貴方が好きでした。
ずっとずっとずっと。
泣きたくなるほどの痛みと、
熱くなる目頭が私の思いを語ります。
これは片思い。
告げてはならない一言。
貴方が好きです。
■ 迷い道にあった一軒家 ■
サアサアと降り出した雨は、粒の大きさを変えて新緑を染める。
豪雨になるかも知れないと付げたニュースのお陰で、
今日はきちんと傘を持ってきているし、昨日の内に愛犬のエサも買い終えている。
買い物はまだ十分な野菜と保存の缶詰があるので、どうにかなるだろう。
このままアパートメントまで帰ればいい。
カツリと音がなる軍支給のブーツに多少の味気なさを感じるが、
どうせ濡れてしまうのだろうし、私服にもましてや、細いミュールにも履き替える気がしない。
この雨ならば、ブーツの方が雨を凌げる。
あの足が濡れる感覚は好きではないし、はっきり言って御免だ。
蒼い軍服のまま、出掛けに時計を確認して帰途につく。
このまま風が出ないのなら、まぁ大丈夫だろう。泊まるほどではない。
「あら?・・・・・・エドワード君?」
降り注ぐ雨は一刻前の弱いものから、段々と威力を増している。
白い階段がグレーに色を変えていくそんな雨の中、
その階段に座ったままの人影を見つける。
見慣れたと言ってしまえるほどに見慣れたその姿。
水分のせいで、色は深くなっているものの、
紅いコートの背中に金色の頭がこちらから見える。
それはちょうど、通ろうと思っていた通路の正面に、
出入り口の門を向いた形で座っている。
「エドワード君?!」
その人が見知った子どもだと言うことに気が付いて、
慌てて傘を差して雨の中、その階段を目指す。
いつからそうしていたのか、遠目で見ても明らかなほどにびしょ濡れである。
「どうしたの?こんなところで・・・・・エドワード君?」
話しかけるも、ぼぉっと正面を見つめているだけで、
反応が返ってこない。
心配になって、一際大きな声で、呼びかけると、
やっとこちらに気付いたかというように、目線を向け、「中尉?」と弱弱しく答えた。
「・・・・何かあったの?こんなにびしょ濡れで」
「あれっ?・・・・そっか雨・・・・降るっていってた・・・・」
差し出された傘を不思議そうに見つめて、
ぽつりと水滴を滴らせる髪の端を、手で触れて確認する。
そうしてやっと、自分が雨降りの中。
ここで座っていたことを理解したようだった。
「大丈夫?・・・・そうだわ、私の家に来ない?」
「えっ?!いいよっ悪いし・・・・俺、大丈夫だから」
はははっと空元気ですと言っているような笑い声を出して、
勢いよく、立ち上がろうとする。
しかし、冷えた体は言う事を聞かなかったのだろう、
よろりと体制を崩した。
「急に立ったりしたら危ないわ。
すぐに温まった方が良さそうだし・・・ね?」
「大丈夫だよ・・・それに宿も近いんだ」
・・・・・こんな様子はきっと何かあったのだ。
あの、無能な上司か、または、あの煙男のせいだろう。
こんな状態で1人帰り道を行かせるわけにはいかない。
「・・・・・エドワード君。実はお願いがあるの」
「家に来いって・・・・こと?」
「えぇ。・・・・・皆には内緒にしているのだけど、
本当は、雷が怖いの。もし良かったら、一緒にいてもらえないかしら」
彼女は一瞬だけきょとんとした顔をして、
それからすぐに頬を緩めて、「いいよ。だったら一緒にいてあげる」と返した。
「でもね、中尉。本当に雷が怖い人は、こんな雨降りに傘なんてさせないよ。
ウインリィがそうだったけど・・・どしゃ降りでも、走って帰るんだ。
だから、・・・・・・・ありがとう。」
照れ臭そうに。
でも、ほっとしたような顔をする。
本当に素直な子ども。
だからあんなに頑なになってしまうのだ。
痛いも辛いも。
ありがとうもごめんなさいも。
ちゃんと知っているし、分かっている。
貴女は、こんなにも。
精一杯に生きているのに。
家に帰って、すぐにエドワードをお風呂に入れて、
さっと夕食の準備をする。
「わぁすごい」と感嘆の声をあげたエドワードに、
「そんなに立派なものではないの」と一言弁解して、
そうして、席に案内する。
野菜を大きめにきったポトフとガーリックトースト。
ベーコンとオニオンのサラダを一緒に食べた。
食後には紅茶を淹れる。
