虹に笑顔
「では、そういう事ですので・・・」
「・・・はい、分かりました」
それは玄関口で交わされた会話だった。
ぽたりと水が滴るカッパを羽織った男性は、玄関の中まで入る事は断って、
言葉短に連絡を伝えた。
彼がふと見上げたのはテラスの先で、
「残念ですね・・・」と呟かれた言葉にエドは小さく苦笑いを返した。
「でも、延期ってだけですし」
その日までマスタング家の可愛いお姫さまたちは、準備に余念がなかった。
動きやすいけれど、さり気なく可愛らしい服を選んで取っておいたし、
丸くて赤いリボンとオレンジ色の花があしらわれた帽子もきちんと用意していた。
前日には、エドと一緒に買い物に出かけて、自分の手でおやつを選んだ。
1人ではいっぱい買えないお菓子も、2人で分けっこする予定だ。
敷き物としおりはもうリュックの中に入れている。
そう、明日は地域の遠足の日なのだ。
「ねぇママ〜雨あがるかなぁ」
心配気に聞いているのはロゼッタで、となりで真剣にテレビの天気予報を見ているのはマリアベル。
リビングにはすでに準備万端整ったリュックがあって、
それにエドの作るお弁当を入れるだけを待っている状態である。
明日が雨かも知れないと分かった時から、2人に不安が過ぎり、
きゃぁきゃぁと騒ぎ楽しみにしているだけで良かったはずの遠足が「どうしよう」と不安を煽った。
すぐに紙とマジックでテルテル坊主を作成して、
「「これつけて」」とロイに頼んでテラスの一番空が見渡せる位置に取り付けてもらっていた。
エドとしてもロイとしても、
娘が心底楽しみにしている「遠足」という行事を無事に向かえさせてやりたかった。
けれども、人というのは自然の前では全く無力で、
国家錬金術師も国軍少将という地位も、何も役には立たない。
夕食中もチラチラと外の様子が気になっていた2人だが、
祈るような思いも、玄関のブザーによって叶わないものとなってしまった。
「・・・・ロジー、マリー。
今、町内会長さんが来てね・・・明日の遠足は雨で延期にしますって」
「「ぇぇえええ!!!」」
話を聞いた2人はすでに涙を瞳に溜めていた。
エドは一度だけ、遠足というものを体験したことがあった。
それは、小さい頃の事。
村から出た事のない自分が、初めて列車に乗って、とおい山に行った。
もちろんアルと母親も一緒だった。
見るもの全てが輝いていて、ガタゴト動く列車に興味深々。
緑いっぱいの場所で敷き物を広げて。
草の香りをいっぱいに含んでお弁当を食べた。
最後は疲れて眠ってしまっていたけれど、
とても大切な幼い自分の記憶だ。
ロイはあまり遠足というものの記憶がなかった。
それは、いつも平凡に毎日が過ぎていたという記憶だけ。
都市部にあった自分の家から、寄宿舎や学校を往復していて。
それでも一度だけ。
どこであったか忘れてしまって久しいけれど、暖かな記憶が残っている。
不器用な母が作ったお弁当の味は、とても美味しかったというもの。
いつもより早く漂ってきた、朝の香りは、
トーストやコーヒーの香りではなくて、とてもドキドキした事を覚えている。
だから、「こんなことで泣くな」なんて思えない。
これはとても大切なことだから。
子どもにとって知ることは感じること。
出会うことは学ぶこと。
たとえ全てが記憶に残らなくても、心はきっと覚えてくれているものだから。
「泣かないで」
エドは零れてしまった2人の涙を拭った。
ロイは小さな身体をきゅっと抱き寄せた。
「うん・・・延期って事は、無くなってしまったわけでなくて、
また行けるってことだからね」
「また?」
「明日は駄目になってしまったけれど、雨があがったら・・・ね」
「あがる?」
えぐえぐと涙が本格的に流れてきてしまった二人の娘は、
それでも必死に両親にしがみ付いて、その答えを聞く。
「雨はきっとあがるよ」
君の涙が乾く頃には、
きっと雲が流れて、薄く空に光りが差すよ。
見上げた先には、七色の虹。
きっと天気になる。
君の笑顔が戻る頃にね。