「はい。結構ですよ」
豪華な内装はさながら高級ホテルの様相で、
白一面の壁紙やパイプのベッドではなく、暖かさの感じられる木目調の家具が
置かれている一室。
ここは、東方総合病院のいわゆる特別室。
滅多に利用されることは無かったが、
ここには今、一代で莫大な富を築いた男がいる。
名をキング・ブラッドレイという。
中央の馬鹿でかい会社のトップであり、彼に睨まれれば政界はおろか
国中の商業に弾かれることになると噂される実力者であった。
そんな彼に診療を行っているのは、男がわざわざ中央の会社を休んで通う理由の
ロイ・マスタングだった。
一度手術の執刀をして以来、暇ではないその時間を使いこの東部まで来ている。
ロイの腕の確かさを評する上での大きな指針となっている。
「マスタング君、実は話があるのだが」
「転院の話でしたらお断りします。私は中央で勤務する気はありませんから」
話を切り出される前に、目線も合わせずロイは言い放つ。
キング・ブラッドレイに対してここまで自分の要求を言える人物はそういない。
ロイとしてもヒューズから、頼むから敵に回さないでくれと頼まれていたが、
ロイとしては、今ここを離れるつもりは毛頭なかった。
(今、離れればエディを誰に奪われるか!!)
今までの断ってきた理由とは変わってしまったが行く気もさらさら無いし、
その思いを包み隠さずブラッドレイに告げる。
彼はこのような発言で気を悪くするようなことは無かった。
実際に、今までも何度となく誘いを断っていたし、この物言いを気に入っていると
いつだったか言われたこともある程だ。
「いや、その件は十分に分かっている。
話というの別の件なのだよ。」
「別の…と言いますと?」
聴診器を当てるためにくつろげていたシャツを戻しながらブラッドレイは笑っていた。
歳はすでに60歳程であるにも拘らず屈強な体躯をして、
左目には戦争で傷ついたのだと言っていた瞳を隠すように眼帯をしている。
まさに指導者という威厳を放つ彼が、企むように笑っている。
自分も回転椅子をクルリと回して、患者であり、権力者でもある男の目を見据える。
いつもは緊張などしない神経がピリピリと痛むのが分かる。
(どんな話を出してくるのだが…)
本能的に目を外せば負けてしまうと分かっているのか、
外せないだけなのか、
鋭い目から目線を外すことなくその身を固まらせる。
「…実は…」
「ハボックっ先生!」
ご機嫌だと声で分かるような様子で呼び止められ、
振り向けば溢れんばかりの笑顔だったりするわけで・・・。
(なんでそう無邪気なんだよっ!!)
カルテを抱えるように持つ腕は白くて細い。
触れば柔らかいのだろうとかそんなことしか考えられなくなってしまう。
トテトテと駆け寄ってくる姿にクラリと眩暈がする。
「あのっありがとうございました。」
「ふぇ?」
違う世界に思考を飛ばしていたので、何にお礼を言われたのか分からない。
咥えタバコのままに間抜けな声を出すはめになった。
「何のことっスか?」
「さっき中庭で、これ掛けてくれたのくれたのってハボック先生じゃないの?」
パサリと広げて見せられたのは、こげ茶色で少し大きめの男物のジャケット。
広げた横から、ヒョコリと顔を覗かせて違うの?と首を傾げる。
「知らないんだけど・・・」
そっか〜とか、ハボック先生じゃなかったら誰だろう?とか言いながら
器用にそれを小さく畳んでいる。
「中庭って?」
「…今日は天気が良くて、ご飯を外で食べてたら…」
「気持ちよくて寝ちゃったんスか?」
からかい半分に軽い口調で尋ねれば、頬を少し赤らめて、拗ねたような表情をする。
「っでも、でも、仕事には遅れなかったんですからね」
ポカポカと手を動かして叩くようにする様子が大変可愛い。
(こんな反応って反則だと思うんっスけど…)
彼女のいない自分にとって、この反応は理性を試されていると考えて間違いはない。
自分がこんな様子の男女を見たら、間違いなく恋人同士だと思うであろうことを、
目の前のナースは簡単にやってくれる。
「・・・でも本当に誰が掛けてくれたんだろう?」
「ホークアイ婦長とか。」
「男物なのにリザさんじゃないと思うけど…」
(確かに、ここでロイ先輩なわけないよなぁ。寝顔のエドを見て何もしないなんて
