どうしても、隣にいることが出来ないならばどうすれば、その人の心を自分のものに出来たと思うことが出来るだろうか。
一年という長い間をまるで短いものだと思うことが出来るのは、
そう思い込もうと考えている自分がいるからだろうか。
自分が大切に思っている人は、いつも自分の腕をするりと抜けて、
目の届かないところへ行ってしまう。しかし、自分は追いかけて行けるほど自由な立場ではなく、忘れてしまえるほど強くもなかった。
時折聞こえてくるのは噂話や新聞記事での肝を冷やすものばかりで、
以前わざとしているのかねと聞いたことさえあった。
自分が大切に想っているのは、14も歳の離れたしかも同性であるのだけれど、
その強く前を見据える金色の瞳であったり、決意の機械鎧は
そんな歳の差など簡単に埋めてしまえるもので、
彼の時折見せる憂いの顔は少年のものではなく、そこらにいる大人よりも進んできた道のりの険しさを知っているように見える。
彼が弱そうに見えるのは、怪我をした時や上のものに嫌味を言われた時などではなく、
楽しそうなそのひと時であると知ったのは最近のことだった。
彼は、自分が不利になった時こそその負けず嫌いを発揮して、
ニヤリと笑い、持てる力で解決への糸口を探す。
それは、子どもの悪戯とはいえないようなものではあるのだけれど、
それに似た感覚であることが窺い知れる。
それとは逆に、気心の知れた部下たちと食事をする時や何かの拍子に
昔の笑い話に花が咲くときなどに、彼は子どもらしからぬ表情をする。
それは、本当に一瞬で、もしかしたら、彼自身すら気付いてはいないのかもしれない。
私自身それに気付いたのは最近のことだ。
食事を一緒にする時、彼は断る。
そして、鎧の弟に「きちんと食べないと」と半ば叱られるように言われてからやっと了解の意を示すのだ。
談笑をしながら彼は、横にいる弟を見るその顔のなんと辛そうなこと。
昔話のその中にはひどく遠い幸せだった欠片が詰まっている。
ともすれば、無くさずにすんだものであるのだろう、
その欠片を必死に繋ぎとめようとしているその姿のなんと辛そうなこと。
彼は曖昧に笑う。
昔話のその中に、幸せだった自分と、弟の姿を見つけて。
そして、鎧の弟を見るのだ。
それが現実と言わんばかりに。罪を決して忘れることは出来ないのだと、そう刻み付けるように。
ああ、彼が15歳だと、
どうしてそう思えないのだろうか。
それは、彼の決意を知っているからか、彼の罪を知っているからか。
それは、信じたくはない現実であるからか。
僅か15の子どもが、いや、11の子どもが母親を取り戻そうとそう考えて
何の罪であるというのだろうか。
彼にはその方法があったのだから。
その代価として、さらに大切なものを奪おうとしたものは誰であるのか。
もし、それが神であるというのなら、そのような神などいらない。
子どもが泣いて、血の滲む思いと共に、限りない希望を託して行った行為に、
二度もの母親の死と弟の死を答えとして与えるものが神であろうはずがない。
乗り越えられない試練を神は与えないという。
彼はそれを乗り越えようとしているのではない。
抱え込んでいるのだ。
全てを。
罪も後悔も懺悔も。
その全てを弟に欠片も渡さないように、自分の中に取り込もうとしている。
ああ、こんな子どもがいるとは思えない。
思いたくはない。
こんな生き方を彼にさせたくはないのだ。
自分に少しでも彼の支えになる力があればいい。
帰る場所を無くした彼の、戻れる場所になればいい。
何かを諦めようとした時に、足を止めるその時に、思い出せる存在になりたい。
ここにいるよと、ここにおいでと、
甘える時の短かった彼に、両腕を広げて、
長く罪に伸ばした琥珀色の髪を撫でて、
そうして、抱きしめてやりたい。
半身が温まることのない鉄で補われた彼に少しでも温かさが伝わることを願って。
君の上に幸せが降りますように。
神に嫌われているならば、私が愛すよ。
私はひどく嫉妬深いから、
神に愛されていないのだと君が言った言葉が嬉しかったと言ったらどのような顔をするだろうか。
帰る場所がないのだと震えるのなら、暖かい腕を差し出そう。
見る夢が悲しみだけを誘うのならば、髪を一晩撫でていよう。
ここにおいで。
限りない愛を君に。
どうしても