シャリシャリ。
時折、つんとした香りが鼻の奥を通り過ぎていく。
目の前にはサラダボール。
銀色のそれには、沢山の野菜が刻まれ、
冷やす為に幾欠片かの氷が入れられている。
「まったく君のようだね」
いつだっただろうか、そんな事を言われたような気がする。
オニオンサラダにノンオイルのドレッシングをかけた時だっただろうか。
トロリとしたその様子を見ながら、
自分と向かい合わせに座った彼はそんな事を言ったのだ。
「なんだよそれ」
自分でもぶっきらぼうだと自覚しながら、そう返した。
手に持った銀のフォークで、しゃきりと音がするサラダを突き刺す。
木製の取り皿には、銀のサラダボールよりも温か気に見えるサラダが入っている。
久しぶりに東方に来て見れば、
「どうだい食事でも」と誘われた。
思えば食事を済ませていなかった為に、断る理由もなく。
そのままずるずるとこうして飲食店に連れて来られたのだ。
「僕はお手伝いに残るよ」
そう言った弟の本心は分からないものの、手伝いなどそう重要なものはなく、
もしかしたら、姉に気兼ねしているのではないだろうかと思えてならない。
食事ができない弟は、もちろん生まれながらにしてそうなのではない。
過去の過ちと言ってしまえば簡単ながら、
そういい切れない、現在進行形の罪は今でも多くのものを弟から奪っていた。
その原因が行動を共にしている自分にあるというのに。
注文してから程なくして、テーブルの上は沢山の料理で飾られるはずであった。
しかし、入店して随分時間が経ったにも関わらずテーブルは寂しげだ。
置かれているのは、真ん中に銀色のサラダボール。
横に木製の取り皿。
手元に水の入ったガラスコップ。
反対側の男の手元にはワイングラス。
腹が空いていないわけではなかった。
けれど食べたいという欲求は皆無に等しい。
申し訳程度に頼んだオニオンサラダ。
手を伸ばした木製の取り皿。
「まったく君のようだね」
そう。
そんな時だった。
ドロリとしたドレッシングをかけて、一欠けらのオニオンを銀のフォークで指した時。
全くその意味は分からなかった。
見上げるようにして見た男の顔も、あまりハッキリと見ることはできず、
どんな顔をしてそんな事を言ったのかも定かではない。
「なんだよそれ」
ぶっきらぼうに言葉を返す。
食べたくはないこの食事というにはあまりに寂しいものを、
さらに遠ざけようかと言う彼の言葉。
いっその事この銀のフォークすら手元から離してしまおうかと思ったが、
それをしてしまえば、自分はこのサラダすら食べる事が出来なくなってしまうような気がして、
それをする事は出来なかった。
「いや、オニオンとはそうだと思ってね」
「意味わかんねぇ」
繰り返される問答のような会話。
何が「君のようで」何が「オニオンはそう」なのか。
暗号解読は意図せず得意になっていると思うが、
こんな男の会話を暗号と称して説こうとは思えなかった。
たまには目指すその先に全く意味の成さないことを本気になって見たいとは思うが、
それをしてしまえば、自分はもう今の場所にすら戻っては来られないだろう。
危うい均衡は、今にも崩れそうだ。
一歩を踏み出すという事にこんなに躊躇してしまうようになったのはいつからか。
それでも足掻くようにして前に進まなければならない。
その背中に何を背負っていたとしても、見ない振りをして。
沈黙に耐えられないと言う様に。
いや、得意げにタネ明かしをする子どもの様に。
男は薄く笑ってから、顎に伸ばしていた手をテーブルの上で組みなおした。
「オニオンは生では食べ難いだろう?
スライスしたにしても、水に晒さなければ、刺激が強い。サラダにもね。
けれど、炒めれば甘みが強く、シチューやカレーには欠かせないものだ。
・・・どうだい?君のようだろう」
言葉を頭で咀嚼する。
男は、分かるかい?とでも言いたそうに、こちらを見ている。
温くなってしまっただろうワインを、下げさせて新しいものを用意させた。
まったくこんな意味不明な言葉をこちらに用意して、
自分だけは悠々と食事を楽しんでいるような様子が腹立たしい。
「つまりは、君はどちらにもなれ得るのだろうね」
銀のフォークを握ったままの自分に、
まるで呟くようにしてもたらされた言葉。
強い刺激をもたらす少女は、周りに少なからぬ影響を与えた。
けれど、その実は甘い存在にもなり得るばかりか、
気が付けばその存在は欠かせないものとなっているではないか。
男の真意など分からないと頭からそれを排除する。
緩く頭を振って、目の前のサラダの攻略に取り掛かろう。
遠い遠いその場所で、
1人食べる食事を注文する。
メニューの中から、オニオンサラダを選び出しては、
彼が言った言葉を思い出す。