ダージリンの良い香りが漂い、外の雨音は遠く聞こえている。
ほぅと息をついてから。
大き目の白いマグカップにコクリと口を付ける様子は、
髪を洗い下ろしたままの姿と相まって、年相応の少女に見せる。
その腕の鈍く光る機械鎧は、よりいっそうの痛みを見せはしたが。
「辛い?」
それは、彼女を見ていて、自然に口に出た言葉だった。
「何が」とも「誰が」とも言いはしなかったけれど、
彼女は少しだけ笑って、そうして瞳をこちらに向けた。
「・・・・・辛いのかも知れない。」
「それは、旅が?」
ひどくゆっくりとした時間だ。
シュンシュンと音を立てていたポットも、
今では静かなものだし。
外の雨音だけが、サアサアと屋根を打っている。
「旅はね・・・辛いなんて思っちゃいけない。
俺は、アルを取り戻すって決めた時から、これくらいの覚悟はしてたはずなんだ」
「でも、現実はいつも予想と同じものではないわ」
貴女の覚悟はきっと揺らいでなんかいない。
その覚悟さえ上回っている「辛い」ことは、それ以上の要因から起こっている。
「そう・・・・あの時、俺は軍の狗になるって決めた。
罵られても構わない。どんな命令も従うと決めた。
・・・・でも、こんなこと予想なんてしてなかった・・・・」
「こんなこと?」
「アルの体を戻すっていう理由?以外で、ここを離れがたく思うなんて。
そんなこと考えてなかった」
白い大きなマグカップを左手に持ち、
機械鎧の腕で、その縁をなぞっていく。
パサリと肩から金色の髪が一房零れ落ちたのは、
彼女が下を向いてしまったからだ。
「マスタング准将ね?」
名前を出すのは酷かと思った。
ビクリと肩を揺らした少女は、それでも下を向いたままでコクリと頭を動かした。
「あいつさぁ・・・・俺に言ったんだ。
『私と話が出来るのは、君ぐらいだ』って・・・・。
俺さぁ・・・っとに、嬉しくて。ほんと馬鹿みたいに・・・嬉しかったんだ」
ぽつりぽつりと語られたのは、少女の胸の内。
年相応であってはならなかった少女の。
本当の心。
こんな所にいなければ、
きっと同い年の友達と、学校の行き帰りや教室で。
照れながら、きゃらきゃらと、守られたその空間の中で。
頬を染めて、期待と不安の中で。
そうして語られるはずであった恋心。
「俺は、禁忌を犯して、弟の体をなくして、
・・・・・性別まで隠して、大佐に嘘を付いて。
そんな事してるのに、そんな俺を。
俺を認めてくれているのが嬉しくて。
だって、あいつ・・・・本当にサボったり、俺にまで意地になったり、
部下からは敬語とかじゃなくて、中尉に銃を向けられてたりとかするし、
でも。でもさっ。
錬金術は本当にすご・・・いと思うし、なんだかんだって・・・・優秀だし、
・・・・・っかっこ・・・・いいかなって・・・・。
本当にっ本当にすっごく稀にだけど・・・・・そう思って」
「えぇ、そうね」と、小さく同意の声をだす。
泣きそうな瞳がそれでも小さく笑い。
たどたどしいままで、言葉を紡いでいく。
階級の変わった准将を「大佐」と呼ぶ。
それが現実逃避だなんて、思いたくはないけれど。
「だから・・・・・女だって事を知られるのは駄目だと思った。
そんなこと、知られたら、きっと我慢できない。
俺の事を知ってもらいたくなって、思いに応えてもらいたくなって。
きっと・・・・しなくちゃいけない事まで、放り出したくなる・・・・」
カシャリと音を立てる機械の腕は、
彼女の俯いた顔を隠すには十分だった。
マグカップを左手で持っていなければ、彼女はきっと両腕で顔を隠したのだろう。
あぁこの子は。
誰よりも「女」なのかも知れない。
いつも隠されたその性は、こんな所で彼女を苛んでいる。
初めての想いを知って欲しい。
叶えて欲しい。
自分の想いを受け取って欲しい。
それがどんどんと溢れていくのが、
きっと怖かったに違いない。
歩むことを止められないその旅路が、
それでも准将と彼女を結んでいるのだから、余計に辛いのだろう。
「大佐が・・・・准将が、結婚して、子どもが生まれて。
普通に会えると思った。辛くて、悲しかったけど、あの人はもう違う人のものになったんだって
諦められると思った・・・・・」
「でも・・・・出来なかった?」
「だって!!!
