【思考的問題】
決めていた事や考えていた事があるの。
囁かれていたその言葉も。もたらしてくれた喜びも。
すべてが愛しいけれど。
貴方がくれた自信も何もが意味を成さないそんな時が来たなら、
私は貴方のもとを去ろうと決めていたの。
貴方に初めて愛を囁かれた日と、
貴方に初めて愛されたあの日に。
そっと決めた事があるの。
「あれは・・・不意打ちだと思うよ」
リビングの広い机と同じ樹木から作られた棚。
綺麗なグラスや、高価なブランデーが並べられているその棚には、
白い服に身を包んだ二人の写真が飾ってあった。
とても恥ずかしいので、客が来たら一番先に隠してしまう事が習慣になったそれは、
見るたびに暖かな感情をもたらしてくれていたというのに。
それが嘘のように、今はツキリとした痛みを起こさせた。
木のフレームがキリと音を出す事も構わず、
金色の髪を後ろに流した小柄な女性は、強く胸の前で写真抱きしめた。
なんで違う女の人と並んで歩いていたの?
今日は遅くなるなんて言ってたのに。
それが仕事なら許した。
けれど、彼は蒼い軍服ではなかった。
自分が見たことのない彼の私服。
その服も彼女と買ったの?
決めていた。
私が貴方に愛されているという自信。
それは貴方が確かに私にくれた物なのに。
それが信じられなくなったら、それすら信じられなくなったら。
貴方のもとを去ると決めていた。
まさかこんなに簡単に信じられなくなるなんて思わなかったけれど。
身一つで貴方に嫁いで、貴方の妻になった。
だから、この気持ちしか貴方に返せるものは何もない。
それが疑心に汚れてしまうのならば、
もう傍にはいられない。
男と偽っても女の心が悲鳴を挙げていたことを、気付いてくれた人。
痩せた肌を美しいと言ってくれた人。
今でもこんなにも愛しているのに。
「ごめんな・・・ロイ」
◆◇◆◇◆
ロイが家に帰ったのは深夜。
「今日はこのままお泊りになっては如何ですか?」
「いや、大切な人が待っているのでね」
「あら!妬けますこと。でもお電話でお知らせしていたのでしょう?」
「それはそうですが、彼女を一人にしておく事が心配なのですよ」
そんな会話の後で、すでに街に光るのは薄暗い電灯だけであった。
遅くなるので、先に休むように言ってはいるが、それでも心配な事に代わりない。
思わず急ぐ脚に薄く笑い、家路を進む。
「おや?」
もう少しで愛しい人が待つ家の前。
そこで違和感が一つ。
・・・電灯がない。
玄関先にはいつも一つの明かりが灯されていた。
それは一人暮らしから、ともに暮らす人が出来たという証のようで、
いつも自分を嬉しくさせていたのだ。
(忘れているのか、電灯が切れているのか・・・)
今まで、たとえ遅くなると言わなくとも点けられていたその明かりが、
その日以来、彼女の手によって点けられる事は二度となかった。
「エディ?・・・寝てしまったのかい?」
開いたドアの音は静かな空間に、大きく響き、
暖かかった部屋はどこまでも暗い。
たとえ先に休んでいたとしても、これはどこかおかしい。
(・・・気配がしない)
自分はすの空気をよく知っている。
彼女と暮らす前の、誰もいない気配。
いや・・・愛しい人の気配を感じられないとはこんなに恐ろしい事なのか。
ゾクリと背中を駆け上がる感覚に、腕で肩を強く押さえつける。
「エディ!!?」
一気に二階へ駆け出し、寝室のドアを乱暴に開ける。
『暗いと嫌な夢・・・見そうじゃない?』
彼女はいつもそう言って、ベッドの横にある簡易照明を点けていた。
恥ずかしそうに言うものだから、肩を引き寄せてまぶたにキスを贈ったのだ。
・・・そう、彼女は眠る時には簡易照明を点ける。
彼女が眠っているのならば、この部屋すら真っ暗なのは何故だ!!
「エディ!!!」
再度大きく名を呼び、苛立った気持ちのままに壁を強く叩く。
ドンという音と共に、フワリと香ったものがあった。
それは、甘い甘い女の香り。
あの清らかな妻のモノではない香りが鼻腔を掠め、
いっそ吐き気すら起こしそうだ。
今日、共に過ごした時間は・・・妻とのモノではなかった。
「まさか・・・」
自分の考えの先に真青になる。
慌てて、クローゼットを引き開け、妻の衣装を確認する。
「ない」
開いたそこには、妻の服だけが抜き取られ、
ガランとした隙間があった。
丁寧にお揃いのものは、その形状を維持し、
それが物取りなどの仕業ではなく、意思を持った妻の行いであると確信する。
甘い甘い自分の考え。
それがもたらした事の大きさは、
知った後にはもう戻せない程。
【雪ウサギ】「思考的問題 3」
ゴトゴトと規則的な振動に、体を揺らしながらも
流れる窓の景色から一度も眼を離さない。
そう言えば、自分はしばらくこの振動を感じていなかったと、そうぼんやりと思う。
遠くない過去の中に、永遠とも思えるほど過ごしてきた時間だというのに。
いつも傍にいた存在が変わり、
求めるモノもまた変化したのだと思っていたのに、
どうして自分はここに一人でいるのだろう。
寒さの中で進む列車は、大きな荷物を抱えた人ばかりだ。
それもそのはず、この路線に乗る人など行き先が田舎だから、
出稼ぎからの帰宅か、都会での買い物を終えた人がほとんどなのだ。
この中に、夢破れた人はどのくらいいるのだろうか。
優しい家族のもとへ帰ることを、多くの人はどう思っているのだろう。
窓のふちに白く線が出来始めたのに気付く。
(・・・ゆき)
速度が速い列車の窓に、流れ着いた白い結晶は、
外面の窓を冷やしながら薄く積もり始めた。
あれはいつだったか。
・・・寒い初雪の日だった。
『雪ウサギをつくろう』
『ゆきうさぎ?』
『なんだ?知らないの??こうして・・・あとは赤い実をつければ終わり!』
『赤い実?』
『目に使うんだよ!・・・南天とかあれば・・・』
きょろきょろと探すも、赤い実はなくて。
しゅんっと肩を落とせば、クスリと笑う音がした。
『君が欲する赤い実は、ここにはないのだから。
君の悲願が達したなら・・・もう一度作ってくれないか?』
その時には、『南天の実』も望む赤い実になるから。
もう一度作ろうと貴方は笑ったのに。
「一緒にいなきゃ・・・赤い実も雪ウサギも意味ないじゃん」
確かに手に入れた『赤い実』
手も足も今では温かい。
けれど、あの冬の日よりも心はずっと寒いと震えている。
雪ウサギを作ろう。
あの真っ白な雪原で。
となりに貴方がいないから、
私の涙できっと溶けてしまうけれど。
雪ウサギを作ろう。
貴方がいないから、ウサギの目はずっと白いままだけれど。