残して逝けないと思う。
こんなに愛しいものたちを。
どうして残して逝けるだろうか。
この子が生まれてくるまで体はもたないと言われた。
直ぐに治療を開始しなければ危ないと診断された。
「君が大切だよ。どんなに酷い父親だと言われても構わない。
それでも・・・君を失うなんて耐えられない」
どうしたんだという様な、今まで見たことの無い顔色と、
真剣な声音でそう語る。
白く清潔な室内は傾いた夕日によって橙色に染まっていた。
カタカタという廊下からの音が遠ざかり、
部屋には時を告げる音も無いので、静けさばかりがやってきた。
体調が安定してきたというのに、体のダルさは抜けず、
用心には越したことが無いというだけの気持ちでここに来た。
それがすでに3日前。
採血だとか何とかで検査が行われ、目を覚ませば夫が軍服で息を切らせてここにいた。
黒い瞳はどこまでも静かで。
とても悲しい色をしている。
告げられたその病名。
「うそだろ」と口は動くが声は出なかった。
聞けなかったと言うのが正しいのかも知れない。
夫のこんなに悲しい顔に「うそだろ」とは言えなかった。
命が育っているお腹はいつもよりも大きくて、
とても暖かい。
時折触ってみればそこから胎動が感じられるようだ。
まだ、とても小さいのに。
確かに、生きているというのに。
白い手袋を外した大きな手に頬を撫でられて初めて、
自分が泣いているのだと気が付いた。
流せなくなっていた涙はこんなにもハラハラと流れていく。
「・・・あきらめよう」
静かに静かにそうただ一言。
聞こえた言葉を必死になって追い払う。
嫌だ。
首を振って、涙が手に零れても止めず、振り続ける。
その頭を優しく包むようにして腕を回してくれるが、
そんな腕はいらない。
奪わないで。
ねぇ、お願いだよ。
その腕は父親になる腕でしょう?
この子を守ってくれる腕なのでしょう?
この胎内に確かに生きているの。
動いているの・・・よ?
この涙はこの子の涙かも知れない。
死にたくなんてない。
殺したくもない。
もう。
この罰は何ですか。
今まだ私の咎は癒えていないのでしょうか。
幸せになるなと罪が追いかけてくる。
こちらに来ればいい。
どうしてこの子を盾に使うのか。
まだですか。
まだ駄目ですか。
幸せになど成るなとそう仰いますか。
しかし、この子に咎はないでしょう。
この子はまだ真っ白なのに。
何も知らない無垢な赤子に貴方は祝福をくれるのではないのですか。
そして生を歌われるのではないのですか。
産ませてください。
この愛しい人に、愛しい証を示したいのです。
母が確かに与えてくれたその気持ちをこの子に返してあげたいのです。
お願いです。
自分は残して逝けない。
それでもこの子をあきらめるなんて出来ない。
私は母親だから。