先輩がおかしくなったとしか思えないから。)
誰かな?と思案顔のエドはそれでも可愛らしいと思ってしまう自分は
かなり末期だと感じずにはいられなかった。
「あっ、エドちゃん。第一外科に新しい入院患者さんが来られるのよ。
顔見せをするから、ちょっと来てくれる?」
「リザさん?」
「今日って新規の患者さんいましたっけ?」
「ええ、予定には無かったのですが、急に…。ちょうどいいからハボック先生もどうぞ」
ビクっ。
かなりの笑顔・・・。
えっと、婦長がこんな笑顔を自分に向けているということは、
少なからず良くないことが待っていると考えていいと第六感が告げる。
しかし、断ればさらに危険であることも十分に理解しているので逆らわないことを選ぶ。
三人で向かった先は、今まであまり来たことの無かった特別室。
エレベーターから降りた途端に他の階とは違う雰囲気が伝わってくる。
まるでホテルにでも迷い込んだかのようだ。
「うっへぇ〜きれいなもんですね。」
エドもあまり来たことがないのだろう、キョロキョロと珍しそうに辺りを見ている。
ホークアイ婦長が先導する形でその病室まで案内していた。
先ほどの笑顔の訳を確かめたくて、ススっと婦長の横に進む。
「っと、ふちょ・・・・。」
話しかけようとした声は、喉から出てはくれなかった。
先ほどの笑顔とは逆に、怒りの表情をありありと浮かべている。
「ちっ使えないっ・・・」
ビクビクっ。
今の声は、聞いてはいけないものだ。
いや、自分は何も聞いていない・・・。
そうだ、聞いていない。
ははっ。幻聴って恐ろしいなぁ。
あの婦長がそんな言葉を言うわけないじゃないか。
必死に現実逃避を行っていれば、病室に着いたのか、
婦長の足が止まる。
「ここよ。」
ノックをし、許可を待ってその扉を開ける。
その中には、盛大な笑顔の男と苦々しい顔をした男が待っていた。
(何が話があるだっ!命令だと言えばよかろうにっ!!)
ブラッドレイが提示したのは、この病院での入院希望だった。
しかし、はっきり言ってブラッドレイは健康そのもので、
この診察も定期健診程度のもので問題も何もなかったのだ。
「入院されるようなことは何もありませんが?」
「いや、今日病に罹ってしまってね。治療できるのはこの病院だけだと思うのだよ。」
(何かを探っているのか?)
食わせ物の彼の事。背後に何か入院とは別の原因があるのだろうかと過ぎる。
タラリと汗が落ちそうになるが、ここでそのような失態をすることはできない。
「どのような治療が必要だと?」
「うむ。金色の天使を。と言えば分かって頂けるかな。マスタング先生?」
何でも話を聞けば、財界のトップに君臨するキング・ブラッドレイが
病気でもないのに入院を希望しているのだという。
そこまでは、まあこちらの害のないただの我侭と言っていい。
問題はその後。
「はははっ。昼の散歩を中庭でしていたら、何とも可愛らしい天使と出会ってしまってね。
あどけない寝顔にすっかり魅せられてしまったよ。
これでは仕事も手に付かんから、しばらくはこちらに入院することにする。」
そんな事を言い出したのである。
勿論、そんな天使は1人しかいない。
恐る恐るといった感じでブラッドレイを見れば、
こげ茶色のベストを着ている。
その生地は先ほどエドに見せられたジャケットのそれと同質のもので。
(あぁ、どうしてこうも人を誘うのが上手いかな・・・)
本人が無自覚というのがさらに恐い。
ジャケットをエドから受け取り、ニコニコと愛想を振りまく男と
「ありがとうございました」とこれまた可愛らしい笑顔で語りかけるエド。
その光景を苦虫を噛み潰したような顔でみるのは、ロイ・マスタング。
確かに、彼の財力を敵に回すことはこの地方病院には辛いこと。
恐くて振り向けない後ろには、怒りのオーラを放つホークアイ婦長。
先ほどの吐き出すように言われた「使えない」発言は、
エドワードを差し出してしまった外科部長に対する言葉なのか、
財界人を敵に回すことのできない、若き医院長に対してなのか。
どちらにしても、またまた天使争奪戦に強敵が加わったことは確かである。
っていうか、最大の敵は、可愛すぎるあの天使なのではないだろうか?
午後の昼寝にご用心