同じように笑うんだ。何もなかったように・・・・本当にそんな。
結婚したのも、子どもがいるのも知っているのに、
会ったら・・・・全部嘘だったんじゃないかって・・・・俺っ!!!」
聞こえるのは雨が屋根を打つ音と、カチャリと小さな金属音。
振るえている。
落としそうになったカップを慌ててテーブルの上に戻して、
そして、カチャリと成り続ける機械の腕を抱きしめるように生身の腕を回す。
胎内に違う命を宿すことが出来る器官を、
まるで腕に包みこむようにして、
彼女は小さくなって、言葉を紡ぎ続けた。
「忘れたいって思った。
何度も何度も、違うんじゃないかって思うたびに、現実を知って。
もう耐えられないと思った。
・・・・・・そんな時に、少尉に・・・・言われたんだ・・・・付き合わないかって」
「准将を忘れるために・・・・少尉と付き合ったの?」
少しだけ噂になっていた。
鋼の錬金術師がハボック少尉と付き合い出したと。
もちろん回りは彼女の性別には気付いていないのだろう。
男所帯の軍のこと。
そんな噂はどこにでも転がっている。いちいち気にはしていられない。
私も、彼女の性が男であるのなら、
そのまま放っておけた。
たとえ、少年だろうが、そんなに気にはしていなかっただろう。
しかし、それが妹のような少女のことで。
ましてや、誰をその心に住まわせていたのか、
直接聞いたことはなくとも、知っていたのに。
ハボック少尉は気付いているのか。
どうしてそんなことになっているのか。
金色の瞳が見開かれる。
「っ!!!
駄目だって分かってた。そんなの逃げてるだけだって・・・・。
でも、辛くて、どうしようもなくて。
それでも・・・・誰を思っててもいいって・・・・そう」
彼も私と同じように彼女の性に気付いた一人だったのか。
そして、それに気付くと同時に、その想い人も分かったのだろう。
あの小さな瞳が誰に向いているのか。
そして、なぜ、傷ついているのかも。
「エドワード君は、それでいいの?
誰かの考えなんて所詮は他人事よ。酷いことかも知れないけれど。
今、考えないといけないのは・・・・あなた自身のことよ?」
「・・・・・よくない。よくなんかない。
だって・・・少尉はすごく優しかった。とても暖かかった。
だから・・・・一番に想ってあげられなくて・・・・それも辛くて。
ずっと、ずっと・・・・ごめんって・・・ごめんなさいって・・ふっ」
少女の瞳から涙が溢れた。
まるで蜂蜜のように金色の瞳が潤むと、
もう堪えきれないといった様子で、次から次から、水滴は滴った。
カチャリ
戦闘態勢。
準備万端。
敵は無能と煙男。
罪状なんて言うのも煩わしい。
「・・・・どこまで、貴女を傷つければ気が済むのかしらあの男どもは・・・」
自分でも恐ろしいほどの低い声だと思うが、
それも仕方ないとさえ思う。
あいつらは、結局自分の事しか考えていないのだ。
いつもいつも、エドワードの為だと何だと言っておきながら、
結局は、そうだ。
勝手に物分りのいいフリをして身を引く真似をした無能。
傷を癒すと言いながら彼女を板ばさみにしかしていない煙男。
この無垢な少女には全く何も通じてなどいない。
そうして、痛みの全てを自分のせいにして、
見えない明日と繰り返す悲しみに打ちのめされているのだ。
完全な悪だ。
もう消すしかない。
「ちっ中尉・・・・?」
「安心して・・・エドワード君。あいつらは私が殺るわ・・・・」
愛銃の弾はすでにフル装備。
いつも手入れに抜かりはないし、安全装置をカチャリと外す。
「わっわぁぁ!!!いいのっダメっ殺しちゃダメっ!!!」
わたわたと泣いていた少女は、こちらに向き、
装備完了であった銃を急いで押さえつけた。
「あらっダメよ?!エドワード君。安全装置が外れているから、危険だわ」
「きっ危険なのは・・・中尉だから・・・銃閉まってください」
お願いしますと頭を下げられれば、こちらも引くしかない。
けれど、こんなにも傷つけられている貴女を見るのは私も辛いわ。
「・・・・ありがと。中尉、聞いてくれて・・・・すっきりした。
俺の代わりに怒ってくれる人も・・・・いるし、嬉しかった」
泣きはらした目で、それでも照れ臭そうに笑ってみせた。
「しなきゃいけない事も分かったし・・・・取り合えず、少尉に謝って、
それから、もう少し考えてみる。自分がどうしたいのか」
うん。と頷く彼女は、よく見たあの意思の強い瞳をしていた。
ぼんやりとしたあの雨の中の様子から、浮上できたことを思えば、
ここに連れてきて良かったと思える。
「何かあったら、ここに来ればいいわ。
話を聞くくらいなら私にも出来るし、エドワード君が望むならいつだって・・・・」
カチャリと再び銃を持ち上げれば、今度は笑い声が響いた。
「うん。ありがとう。
その時は・・・・よろしくお願いします・・・かな?」
「えぇ、いつでもどうぞ」
貴女の幸せを願っているの。
小さな私の妹。