「後ろをみてはだめよ」

 

 

 

そう聞いたのは、随分と前。

まだ、優しい母の手に稚い手を伸ばしていた頃。

 

 

 

この長い坂の道を歩いて、送っていく人をぼんやりと思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔よけを願う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

街の中心にある教会が悲しい音色の鐘を響かせている。

それは、人を送る鎮魂歌。

この世の終わりに聞く最後の歌。

 

 

旅をしていれば、そんな光景に出会う事もあり。

その度に、隣を歩く姉はくっと口の端を噛み締めるような顔をする。

 

 

 

それは、きっと姉が思い出の先に「母の葬儀」を思い出しているからで、

続けて、自分たちが犯してきた過ちを振り返っていたりするんだろうなぁと思う。

 

 

いつもはずんずんと前を進んで行く姉が、ゆっくりと自分の横を歩いている。

歩かないわけにはいかないけれど、その一歩が怖くなってしまっているのだろう。

そこには飲み込むような闇が広がっているから。

 

 

 

 

どうしたら、いいのかなぁ。

いつも母さんが隣にいてくれていたあの頃。

何も知らずに、ただ前に向いていたあの頃となにが違うのだろう。

 

 

 

あの白くて暖かいあの手に、何もかも許されて。

ただ目を閉じて、包まれていたあの頃。

 

カチカチと秒針がすすむ音に恐怖も、

茜色に染まる空に焦りも、

風の通り過ぎる音に望郷も、

 

そんな事を感じる事無く、ただまどろんでいた日々。

 

 

雷も布団にくるまって眠って、「一回だけね」と昔話を聞いて。

雨の日に入れてくれたココアにふぅふぅ息を吹きかけて飲んでいたり。

眠ってしまった自分に掛けてくれた毛布の安心だったり。

 

 

 

あの暖かさは一体なんだったのだろう。

 

 

 

 

何も知らなかった自分に与えられていたもの。

知ることを続けている自分が失ってしまったもの。

 

 

それは何だろう。

 

 

 

 

「アル・・・・ほら、後ろは見るなよ」

 

 

横から姉さんがぽつりと言った。

それは、いつかの母さんの声と重なる。

「後ろを見てはだめよ」と。

 

 

 

葬送の時は後ろを見ては駄目。

違う世界から来た者に引きづられてしまうから。

 

 

 

 

姉さんは決して僕に機械鎧の腕を差し出さない。

僕の冷たい鎧の腕に。

 

 

暖かな左手を差し出して、手を繋ぐ。

 

 

 

 

ねぇ、姉さん。

僕はたくさんのモノを失ったと思うけれど。

それは確かにそうだけれど。

 

 

でも、失いたくないモノもいっぱいあって。

 

 

それは、あの暖かな日々だったり。

母さんとの記憶だったり。

 

もちろん、あの日のあの自分もだけど。

 

 

そして、何より姉さんを失いたくない。

 

 

 

 

たとえ、この後ろに母さんがいたとしても。

僕は、優しくて寂しくて弱い貴女を残していく事はできないから。

 

 

後ろなんて振り向かないよ。

 

 

 

 

 

 

 

「あっ姉さん、果物屋さんがあるよ!!桃を買おうよ」

 

「うん?」

 

 

「桃は魔よけなんだよ?姉さん桃好きでしょ!」

 

 

走るとガションと音が響く鎧の体だけど。

 

急いで急いで闇を払おう。

甘い果汁の匂いを感じる事は出来ないけれど、

瑞々しい桃を選ぶ事はできるから。

 

 

「この桃が美味しそう!!すみません、これをください」

 

 

無骨な鎧で桃を傷つけてしまわないように気をつけながら、

ほわりと可愛らしいそれを包み込む。

 

 

 

僕は、姉さんが手をつないでくれるだけで十分だから。

この桃は、姉さんを守るためにね。

ロイエド子