その日1枚の郵便物がいつものように副官から、司令官へと渡された。
白い軍用の封筒は蝋で封をされ、少し頑丈な造りをしており書類の様相をしている。
「ふむ。イレノアからの招待状のようだ」
ペーパーナイフで丁寧にその封筒を開けると、厚手の招待状兼視察願いが入っていた。
一般に軍に届く集配物は、一度監査を受けて渡されるが、出所や差出人が確かに確認が取れた場合、
それは現状を維持したままで届けられる。
イレノアは、長く自治権を求め運動をしていた州と言ってよい規模の地域で、
先ほどようやくそれが認められたが、
なかなか人を導くのは容易ではないために軍との連携を保つという形を取っていた。
招待状と考えてよいその文面にどうしたものかと、封筒にそれを戻そうとした時にカサリと音が聞こえた。
まだ何か入っていたのかと、封筒を少し乱暴ではあるが、逆さにして振ってみる。
すると、何やらが落ちてきたのはいいのだが、軽いらしいそれは、
ヒラヒラと自分の頑丈に作られた黒い執務机の下のほうへと滑り込んでしまった。
しまったと言うように、小さく舌打ちをしてそれを拾おうとイスを引いて屈めば、
机を挟んだ向こう側に正規の軍支給のブーツが見え、
自分が拾おうとしていたものをヒョイと持ち上げて行く手が見えた。
「紅葉ですか」
屈んだ自分の上から聞こえてきたのは、
先ほど封筒を手渡しに来ていた副官のものではなく、
生き字引と言えるほどの知識を持つ直属の部下のものだった。
「もみじ?」
失態を見られていたことは、この際置いておいて、
気になるのは彼、ファルマンが持っているその赤い葉とその名前らしいもの。
自分が封筒から振り落としてしまったものは、どうやら1枚の葉っぱらしい。
それも赤く色づいているもので、この辺りで見るものではなかった。
「ファルマン少尉それは、もみじというのかね」
「はい。元々は東方にある島国に多く自生しているものです。
元来、春夏秋冬といいまして、四季がはっきりしている土地にあり、
夏が終わり秋が深まれば緑の葉から赤く紅葉していくものです。
確か、この辺りでは、イレノアにしか育っていないと思われます。」
「ああ、イレノアからの文に入っていたものでね。文にも木々が色づくとあったし、そのようだ」
ファルマンからそのもみじという葉を渡され、よく観察してみればなるほど美しい。
赤と黄のグラデーションによって彩られたその様は、
自然のものでありながら芸術品のようでもあるとさえ思わせる。
この葉を一面に飾る木があるのなら、それは「美しい景観を約束する」と言うだけの価値はあるようだ。
文面やイレノアという地域にさして面白さを感じることは無かったが、
今まで見たことのない美しいものを見たいとは思う。
そう考えれば、浮かんでくるのは愛すべき家族のことで、
あの美しい妻や愛らしい子ども達とは比べようもないけれど、
もみじの赤やオレンジ色にあの金色の髪は良く映えるのではないかと考えてしまう。
「中尉、イレノアへの手配を頼む。4人分だ。」
「ご家族で行かれるのですか?」
「視察を兼ねて家族旅行にね」
最近、よく歩くようになった3歳の娘は危なっかしいが可愛くてしかたがない。
休みが取れれば必ずどこかへ連れ出さずには居られないほどだ。
先日は家族で「リンゴ狩り」に行った。
ウサギのリンゴが大好きな娘たちは木になっているリンゴに大興奮で
自分で採るからと肩車をねだるその姿は、今、思い出しても微笑ましいものだった。
娘たちにリンゴを剥いでやるエディの姿も母親そのもので、
家族団欒とはこうも良いものかと、また何かあれば外に出ようとそう決意した。
その決意が、少々邪魔なもの(視察)があるにしろ、早くも決行できることは
渡りに船と言えるだろう。
「紅葉狩り?」
エドが放った言葉は小さいものであったけれど、
日中ばたばたと騒がしいリビングとは違い、
部屋の主ともいえる子ども達がいないと、その声は、大きく響いたように感じられた。
娘たちが眠った後で帰宅したロイが、少しくたびれているように見えたので、
エドが訳を聞くと、仕事のついでに旅行を計画したので行こうと告げた。
本来、今日は残業の日ではないので
その計画の為にホークアイ大尉に残されていたのかとエドは旦那に対して少し情けないような、
それでも嬉しいような複雑な気持ちになる。
「イレノアという土地なんだが、行ったことはあるかい?」
エドは、その体を取り戻すために様々な土地を巡っていた。
もしかしたら、もみじという名前まで知らなくとも、それをすでに見ているかもしれないと、
少し伺うようにして尋ねられた言葉に、記憶の中を整理する。
エドは、自分の記憶力には多少の自信があったし、それを疑ったことは一度もない。
弟と一緒に旅をしていたことは随分前のような気もするが、
それは忘れられるような簡単なものでも、生半可な気持ちも持っていなかった。
しかし、膨大ではあったけれど。
「あぁ、確かここより西の方角に進む大きな都市だったような・・・」
「紅葉狩りはしたかい?」
捲くし立てるように言うロイの顔は嬉しそうだったり、窺うようであったり、
複雑なものであったが、秋には行ったことがないというエドの声で、嬉しさだけのものとなった。
しかし、しばらくして少し疑問な顔つきになった。
「秋といったが、紅葉狩りを知っているのかい?」
今日はよく質問してくるなぁ、とそんなことを考えるエドだったが、
何かを尋ねてくるということが、自分より遥かに少ないロイだったから、純粋に嬉しく感じられる。
「秋っていう季節に、もみじが赤くなったりするのを見るんだろ?
