ここは中央の一等地。

軍の高官には相応しいその立地ではあるが、幾分邸宅は豪華さに欠けているように見える。

それというのも、主の妻が「そんな馬鹿でかい家に住めるか!」と同居を拒みそうになったために、主が敷地の割に小さな邸宅を建てた。

その代償に、広い庭が生まれたのだが、その庭は妻のお気に入りの場所となった。

 

 「気持ちいい風だな〜。」

 

そう言って胎動を感じ始めたお腹をゆっくりと撫でるのは、

庭がお気に入りのエドワードであった。

すでに、妊娠六ヶ月となり適度な運動が可能になったため広めの庭に出て、

止められていた洗濯物を干していた。

 

「全く、洗濯ぐらいできるってーの。」

 

身重な妻を殊の外心配する旦那、ロイ・マスタングは、洗濯籠を持って転びそうになったり、

言えば怒るのだがエドの背に合わせて作った特注の物干し台であろうと、干す時にバランスを崩した妻を目の当たりにした時から、洗濯の禁止を発令した。

その心配は適切なものであったが、運動した方がいいのだと聞けば止めることを断念し、

くれぐれも用心することを約束させることに成功した。

 

「早く帰って来ないかな。」

 

洗濯を干し終わって、まだ青い空に問いかける。

青はロイを思い出す色だと、エドはそう思う。

扱う焔は赤いけれど、自分を包んでくれるロイは、この空のように感じる。

 

六ヶ月目の定期健診を終えて、超音波により、子どもの性別が分かったのだ。

早く教えてやりたいし、決めなければならないこともある。

 

 

 「ただいま。帰ったよ、エディ。」

 

一人で暮らしてきたそれまでとの違いを感じるのは帰宅の時だ。

明かりの無かった家には、暖かい生活の灯が灯っててるし、帰ったと告げる相手もいる。

そのことが、自分に帰る場所と、帰らなければならないことを認識させる。

扉を開けば、夕飯の匂いとともに迎えてくれる愛しい人。

 

妻の作った夕飯を二人で囲み、片付けを終わらせ、仲良く二人でお風呂に入る。

悪戯したい衝動にかられるが、今日は大切な話があるからと待ったをかけられた。

 

「話とはなんだね。」

 

エディの金の髪を拭いてやりながら、ベッドに腰掛けてその報告を聞いた。

 

「今日の定期健診でな、この子たちの性別が分かったんだ。」

 

「この子…たち?」

 

「へへへっ…女の子で双子なんだって。」

 

あっ目が丸くなった。

うん。

たぶん俺も同じような顔していたんだろうな。

 

だったら、この後の反応も予想できる。

 

「本当に…ここに二人の命があるのかい?」

 

あ、やっぱり。

不思議だよな、一人でも驚いたのに、二人も同時に宿すことができるなんて、

 

なんて幸せなことなんだろう。

 

 

「女の子なのかい。」

 

「うん。きっとそうだろうって。でも、男の子ははっきり断定できるけど、女の子って言ってても男の子の場合もあるんだってさ。だから、名前は一応二通り用意しといたほうがいいんだって。」

 

幸せそうにして、ゆっくりとお腹を撫でるこの人の手は、本当に優しいと思う。

自分の髪を梳いてくれるその動作も好きだけれど、お腹を撫でてくれるのは、

自分だけでなく、子ども愛していてくれるのだと感じられるので、一等好きな行為だ。

 

「名前…決めてくれますか、お父さん?」

 

なんだか、秘密の作戦をしているようで、ワクワクする。そんな、自分の考えが伝わったのか、ロイもクスリと笑いを溢した。

 

「そのような大役を任せて頂けるとは、光栄ですよ。奥さま。」

 

 二週間の間、副官に銃を突きつけられようと、

「可愛い子どもの名前の付け方」という本を決して離そうとしなかった軍部の司令官は、

至極幸せそうに二人分の名前を考えていた。

すでに、男の子かもしれないという考えは皆無で、

「やはり、女の子だと思っていたのだ」と嬉しそうに語ったという。

 

・・・この名前が男の子の名前ならば、起こらなかった騒動が起こることなど誰も考えてはいなかった・・・

 

その日もやはり、エドの髪を当然のように手櫛で梳いてやりながら、ロイは話し始めた。

 

「エディ。いろいろ考えてみたのだが、やはりこの名前が一番よいと思うのだよ。」

 

気持ちよさそうに目を閉じていたエドは、嬉しそうにその蜂蜜色の瞳を開いた。

 

「何。何て名前にしたの?」

 

急かして聞いてくるその声に、

 

「ロゼッタとマリアベルというのはどうだろうか?」

 

その幸せそうなロイの声にエドは顔をしかめた。

 

 

それに焦ったのはロイであった。

微笑んでくれると思っていた最愛の妻は、ひどく悲しそうな顔をして俯いてしまった。

ありきたりな名前だとも思うが、それに決めた理由は有る訳で、まだ何も伝えてはいないのにどうしてそうも辛そうな顔をするのだろうか。

 

