■ 流れる雲に思いを重ねる ■

 

 

 

 

 

 

 

「あいつら・・・今頃どの辺りにいるんスかねぇ」

 

 

とても陽気のいい日であった。

すこぶる順調に書類が片付き、有事を告げるサイレンも鳴らない一日。

各々は決済済みの書類をファイリングし、または郵送の為の封筒に終い、

各人が行うだけの仕事をきっちりと終えた。

 

いつもは銃を構えられなければ終了を告げない、部屋の中でもっとも地位の高い男のデスクにも、

大変珍しいことに、今日は書類の山は見えなかった。

 

 

味気ない執務室の椅子に座り、それぞれのカップを手にして熱いコーヒーを啜る。

これからは冷たい飲み物がよい季節になるが、それでも疲れた頭にはこれがいい。

仕事終わりの冷たいビールの一杯はまた別の話だが。

 

 

そんな時に、ぼんやりと外の雲を見つけたハボックは、

当初の言葉を口にした。

空はまだ青く光る時間帯で、真っ白な雲がはぐれたように1つだけ浮かんでいる。

そんな1つの雲が何に見えたかだなんて、そんな夢のような話を繰り広げるわけでもなく、

ハボックはぼそりと言葉を発した。

 

 

それに応えたのは陶器で出来た愛用の小さな赤い花が描かれたカップを手にしたホークアイだった。

 

「そうね・・・前回顔を見せたのが随分と前だから」

 

「正確には、1カ月と12日前ですな」

 

そう付け足したのは、銀色の簡素なカップを持っていたファルマンであった。

自分のデスクに立てかけられた小さなカレンダーをそっと見ての言葉だった。

 

 

 

ハボックは「あいつら」と口にしただけだった。

しかし、それだけでこの執務室内では会話が成立する。

 

 

要件を完結に、それでいて正確に伝えなければならない軍部の中にあって、

それでも「あいつら」は「あいつら」で通じてしまう。

それほどまでにこの軍部の中に足を突っ込んでしまわなければならなかった「あいつら」が、

その事をどう考えているかなんて、執務室にいる大人たちは分かりはしないけれど。

 

 

 

「でも、早く願いが叶うといいですよね・・・あんなに頑張っているんですから」

 

そう小さく祈るように言ったのは、

可愛らしい犬の形をかたどったカップを大切そうに持っている、フュリーだった。

 

その言葉にうんうんと頷いて、豪快に大きなカップの中身を飲み干したのは、ブレダで、

「確かになぁ・・・あいつら、頑張っているもんなぁ」と呟いた。

 

 

 

それぞれが自分の幼かった時を思い描いていた。

 

 

野っぱらを駆け回っていたり、昆虫の不思議にワクワクしたり、

山ほど出された宿題に疲弊して、友達と手分けをしてやってみたり、

ぎゅっと抱きしめる母親の香りに安堵して、それでも照れ臭く感じたり、

隣を通る異性を意識したり、そんな事ないなんて振りをしてみたり。

 

 

それらの思い出が幸せであるほどに、

きゅっと胸の奥が痛んで、その先に「大丈夫」と苦く笑う子どもの顔がある。

 

 

 

罪を犯してしまった子ども。

その罪を痛いほどに理解している子ども。

それに立ち向かうと言えば聞こえは美しいかも知れないけれど、

実際に歩む彼らの道は想像を絶するものであることだろう。

 

 

 

暗い闇に怯えて、泣き出しそうになる自分を叱咤して。

朝焼けに過ぎた時間を見せ付けられ、その度に絶望に似た何かを感じる。

 

 

もう少しと言うほど近づいたものが、

簡単に指の間からすり抜けていく感覚はどれほど痛いものであるのか。

追い詰めて追い詰めて、やっと開いた宝箱は、

汚れたただの板切れで、ドロリと溶け出した不純物ばかりがそこにある。

それがどれ程あの子どもを苛んでいることだろう。

 

 

 

「人はね・・・・罪だと分かっていても、それに手を染めてしまうことがある。 

 しかし、それを誰も責める事が出来ないならば・・・・・その罪は罪にはなりえない」

 

 

淡く色づけされた品のいい茶器を手に、ロイは親のように諭す声で告げた。

それに振り返った執務室の大人たちは、その声を頭の中で反芻する。

 

 

「責任阻却・・・ですか?」

 