そんな木知らないし、見たこともないけど昔読んだ文献にあった気がする。
食べ物でもないのに、可笑しなことだなって思ったから」
「ああ、そのようだね。そのもみじがあるのがイレノアでね。ロジーとマリーを連れて行かないかい?」
「仕事もあるんだろ?2人も一緒で大丈夫か?」
「なに、平気さ。簡単な視察だけだからね。
更に言えば、家族で行かないなら、視察にも行く気にならないような土地だからね」
(仕事のついでに家族旅行なんじゃなくて、家族旅行のついでに仕事って感じだな…。)
エドは、あまりに楽しそうに計画を話す夫を見て、そんなことを考えてしまった。
その日は、快晴で気候も良好。まさに旅行日和というに相応しい天気だった。
お忍び視察ということでイレノアへの報告をしたため、
この日はロイも軍服ではなく、シャツにスラックスというラフな格好をしていた。
仕事を理由にしている夫の楽しそうな様子に一度は呆れていたエドだったが、
外に行くのはもともと好きな性格に加えて、
家族でどこかに行くということはもっと好きなので、自然と顔が綻んでいた。
今日は朝早くからランチの準備をして、子ども達の好きなメニューをバスケットに詰めてきた。
少し重たくなったそれは、ロイが軽々と持ち上げて、
いつの間に取ったのかと思うような列車の個室に運ばれた。
景色が見える窓の席に娘を座らせてやり、その横に向かい合わせでエドと腰掛ける。
ぷらぷらと足を揺らしていた娘が、こちらを振り返り、
「ぱぱー今日はどこにお出かけですか?」
「ですか?」
コクンと首を傾げて聞いてくる。
(か可愛すぎる…!!)
2人のお揃いの服は色違いで、フワフワしたスカートとサクランボの飾りの付いた上着を着ている。
ロゼッタはピンク色の上着でマリアベルは黄色のものだが、2人とも良く似合っていた。
リンゴ狩りの時の、動きやすさを重視したアウトドア用の服も可愛かったが、
今日の格好は攫ってしまいたくなるような愛らしさだ。とロイは1人悶えていた。
というより、何より、ロイにとって服など関係なく娘が可愛くて仕方が無いので
どんなものを着ようと、ロイの行動に大差ないことは明らかであった。
「もみじ狩りっていうんだよ」
「もみじ〜?」
「な〜に?」
悶えて答えを言ってくれない父親を軽く無視して、
エドに問い掛ける娘たち。
(父親の扱いになれてる…)
そう思うエドの横で、いまだ妄想の中のロイは、
目を離せば誰かに攫われる。絶対に危険だ!!と、今日の防犯体制のチェックに余念が無かった。
「じゃあ、行ってからの楽しみな?」
クシャリと娘の髪を撫でてやると、頬っぺたを赤くして、頷いた。
楽しみだね〜と2人で頷き合って、どんなのだろうと話し始める。
もみじに対しての自分の考えを出し合っているようだ。
まったくこんな所は誰に似たのだろうか。
「うわぁ〜!!」
「きれいねっきれい」
列車を降りて、しばらく歩けば辺りが真っ赤に色づいていた。
道の左右がもみじで飾られており、もみじのトンネルが出来ていたのだ。
風が吹けば、何枚かの葉が揺られてサラサラと音を立てるし、
吹かれたもみじが風に乗ってトンネルの中央から辺りへと降り注いでくる。
そのため、道は一面に赤く絨毯を引いたようになっているのだ。
「これは、圧巻だな。」
子ども達の素直な感激とは違うかも知れないが、
ロイとエドもその美しさに感激していた。
遠目から見れば赤一色に見えたそれも、近くに行けば様々な色から
成り立っていることが分かる。
赤に橙、黄に薄緑。
色の洪水が、サラサラと揺れるたびに綺麗なグラデーションを揺らす。
「ね〜まま。あれがもみじ?」
「まるくないね。ロジー」
2人の話し合いでは、もみじは丸い予想だったらしく、
自分たちの想像とは違っていたようだ。
それでも、話しながらトテトテとそのトンネルの中を進んでいく。
2人の靴には、歩くとキュッキュッとなる様な細工がしてあった為、
歩く度に、その音が聞こえてくる。
きゃらきゃらと笑いながら歩くと音が成る。
「走ったら危ないからっ」
急に走り出しそうになる2人をエドは、屈んでその腕に捕まえる。
