掴んだ手が暖かい。
取り戻した温もり、取り戻したかった温もり。
泣けないと、ずっと禁じていたその涙を、
弟とともに流した。
【幸せの約束】
リゼンブールにあるロックベル家に軍服を着た一団がいた。
彼らがそこに来た理由は一つ。
ずっと見守ってきた姉弟が、そこに居るから。
エドワードとアルフォンスは、人体練成を行なう場所をリゼンブールと決めていた。始まりの場所でその決着を付けると。
無事に人体練成を終え、姉弟ともに元の姿を取り戻したと、取り急ぎ電話で連絡が寄せられた。東方司令部からの馴染みの者たちは、一様に喜び、祝福を贈った。しかし、二週間たっても、彼女たちが司令部に姿を見せることはなく、皆が不思議がった。
なぜなら、ここには、エドワードの恋人がいるのだから。
恋人というのは、ここ司令部の上司にあたるロイ・マスタングその人で、若くして大佐の地位に上り詰めたエリートである。
ロイは、14歳も歳の離れたエドワードに恋をした。
長年口説き、やっと恋人という地位をも手に入れたのだ。
ロイの部下が居る前では、照れからか憎まれ口を叩くエドワードの姿は、微笑まし気にしか見えない。お互いが大切なのだと、皆が共通に思っていた。
そんな、エドワードが電話一本の連絡のみで、二週間も音沙汰がない。
痺れを切らしたロイが、再びリゼンブールへ電話をすると、聞きなれたアルフォンスの声、しかし、鎧を通した反響したモノではない声は、ロイの眉間を深くするのに、十分な効果をもたらした。
そうして、田舎のリゼンブールには、中央司令部の大佐を始め、その部下が集まるという異例の事態となった。
初めて見る鎧ではない、青年姿のアルフォンスに「おめでとう」と声を掛ける。しかし、心の底から祝福できる心境には無かった。
自分にとって一番大切である、愛しい人のことが心配でならない。
アルフォンスも苦笑いといった感じで、「ありがとうございます」とだけ言った。
「姉さん、あれから熱を出して、倒れてしまって…。まだ眼を覚まさないんです。」
電話でアルフォンスはそう言った。
彼女が行なったのは、この世の禁忌とされる人体練成。
無事でいられる保障などどこにもない。
案内された、二階の一室。
熱の所為からか、記憶の中より幾分赤い顔をした恋人がそこにいた。
額に手をやれば、そこは熱く、今だ熱が高いことが分かる。
二週間も苦しんでいたのか。
なぜ、早く会いに来てくれなかったのかと、君を問い詰めようと思っていたのに。そんな辛そうな顔を見れば、何も言えはしないではないか。
そっと彼女の右手を持ち上げる。
今まで、機械鎧の冷たかったその手は、自分の体温よりも熱い。
彼女が取り戻したかったもの。
無くさせてしまった、弟の身体。
泣いたり、食べたり、誰かの温もりを感じることのできる体。
頑張ったね。
そんな言葉では、いい足りないぐらい。
歯を食いしばって、己の手に爪を突き立てて、見えない明日を睨んで。
泣いてもいいと言った私の腕の中で、首を振り続けた。
ここに帰ってきなさいと言う度に、困ったような顔をした。
寝食を忘れ、貪欲に知識を求め続けた。
その全ては、アルフォンスのため。
時に悔しかった。彼女の全ての行動は弟に由来しているから。
時に悲しかった。自分は彼女の一番には成り得ないと思うから。
しかし、愛しいことに少しの変化もありはしなかった。
戻っておいで、ここに。
君が取り戻した幸せの欠片は、君が戻らなければ意味がない。
拒み続けた約束の指輪を贈ろう。
幸せの約束を君としよう。
もう、1人で歯を食いしばる必要はないのだから。
もう、涙をこらえて俯いて耐える必要はないのだから。
もう、明日の幸せを願ってもいいのだから。
帰っておいで、ここに。
君の場所はここにある。
困ったような笑い顔ではなくて、満面の笑顔で。
身体が重い。