カップをデスクにおいて、ホークアイはロイに対してその真意を問うてみる。

例えば、幼子が何も判別付かぬままに、罪を犯したとしても、

それを責めることは出来ず、すなわち罪とはみなされないとするのが責任阻却であった。

法の上ではそのような判断がなされる。

 

 

「あの子達は、【命】の本質を問い間違えた。

 そして、それを成せ得るだけの【力】があると己を過信した。

 12歳の子どもが母親の死を嘆いた結果として・・・だけれどね」

 

 

ロイは静かに告げながら、ゆらりと波状を浮かべるコーヒーを啜る。

もしかしたなら、その頭の中には、

惨劇とも言える3年前のエルリック家の様子が浮かんでいたのかも知れない。

 

 

「それは・・・責任阻却になるんスか?」

 

 

どんどんと流れていくぽつりと1つの雲を見ながら、

ハボックはロイに対してそう尋ねた。

 

 

 

子どもが母親の死を嘆き、

その力を利用して取り戻そうと願った事。

 

子どものしたことを誰も罪に問えないならば、

あの子ども達はもしかしたなら、罪を犯してはいないのではないか。

あれ程までに追い詰められる必要はないのではないか。

 

 

ハボックの声に、執務室のそれぞれがロイの方を見る。

ゆっくりとした動作で、ロイは自分のデスクにカップを下ろす。

 

 

「それが問題なのだよ・・・・罪が罪と認められなかったならば、

 果たして本当に、何も無かったと幸せに過ごすことができるのだろうか」

 

 

もしかして、あの幼い2人が年相応に稚かったとするならば、

その絶望な罪の重さに気付かなかったかも知れない。

 

その時にそうして過ぎていく時間のまま、

彼らは真っ直ぐに大人になって行くことができるのだろうか。

 

 

 

「犯した事は変らない。それを受け止めるかどうかも個人の枠の中かも知れない。

 けれど、あの子たちはそれ程に幼くはなく、そして、それ程に大人でもなかった」

 

 

子どものように泣き叫んで「助けて」と訴えられるほどに子どもでなく。

大人のように「子ども」の振りをして逃げるられるような大人でなかった。

 

 

 

「でも・・・自分でした事を自分で見つめ返すって・・・意外と難しい事ですよね」

 

フュリーがカップの複雑な曲線を撫でながら、

まるで愛犬を愛しむような目線でそう小さく言った。

 

「そうね・・・確かに、それは怖い事だし、とても強くなくては出来ない事だわ」

 

どこまでも通るようなホークアイの澄んだ声は、経験を伴うとても綺麗な音だった。

 

 

 

ここにいる者たちは皆、軍人であり、

それぞれに倫理やら人権やらを無視した行いをしなくてはならない事があった。

それを守るための軍であるはずなのに、進む先はそれを許してはくれなかった。

 

 

人を騙す罪

人を唆す罪

人を殺す罪

 

 

誰もが分かっていることであった。

それは軍人であろうと、民間人であろうと罪であったのに。

 

それが罪だと知りつつ、責任を問われない立場の自分たちは、

その力を行使して罪を重ねていく。

 

 

あたかもそれが正しいのだと言い聞かせて。

 

 

 

「だからこそ・・・あの子たちの力になりたいと願ってしまうのだろうね」

 

 

 

柔らかく顔を崩した上司を見て、

部下たちは、複雑な思いを胸にして同じように苦笑した。

 

 

 

罪を罪だと理解して、

それをしっかりと受け止めて、それでも進もうとしているあの子達を。

 

どうして愛さないでいられるだろう。

その姿は時に胸を痛ませるけれど、泣きたくなるような辛さを運んでくるけれど。

それでも抱きしめたくなる感情と、生きている事への執着を自分たちに与えてくれる。

 

 

 

どうか願いが叶いますように。

あんなに頑張っているのだから。

あんなに苦しんでいるのだから。

 

罪を帳消しにしてくださいなんて、そんな風に願いはしない子ども達。

罪を受け入れてなお、彼らに幸せが訪れるように。

 

 

 

ぽつりと浮かんだ雲は、

どこか大きな雲に追いつくだろう。

 

空は青から夕焼けとともに赤く色づきだすだろう。

 

もう少しだけ、風に暑さがこもり始める頃になったら、

元気な子どもの声がこの司令部に響くだろう。

 

 

多少の嫌味と「無事でよかった」という安堵を伝えて、

また苦いコーヒーを啜ろうか。

 

その時は給湯室に置いてあるあの子達専用の2つ色違いのカップを使わなくては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロイエド子