ひんやりとした空気に朝の訪れを知る。

自宅の喧騒とは違う穏やかに流れる雰囲気。

毎日の香りと違う木材の香り。

 

 

 

ここは妻の実家。

 

 

 

 

「おぉい〜お昼だぞぉ〜」

 

 

ふぅと小さく息を吐く。

照りつける春とは思えない日差しに喉は渇きを訴えていた。

汚れてもいいラフな恰好ではあるが、

日差し避けに長袖を着用し、首にはタオルを巻いている。

普段は被らない帽子を深く被り、日差しから目を守る。

 

 

木の柄に腕と顎を乗せ、ぐたりと体の力を抜く。

まさかここまで自分の体力が劣っていたとは。

最近の仕事が専らデスクワークばかりだったとは言え、軍人である自負もあり、

あまり認めたくない事実を突きつけられた気分だ。

 

遠く妻の声を聞き、隣で汗を拭っていた義弟が「休憩にしましょうか」と穏やかに言う。

自分より余程筋肉など付いていない体をしていながら、

ひょいと農機具を担ぐその姿はどうだろう。

 

土を上げる時も、草取りも、肥料運びも。

彼がやる全てのことが簡単そうに見えるくせに、やれ自分がしてみれば、

腕は痛くなるし、どうも上手くいかない。

 

「まぁロイは初心者なんだし」と、妻に言われて、

自分がやはり下手なのだと遠まわしに言われているのだと理解した。

 

 

 

妻の故郷リゼンブールでは、農業真っ盛り。

 

家族総出の行事とも言えるその作業のために、

「家族」となった自分も加わっている。

 

仕事が忙しかった昨年までは妻だけが里帰りしていたのだが、

今年は新しい「家族」が加わり、妻が農作業に従事できない為に、

仕事に区切りの付いた自分が参加することが決まったのだ。

 

 

軍事訓練は農作業に連動していると、

何かの文献で読んだこともあり、軽く考えていた。

・・・・・まさか、ここまで大変だとは。

 

 

 

「疲れたろ?どうぞ」

 

白いブラウスと淡いパンツ姿の涼しげな妻の姿を、

クワを担ぎ、なだらかな坂を下りながら見つけた。

こちらを彼女も見つけたようで、ブンブンと手を振りながら、

答えてくれた。

 

家にたどり着くなり、冷たく冷やした麦茶を差し出し、

にこりと笑って労いの言葉を受ける。

 

 

ほんわかと心が温まり、頬が緩むのを感じた。

 

 

 

「ねぇさんお腹すいたんだけど・・・僕」

 

 

 

「まぁまぁ、そう邪魔するもんじゃないよ。アル君」

 

 

「まっマアサさん!」

 

 

 

のんびりとした声がリビングの先から嗜めるようにして響いて初めて、

玄関先で妻の体を抱きしめていることに気付いた。

 

あわあわと顔を赤らめる妻と、「だってさぁ」と間延びした声で反論する義弟。

真っ白い割烹着を着た初老の女性は「はははっ」と気のいい笑い声を響かせた。

 

姉弟の祖母のような存在であるマアサおばさんは、

農作業の手伝いに来てくれていた。

 

ここリゼンブールでは大きな農機具がある家は少ない。

互いの家同士で助け合いながら、広大な農地を耕作しているのだ。

エルリック家でもそう大きくない農地とはいえ、近隣の家が助けに来てくれていた。

もちろんここに住んでいるアルフォンスは他家の手伝いにも、

几帳面な仕事をこなしていたようだった。

 

 

「さぁお昼を食べてさっさと片付けましょう」

 

彼女がバンバンと背中を叩きながら、食事の席に促すので、

体は素直に昼食の香りに反応した。

 

 

食卓には隣のロックベル家から届けられた焼き立てのパンと、

マアサおばさんと作ったと妻が語る鶏肉のオレンジソース煮、野菜のスープがあった。

午後からはウインリィ嬢が手伝いに来るのだと聞いた。

 

 

ワイワイと今日の作業を話しながら、

カエルを見つけた話や、面白い形の種芋があったこと、

外は相変わらず暑い事などを話した。

 

幼い娘たちはお昼寝の最中らしく、

リビングの涼しい場所に置かれた木製のペピーペッドの上には

クルクルと回る天井から吊るされた玩具だけが風にそよいでいた。

 

 

「おっアル。風が強くないって言ってたから、今日ぐらいにロイに頼んだら?」

「うん、そうだね。早めにしないといけないし」

 

「?なんだい」

 

 

食べ終わった食器をカチャリとお盆に載せながら、妻は弟に話かける。

義弟は鶏肉の一欠けらをバクリと口に放り込んで、グイと詰めたい水を飲み干した。

こちらとしては話の行方が分からないが、

何かを任せてくれようとしているらしい事は何となく伝わってきた。

 

「あぁ、畑焼きかい?そうだね早めにしておかないと」

 

にこにこと相変わらずのマアサおばさんは、

「はいどうぞ」と氷を浮かべたグラスを新たに渡してくれた。

それに「どうも」と小さく答えてから、義弟に顔を向ける。

 

「今日の作業に何かあるのかい?アルフォンス君」

「えぇ、義兄さんにして頂きたいことがありまして」

 

・・・企み顔というのか。

よく妻が悪巧みをしていた時の笑い顔とよく似た表情のような気がする義弟の顔をみる。

くすくすと軽やかな妻の笑い声もキッチンから聞こえている。

 

「なっなんだい?畑焼き??」

 

冷たい水で喉を潤し、ちらりとリビングの端にあるベビーベッドを見る。

タイミングよくお姫さまが目を覚まさないだろうかと願ってみるも、

目を覚ます気配はないので、この企みを自分は聞かなくてはいけないらしい。

 

・・・・・聞きたいような、聞くのが怖いような。

 

 

「義兄さんに放火魔になってもらおうと思いまして」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「明日の見出しは『国軍少将、ロイ・マスタング。放火容疑にて逮捕』だな!!」

 

 

ぼんやりと浮かぶオレンジ色の光りを夜になって冷え始めた草原で眺める。

隣にはカーディガンを羽織った妻。

妻の腕と自分の腕の中には、手足をバタバタさせながら這い出そうとする娘。

 

 

「・・・・驚いたよ。まさか、この年で放火魔になろうとはね」

「俺が憲兵さんに通報してやるから、逃げるなよぉ」

 

ご機嫌な妻に影響されたのか、娘たちはきゃらきゃらと笑っている。

「あぁ、暴れては落ちてしまうから」

よいしょと腕の中の娘を抱え直し、目線に映るオレンジを見る。

 

 

「あんな作業があるんだね」

 

「あぁ畑焼き?ダニとか人畜に有害な虫の駆除にはいいんだってさ。」

 

「まさか、火をつけてくれと言われるとは思わなかったよ」

 

 

草原を渡るオレンジ色の焔。

 

まさかトラウマに近かった暗闇に自分の放った焔というものを、

こうやって暖かい思いのままで眺めることになるとは思ってもいなかった。

 

 

血の匂いも、油の焦げる臭いもなく、

サァと時折流れる風と、その草の香り。

腕の中と隣に誰よりも愛する人の空気を感じる。

 

 

「今日、マアサおばさんに褒められたんだぜ。

 料理が上手くなったってさ」

 

へへへっと照れ臭そうに言いながら、こちらを見上げる妻。

 

「あぁ、君の料理は本当に美味しいからね」

 

腕の中の娘はオレンジ色に手を伸ばす。

 

 

「っ・・・食べさせてあげたい人が出来たからっ///なんだってさ!!」

 

「それは嬉しいね。・・・・これからどんどん美味しい料理が食べられそうだ」

 

「?・・・・」

 

「ここにいるお姫さまたちも君の料理が食べたいだろうからね」

 

 

目をキョトンと丸くした後で、

妻は照れているのではなく、本当に優しそうに笑って。

 

「当然っ!!!」と言った。

 

 

 

本日は青天。

風は良好。放火日和。

 

 

明日も暑くなりそうだ。

ロイエド子

農作業のひと時に