しかし、空気が暖かく自分を包んでいるのを感じる。
「・・・エディ?」
短く、尋ねるように呼びかけるのは、大切な恋人。
何時からだろう、彼と同じ空間に安堵を覚えるようになったのは。
あぁ、自分を包んでいるのは、ロイなんだ。
喋ろうと、息を吸い込んだけれど、口の中が渇いていて上手く声が出ない。
パクパクと口を動かしていたら、ロイが口移しで水を飲ませてくれた。
「・・ぅん・・っは」
喉に伝わる冷たい水が気持ちいい。
喉が渇いていたのだと改めて実感する。
頭がフワフワとするのは変わらないが、目の前にロイがいるので気分はいい。
「おかえり、エディ。」
そう言って、自分の右腕に軽くキスをした。
自分の右腕。
そうだ、自分は、自分の右腕を取り戻したのだ。
そう、アルフォンスの身体とともに。
段々と、意識がハッキリとしていく。
元の姿に戻れたことを2人で喜んだ後、ウインリィとばっちゃんに報告して、その場で司令部に電話をした。
そのあと、自分の身体か重くなって、きっと倒れたのだと思う。
確かに、中央にいたロイがリゼンブールにいるのだから、
少なくとも2日は気を失っていたのだろう。
泣きそうに歪んだその顔を見れば、彼が自分を心配してくれていたことが分かる。
クシャリと髪を撫でると彼は、眼を細めてこう言った。
「おめでとう。」
リゼンブールの風は優しい。
草の香りと太陽の香りを十分乗せて、人々に届けてくれる。
「母さん、喜んでる?僕もとても嬉しいんだ。」
リゼンブールの小高い丘にある小さな墓に、金色の髪をした青年が立っている。
墓には、きれいな花が数本手向けられていて、きっと彼が言った母親の墓なのだろうことが分かる。
「アルー。電車の時間だよ。挨拶は済んだの?」
呼びかける、女性もまた金色の髪をしている。
青年とは違い柔らかく、長いその髪の女性は旅行カバンをブンブンと振りながら、
アルと呼んだ青年に問い掛ける。
「すぐに行くよ。」
そう言って、再び墓の前に座り、にこりと微笑む。
「母さん、行ってきます。姉さんの晴れ姿を見にね。」
ザワザワとしたその空間は、けれど幸せに満ち溢れている。
すれ違う誰もが華やかな衣装を纏い、各々今日の主役について語っている。
「アルフォンス君」
来賓と挨拶を交わしていた、主役の1人。
ロイ・マスタングがその姿を見つけ、声を掛けてきた。
「あっマスタング大・・・義兄さん」
言い直したその言葉に、一瞬眼を見開いた顔が可笑しい。
「君にそう言われる日が来るとはね。」
言いながら、白い手袋をした手で口を隠したので、笑っているのだろう。
「ええ、僕もそう思います。
僕が兄さんと呼ぶのは生涯一人だと思っていましたから。」
本当に
本当にそう思う。
僕を力いっぱい、全力で守ろうとしてくれたのは、兄さん。
軍に頭を垂れるために、その身を男と偽ってまで僕を守ってくれたのも。
大切な、大切な、愛すべき肉親。
もう、兄さんと呼ばなくて済むようになったら、義兄さんが出来た。
「姉さんを泣かせたら、僕が許しませんよ。義兄さん。」
たっぷりと睨みを効かせて、そう言ってみる。
本当なら一回ぐらい殴ってやろうかとか思っても見た。
だって、姉さんを奪うのだから、その位は安い等価交換だと思う。
でも、姉さんが心配するかな?とか考えてしまうと、そうも出来なくて。
我ながらにいい弟だと思う。
教会の鐘の音が響き渡る。
祝福の声の中心にいるのは、幸せそうに寄り添う二人の姿。
新郎が新婦を抱きかかえ、新婦はその腕を首に絡ませる。
「ロイ!幸せにしてやるからな!!」
「エディこそ、覚悟していなさい。」
貴方に出会えた奇跡。
貴方と出会えた奇跡。
貴方に愛を誓いましょう。
貴方と愛を誓いましょう。
神に誓うのではなく、私は貴方に誓いましょう。
純白のドレスに身を包み、貴方の傍に嫁ぎましょう。
幸せの約束を貴方に。
幸せの約束を貴方と。