願いはいつも残酷
さぁ、さよなら
「俺が死んだら、大佐の焔で燃やしてね」
何を馬鹿なことをと笑って相手の額をぺチリと叩く事は、もう出来なかった。
それ程にあの子の病は進行していたから。
日に日に痩せていくその白い頬は、国中を旅していた時の温かな色とは違い、
青白く病人のそれであった。
あの子の病が発覚したのは、彼が悲願を達成した時だった。
短い手紙だけでその計画を告げたあの子を探して、
町外れにぽつりと残された倉庫に辿り着いたのは深夜も回った時刻。
ギィと音が響いて、埃っぽい風がもわりと浮き上がった中に足を進めれば、
外からの月明かりに細く照らされた一本の光りの先に、金色の光りはあった。
自分はもう外聞もなにもなくただ喚いた。
あの子の名を。
床にはべったりと血が撒かれていて、それは彼らと初めてあった時の部屋を連想させた。
そして戦慄に戦慄く自分を叱咤して、その金色の光りにそっと手を伸ばす。
「大佐・・・・?」
「鋼のっ!!!!」
頬をそっと撫でたら、こちらの名を呼んだ。
そして、ゴポリと口からは鮮血を。
暗いはずのその倉庫の中で、金色と赤だけがまるで色を持っているかのよう。
確かに練成は成功していた。
けれど、それに耐えられるほどに彼女の身体は頑丈にはできていなかった。
「アルは・・・・どうしている?」
「・・・・・リゼンブールに」
そっか、と目を細めて彼女は笑った。
成功した人体練成。
生まれたのは一人の男性。
失われた10歳の姿で、傷も何もなく。
医者の診断では内部にも全く損傷は見られないと言う。
ただ記憶がないだけ。
この旅をしてきたその間。
母親の練成をしたその瞬間。
姉弟で過ごしてきたその時間。
日常生活に支障はない。
彼は自分の故郷も、母親が病で死んだことも、すべて覚えていた。
よく泣き、よく笑う幼馴染の事も。
けれど、以前の彼が最も大切にしていたと我々が思っていた、
姉との想い出や・・・・姉という存在を忘れてしまっていた。
それは、忘れたというよりも、もともとそこに存在していなかったかのよう。
彼女がいないままで、彼の世界は完結してしまっているのだ。
病に倒れた彼女の元を、彼は1度も見舞いに現れない。
それを彼女も望んでいた。
「いいんだ・・・俺の事なんて忘れていい。
その方がいいんだ・・・・うん。良かった・・・・」
良かったなんて、そんな事ありはしないだろう?
君はこんな結末を望んで、あの辛辣な毎日を過ごしてきたというのかい?
それならば、どんな事をしても私は止めていただろうに。
彼女の身体はボロボロだった。
医者は開口一番に「生きているのが不思議だ」と言った。
行った様々な検査の全てが異常をまざまざと示していた。
「君が・・・君が望むものは?」
君が望むなら、全て叶えてあげるよ。
この世が欲しいなら、丸ごと赤いリボンで飾って贈ろう。
君は何を望む?
「・・・・・なら・・・・・・」
彼女の瞳は金色に輝く。
それは、決して濁ることのない美しい琥珀の色。
長い年月で蕩けた蜜が、大切に固まった優しい光りのそれ。
白い病室のシーツの上で、
彼女は今までにない様な穏やかな笑みを浮かべて。
それに怖さすら覚えるけれど。
「俺が死んだら、大佐の焔で燃やして」と。
まるで子どもが小さな人形をサンタクロースにお願いするかのように、
とても純粋なものに聞えるのは何故だろう。
「冗談だろう」と笑って、「君は死んだりしないよ」という事を大人はしないといけない。
けれど、それは、居ないはずのサンタクロースを必死に「いるのだ」と思い込むようなもの。
なぜなら、彼女の死は間近に迫っていて。
その治療に、医者は匙を投げている。
ただ、ゆっくりと呼吸をし。
通り過ぎる風の匂いを感じて、沈む夕焼けの明るさに目を瞑る。
君と交わしたのはまるで、ままごとのような恋愛だったね。
連絡もなく訪れる執務室のソファーで、
くぁと欠伸をしている君の髪を後ろから解いて、そっと髪にキスを贈る。
それは、全く意味を持たないようで、実は何よりも崇高な行為に思えて。
どうしてだろう、そんな瞬間を。
泣き出しそうに今、思い出している。
肌を重ねた事も、唇を合わせた事もなかったというのに。
ただ、じゃれる様な優しさを重ねていたその瞬間が堪らなく大切に思えるだなんて。
もう一度、君が血を吐いたら。
それで、終わり。
咲く前の花の蕾が、クタリと地に倒れる瞬間。
「ね、大佐の焔で燃やして・・・ね」
もう一度、小さく念を押すように。
小さな声で、本当に小さな声で、そう言って。
彼女は、ゴポリと血を吐いた。
さぁ、さよなら。