上を向いたり、飛んできたもみじを追いかけたりと、
落ち着きのない様子と、今にも走り出しそうな足取りの子ども達は
もみじの絨毯を子どもだけで行かせるにはとても危なかった。
捕まったことは悔しそうだが、母親に抱きとめられるのは嫌いではない様で、
照れたように、えへへと笑って見せた。
「そうだよ。はぐれたら大変だから、手を握っていなさい。」
横から覗き込むようにして、ロイがそう言うと、
ロゼッタとマリアベルは素直にその手を差し出した。
しばらく、歩いていると、
ロイの手を握っていたロゼッタが肩車をねだってきた。
「ねっぱぱ。かたぐるまして!もみじ採っていい?」
「あっロジー、マリーのも採って!ね。」
横で、エドに手を引かれていたマリアベルも反応して、
ロゼッタに自分の分を頼む。
エドは止めたけれど、ロイは「2枚くらいいいだろう」と笑って見せて、
「2枚だけだからね」と言い聞かせながら、ロゼッタを肩に乗せた。
目線が今までよりずっと高くなって、赤いもみじが目の前にある。
ロゼッタは、木の枝を傷つけないように気をつけて、
とびきり綺麗だと思う真っ赤になったもみじを選んで
その葉を約束の2枚だけ採った。
「はい。マリーの」
ゆっくりと、肩から下に降ろしてもらったロゼッタは、
大切に握っていたもみじの1枚をマリアベルに渡す。
「ありがとう。ロジー」
マリアベルがお礼を言って、もみじを手にとると、
2人は目を合わせた。
小さな手に握られた、そのもみじは、真っ赤で、
2人はこれならいいね。と頷きあう。
そして。
パクリ!
「…っ何してるんだ?!」
「ぺっしなさい。ぺっ」
慌てて駆け寄るエドとロイ。
この時何が起こったかといえば、2人がもみじを手にした後、
なんと、そのもみじを口に入れたのだ。
それに慌てたのは両親で、その口から直ぐにもみじを出させた。
「ふぇっ。おいしくない〜」
「っっあまっくない〜」
ロゼッタとマリアベルは両親の慌てぶりに驚いたが、口に入れたそれは、
想像していたものと大きく違い、苦味だけが口に広がった。
「なんで、もみじなんて食べた?!」
「それは、口に入れるものではないだろ。」
自分たちが怒られていることに気が付いたロゼッタとマリアベルは
それが食べ物では無いことにようやく気がついた。
「食べれるって思ったんだもん!」
「ね〜。だってぱぱ言ったから。」
怒られても、自分たちは悪くないと2人は、
少し頬を赤くして、正当性を主張し始めた。
「パパが言ったの?」
愛娘の主張を聞き入れた裁判官(エド)はロイに疑惑の眼差しを向ける。
たまに、この子煩悩な父親は、
娘たちにとんでもないことを言ったりすることがあるために、その信憑性は高かった。
「なっ私はもみじが食べられるなんて言ってないぞ!」
急に犯人扱いされたロイは、その疑惑を否定する。
確かに、さっきの慌てようは予期していなかった事態が起きた時の反応だったし、
娘に害があるようなことは、幾らなんでも言わないだろうと思う。
と言うか、絶対にしないだろう。
「パパは何て言ったの?」
だから、言ってないっというロイの証言は一旦無視して、
再度子ども達に問い掛ける。
「前に、リンゴがりに行ったときに言ったもん。」
「そう。ミドリのがアカくなったら、あまくて、食べられるよって」
「ね〜。」
「もみじもミドリからアカになるんでしょ?」
そうそうと頷きあう子ども達。
前はリンゴ狩りで、今日は、もみじ狩りでしょう?と更には聞き返してきた。
「紅葉狩りのもみじも緑から赤になるから、食べられると思ったの?」
「うん!」
自分たちの主張が母親に伝わったことが嬉しいのか、
満面の笑みで頷き同意を示す娘たち。
そうなのだ。
リンゴ狩りで、リンゴが食べられた子ども達は、紅葉狩りではもみじが食べられると思っていて、
緑が赤になると甘くなるというロイの言葉から、
もみじが赤くなっているのだから、甘いだろうと、それを口に入れたのだった。
「はっははは」
「くくっはは」
唖然としたが、そのなんとも子どもらしい発想に
ロイとエドは笑いを堪えられなかった。
「何で笑うの?」
