にならば、甘えさせてあげてもいいのではないかと思うのだ。
その後グイスマールには、無言のままロイをはじめとする司令部のモノから、
様々な土産を受け取ったらしい。
突如として発火した准将の軍服であったり、
銃器取り扱いの見本を示して頂いた時の暴発した手榴弾。
さぁ、冷たい飲み物でもと差し出された毒々しい紅茶。
(ファルマンの有り難い効果の説明付き)
犯人をどこまでも追い詰めると証明した軍用犬としてのブラックハヤテ号など等・・・・。
この後、ロイが早々と出世し、
一方、降格されていったグイスマールに対して、突如として拳を振り。
「以前は、妻が世話になったね。
どうしたグイスマール、身体がなまっておいでではないか。
受身も取れないようでは、軍属として退官なさった方がよいのでは?」
というのは、また別の話。