 

「・・・ごめん。俺、今日はリザさんとこに泊まる。」

 

瞳に涙を溜めて、そう告げるエディは小さく震えていた。

その状態が、ひどく傷ついているのは明白で、ロイはさらに焦る。

 

「何があったのだね。私の何がエディを傷つけた?」

 

「・・・ごめん。今は、ロイの傍に居たくない。」 

 

自分を拒絶したエディを今まで何度見ただろうか。

しかし、それは烈火のごとく怒る姿で今日のように、震えながら悲しむようなことは無かった。

傍にいても苦しめるばかりだと判断して、ここは不本意だが、姉のようにしたっているホークアイ大尉に任すことがよいと考えた。

家から出すのは心配なので、すまないと思いつつも電話でホークアイ大尉に自宅まで来てもらった。

 

 

夜の風が広い庭に吹き込んでくる。

月の光が差し込むその場所だったが、その光はエディの悲しむ瞳と同じ色をしていて、

見ていると辛くなった。

なぜ、彼女は、子どもの名前を告げただけで、ああ動揺したのだろうか。

 

 

 「エドワード君?」

 

昔の癖からか、ホークアイは性別が女性であると知ってからもエドのことをそう呼んでいた。

ロイが子どものために職務を滞らせてまで名前を考えていたことを知っているだけに、

彼女の涙の意味が分からない。

 

「リザさんは、ロイの手帳って見たことある?」

 

軍から支給されているスケジュール帳は豪勢な革張りのものだが、

かさ張るためあまり重宝していなかった。

ましてや、あの上司は自分にスケジュールの管理を任せているので、

軍の手帳にはほとんど何も書かれてはいないだろう。そうなると、もう一冊の方だろう。

 

「錬金術の研究手帳?」

 

ロイは軍の指揮官であると同時に国家錬金術師でもある。

そのために、研究手帳というものが存在するらしいが、その錬金術とはたとえ長年部下として傍にいようとも理解できるようなものではない。

 

「あいつの手帳・・・女の人の名前がいっぱい書いてあるんだ。」

 

エドは俯いていたその顔を上げて、辛そうに顔をゆがめる。

 

「もちろん、過去のことにまでどうこう言うわけじゃないんだ。

大切にしてくれて入るって思えるし。でも、子どもにその名前をつけるなんて間違ってるってか、嫌だ。」

 

止まっていた涙が再びこみ上げてきて、エドは急いで顔を俯かせた。

 

「一回だけ、見たことある手帳に、ロゼッタとマリアベルって名前があったんだ。」

 

   

トントンと階段を下りてくる音に、顔を上げる。

リビングで待とうとも思ったが、少しでも近くに居たくて、結局ロイは階段で待っていた。

降りてくるのは、ホークアイだけで、彼女でも解決できなかったのかと、不安が過ぎる。

 

「エディの様子は?」

 

そう問いかける声に、副官は銃で答えた。

ガチャリと安全装置を外す音が響く。

 

「なぜ、妊婦をあれほど落ち込ませるようなことができるのですか。」

 

それはこちらが聞きたかったが、ホールドアップの体制を整える。

 

「お子様の名前を、昔の女性名からつけるなど、お止めになった方がよろしいと思いますが。」

 

 

明かりのない寝室に愛しい人の気配を感じる。

ベッドの上で布団に包まっているのか、近づいていく。

 

「エディ?」

 

優しく読んでみれば、ビクリと体を揺らしたので眠っていないことが分かる。

 

「手帳を見たのかい?」

 

起きているだろうに、言葉に反応はない。

よほど怒っているのだろう。

確かに、自分は研究手帳に女性との予定を書き込んではいた。

しかし、それは彼女と恋人関係になる前のことで、恋人になってからは一度として他の女性と付き合うような真似はしていない。エディ以外に欲しいと思う人などいはしないのだから。

 

「エディの見た手帳は、私の研究手帳だよ。私の暗号は女性名を使っているから、それを見たのだろう。」

 

その声に、布団から顔を出したエドワードは、赤くした目で睨み返した。

 

「都合のいいように言ってんじゃねーよ。

だいたい、研究手帳なら同じ名前ばかりが続くのも変だろうが。はっきりと昔の女の名前を子どもに付けたいって言やあいいだろ!」

 

睨み付けて、暴れたいのに、体は上手く動いてくれない。

この体の重さでさえ、嬉しくなっていたのに、愛してくれていると感じていた人は、

大切な子どもたちに女の名前を付けようとしている。

どうして我慢ができるだろうか。

俺だって国家錬金術師の名前は伊達じゃない。それがたとえ暗号で意味まで分からなかろうが、研究手帳かどうかぐらい分かるものだ。

どうして、そんな嘘を言うのか。

彼が大勢の女の人と付き合っていたことぐらい知っている。

乗り越えたはずの疑心をどうして今になって再び感じなくてはならないのか。

 