すねたように聞く、その声に
「同じだと思ってね」
「似ていると思って」
そうほぼ同時に答えれば、
「君も覚えが?」「ロイも?」と今度は向き合って笑い出した。
「ねぇー何で笑うの?」
ロゼッタとマリアベルは2人が笑っているのが面白くなく、
そろそろ癇癪を起こしそうだった。
そんな子ども達に、「ごめん。ごめん。」と涙の浮かんだ瞳で誤りながら、
ロイとエドはそれぞれ、子ども達を抱き上げた。
「ねぇ。なんで、笑ってたか教えて?」
もみじのトンネルから少し離れた原っぱで、
敷物を広げて、お昼を食べていた。
癇癪を起こす寸前だったロゼッタとマリアベルだったが、
抱き上げられると泣き止むのは赤ん坊のころからで、
話を聞くのが途中になってしまっていた。
大好きなサンドウィッチと美味しいローストビーフに満足したのか、
マリアベルがもう一度笑っていた理由を聞いた。
食後のお茶を淹れていたエドは手を止めてロイの方を見る。
ロイも困ったなというような顔をしてこっちをみていた。
言わなくて済むのならあまり言いたくは無いのはお互い様のようだけれど、
好奇心旺盛なお姫様たちは、なかなか納得してくれそうになかった。
「う〜ん。ママも小さい時に、ロジーとマリーみたいなことをママのお母さんに聞いたなぁ〜って思ってね。」
「ままのままに聞いたの?」
今度はロゼッタが興味を持ったのか、身を乗り出して聞いてきた。
その様子に、覚悟を決めて、
エドは自分がなぜ、笑ってしまったのかを娘たちに話はじめた。
「そう。風船は、息を吹き込むと膨らむのに、どうして頬っぺたは膨らまないの?ってね」
言いながら、ぷぅとその頬を膨らまして見せれば、ロイは笑いだした
が、ロゼッタとマリアベルは「どうしてかな?」と少し不思議そうにしてくれた。
「パパは?」
2人の不思議がここで終わってしまったら、ロイの昔話が聞けないような気がしたので、
今度はエドが、ロイに問い掛けた。
笑われるとは分かっていたけれど、笑われたのが悔しかったからかもしれない。
エドの問いかけに、ロイは苦笑したが、黒い髪を少しかき上げて、
娘とすでに笑いそうになっている妻に話した。
「私はね。黒くなったバナナは甘いのに、パンは黒くなっても甘くないのってね」
笑いそうだった妻は、やはり盛大に笑ったが、
幼い娘は、エドの時と同様、どうしてだろうと首を傾げていた。
「ぱぱ、まま。どうしてなの?」
「ねっおしえて?」
しばらく悩んでいたが、
もう降参とばかりに、沢山のどうしての答えを娘たちは欲しがった。
しかし、これは、これから見つけていくものだから。
「それは、自分たちで見つけなさい。」
「そう。時間がかかっても、どんな答えでもいいから、自分たちでね」
「まっててくれる?」
「「もちろん」」
その言葉に、ぱぁと笑顔になったロゼッタとマリアベルは、
もみじがなぜ、赤くなっても甘くないのか、
頬っぺたは膨らましても、どうして風船みたいにならないのか、
黒いバナナは甘いのに、パンは黒くても甘くならないのか、
という問題を真剣に話あっていた。
淹れかけだったお茶をもう一度淹れ直して、
暖かいお茶を飲みながら、暖かく子ども達を見守る。
「どうして」は知ることの第一歩
どんな些細なことだとしても、それを自分で納得することは難しい。
人に聞くよりも、ずっとずっと時間がかかる。
でも、それが分かったとき
その時間が大きな財産になることを2人は知っている。
かつての自分たちがそうであったように。
「あの2人。錬金術師に向いているのかな。」
「ああ、あの発想ができるのは、そうそういないらしいから。」
悩んでいる子ども達の邪魔にならないように、今度は小さく2人で笑った。
まだまだ、時間は十分あるよ。
いろんなことを話して、聞いて、考えて。
自分たちで答えを見つけたなら、笑顔で教えに来て。
どんな答えであったとしても、きっと頭を撫でてあげるから。
その答えが聞けることが、楽しみでならない。
さあ、貴女たちは、どんな答えを見つけるのか。
パパとママとの答え合わせは、その時に。
その時は、また、4人でこの「もみじのトンネル」に来ようか。