迷った時は5秒あと

 

 

 

 

 

 

ここを離れたら、もう二度と会えないかも知れないとか。

 

そんな不安はいつもあったりする。

「この愛は永遠よね」なんて陳腐な考えを、盲目的に考えられる程に純真な思いを持ち合わせてはいない。

どれだけ、自分にとって「別れ」というものがトラウマになっているのか知れないけれど、

それでも幼い時の父親の後ろ姿とか、それを思って悲しげな顔をしているのだろう母親だとか。

病で息絶えた母親の顔とか、それを取り戻そうと手を伸ばした異形の姿だとか。

目の前で消えていく弟の姿とか、細胞が細かくなっていく自分の手足だとか。

 

挙げればもう切が無いほどの「別れ」で自分は構成されていて。

取り戻すために、生きているというのに、別れはいつも付きまとう。

 

 

 

だから。

この目の前の黒髪の男と、愛を語り合ったとしても、

自分は本当にこの「愛」とか「恋」とかいったものを手にすることができるのだろうか。

そう考えると、ブルリと背中が寒くなったけれど。

 

別れはいつも唐突であるから。

 

 

司令部から離れた場所に行くために電車の切符を買う。

「どこまでですか」と駅員に聞かれる前に、自分はいつも場所をつげて、無造作にお金を渡す。

 

決して楽しい旅ではないのに、「どこまで」なんて聞いて欲しくなくて。

「ちょっとそこまで」なんて気楽なものでなくて、でも、「初めての長旅」というわけでもない。

何度と無く繰り返されてきた行為であり、これから何度繰り返すかも知れない行為。

 

 

いつも、絶えず、不安は腕の中に。

 

 

別れはいつも唐突だから。

 

 

だから、頭の中で、数を数える。

「5、4、3、2、1」と。

 

 

たとえば、宿を出る時に、古めかしい電話があったとして、

「もしかしたら、電話がかかってくるんじゃないか」とか。

都合の良い考えが浮かんでしまうことだってあったりする。

 

どこかのお嬢様なら、一日中紅茶を飲みながら、片手にクッキーでも摘まんで、

「はやく電話があればいいのに」と小首を傾げながら待つこともできたかも知れない。

 

けれど、自分はまた切符に記載された場所に、記載された時間の通りに行かなければならなくて、

どんなに声が聞きたくても、その場所に止まることはできない。

 

 

だから、数を数える。

 

 

たとえば、どこかの司令部の角を曲がったとして、

「もしかした、ここに来てるんじゃないか」とか。

都合の良い考えが浮かんでしまうことだってあったりする。

 

苦情や不満をいい連ねるためだけに来た者ならば、

「ずっとここにいる」なんて主張して、高官たる彼が来る事を待つ事もできたかも知れない。

 

けれど、自分は外面的には彼の部下であり、こんな場所で待ち伏せに近い行為をしていいわけは無くて、

どんなに会いたいとおもっても、その場所に止まることはできない。

 

 

だから、数を数える。

 

 

 

自分に少しだけ与えるチャンスのような。

それでいて、諦めるための時間。

 

 

もしも、その数を数えているたった5秒の間に、願いが叶ったなら、

それを自分は甘んじて受け入れる。

(そんなことは、ほとんどと言ってよいほど少ない確立だろけれど)

 

そして、5秒経ったら。

バサリと紅いコートを翻して、その場からさっさと遠ざかってしまおう。

 

 

 

少しだけ時間をちょうだい。

無慈悲に訪れる「別れ」を知ってはいるけれど。

 

 

 

 

二度と会えないかも知れない貴方と、その未練のために、

5秒のチャンスを私にください。

 

 

 

ロイエド子