「エディ。落ち着いて、これを読みなさい。」

 

ひどく静かな声で手渡されたのは、問題の手帳。

自分の記憶には自信があるから、間違いようもなくそれは、あの時見た手帳だった。

今更、読みたくはないと突き返そうとするが、ロイは一枚の紙を添えた。

 

「これが、解読方法だよ。当てはめて読んでごらん。」

 

 

 ○月×日。今日はロゼッタがやってくる日だ。この日のために、どうにか予定を空けることが出来た。珍しく電話をくれたことに感謝している。どう過ごそうかと今から楽しみでならない。

 

 ×月△日。今日はとにかく日差しが強い。暑さにも、寒さにも弱いマリアベルのことが心配になる。どうして、自分は近くにいてやれないのか。立場ばかりの軍が嫌になる。

 

 

「・・・何だって言うんだよ。結局解読したって、日記ぐらいにしかなってないじゃないかよ。」

 

「そう。日記だよ。ここには、私の素直な気持ちが書かれている。」

 

解読したところで、女性に対するロイの気持ちが分かっただけで、余計に悲しくなる。

研究手帳だ何だと言っておきながら、日記だという。

訳が分からないけれど、悲しさだけは増すばかりだ。

 

「解読には、もう一つ必要な作業があるのだよ。」

 

そう言って、複雑に並べたアルファベット文字を見せる。目は涙でぼやけてしまっていたので、よく見えない。

エドの瞳の涙をロイは口付けで掬う。

くすぐったさと、消せはしない不安の中で、エドはもう一度手帳を読み直した。

複雑なアルファベットを使いながら、耳の横から発せられるロイの言葉を辿っていく。

 

−「愛しいひと」−「恋しいひと」−

 

名前を複雑に組み替えていけば、その二つの言葉が出来上がった。

難しかったその暗号は、作業からは考えられないほど単純な言葉になった。

しかし、これを当てはめたところで、エドには日記だと言ったロイの真意を掴むことはできなかった。意味が変わるわけではなく、解き明かした満足感など、どこにもありはしなかった。

 

「君に会えなかった時間はどれだけあったと思う?その時間の分だけ、この言葉が必要になったのだよ。」

 

少し照れたように、しかし、優しく。エドの耳元で囁かれるその言葉はとても小さいものだった。

 

「どういうこと?」

 

エドの疑問を解くことが出来るのは、きっと暗号ではなく、ロイからの言葉だけだ。

そこには、天才と言われた国家錬金術師ではなく、

一人の愛する人と不器用な恋愛をした少女がいた。

腫らした目は痛々しいが、必死に答えを見つけようとするエドにロイは更に言葉を紡ぐ。

 

「ロゼッタは愛しいひと、マリアベルは恋しいひと、私の暗号を解けばその意味になる。そして、そのひとは、エディ、君だよ。いつも旅にでる君を、私は離したくはなかった。しかし、それを言えるほど私は子どもではなかったし、理解してしまえるほど大人でもなかった。研究手帳は、君の安否を綴る日記帳になってしまったよ。」

 

瞳を和らげてそう言う彼をなぜ自分は信じようとしていないのか。

自分が不安だった分だけ、彼は不安だったのだろうか。

 

「会えた日は、愛しく思うし、会えない日は、恋しく思う。そんな時間を過ごしていたことを、

まさか君に見られていたとはね。ずっと気になっていたのだろう。すまなかった。」

 

ああ、そうだ。

 

ずっと心にひっかかっていたのだ。

その名前が。

 

自分を選んでくれたこの人を、心底愛しいと思うのに、信じ切れなかったのは、いつか見たその名前の為だったのか。

乗り越えたと思った疑心は思い出したのではなく、突き付けられたのでもなく、自分の心の奥に蓋をしてしまっていただけで、自分の中にあったのだ。

 

「でも、なんで子どもにつけるの?」

 

「愛しいと思ったエディも、恋しいと思ったエディも、今は私の傍にいてくれる。つまりは、もう離れることはないだろう。双子として、二人が生まれてきてくれてくれると知って、いろいろと考えはしたのだが、私が特別に思った名前はエドワード、ロゼッタ、マリアベルの三つだけだから、この名前を贈りたいのだよ。」

 

 

三人目が女の子だったらどうするんだよとか、

大体女の子ではないかもしれないとか、

思ったことは多々あったのだけれど、自分が不安に思っていたその名前が、

実はとても愛されていたものだと分かって、嬉しかったし、照れくさくもあった。

 

「紛らわしい、暗号の使い方してんじゃねーよ。」

 

それでもう精一杯の反抗で、明日からは、お腹を擦るときに、

二人の名前を呼んでみようと決めたりした。

 

今はまだ、そんなことを愛しい人に言ったりはしないけれど、

食事の終わったリビングのソファーの上で、何事もなく呼んでみるのもいいかもしれない。

複雑な暗号の下に隠されていたその真実が、

今度は暗号でなくても愛に包まれた名前であることを知ったから。

最初のプレゼント