細いフレームの眼鏡と頬擦りすれば痛いお髭

 

ママの手の薬指にはいつも光る銀色の指輪

 

もらったクマのぬいぐるみ

 

 

 

大好きで大好きで、抱っこしてもらったら首下にコトンと頭を預けるの。

玄関で見送りするときに、バサリと蒼い服を羽織って、

ママと私の額にキスをしてくれた。

 

うん。分かっている。

私には大好きなパパがいた。そんな事忘れたりしない。

 

 

 

でも、私、もうパパの声を思い出せないの。

 

 

 

どこに行ってしまったのとママに聞けばとても悲しい顔をするから、

私は聞けなくなった。

玄関のチャイムが鳴るたびにパパだっと思ったけれど、

それはいつも違っていた。

 

小学生になって、「命」という事を知った。

 

死んでしまった人はもう戻って来ないのだということも。

 

たとえ、大好きで、大好きでも。

もう、パパは戻って来ない。

 

 

 

 

「エリシアお姉ちゃんが来てくれたよ」

 

今日はお見舞いに来ている。

 

その人はいつもママと私のお世話をしてくれる人で、

パパのお友達だったんだよ。と教えてくれた。

ロイ・マスタングさん。

「ロイくん」って言ったら、ママは「ロイさんでしょ」と言い直したけれど、

ロイくんが笑ってそれでいいよと言ってくれたから、今もそう呼んでいる。

 

ママから小さなマーガレットの花束を預かっていたから、ロイくんのお嫁さんに渡した。

ロイくんのお嫁さんもずっと小さい頃から知っている人で、

エドワードって言うんだけど女の子だ。

 

エドちゃんって呼んでる。

 

「はい。エドちゃん。大丈夫?」

 

ママは「おめでとう」って言うのよって言ったけど、

お見舞いに来てるのに、「おめでとう」はおかしいって事を私は知っている。

ママが間違えちゃったんだ。

お見舞いの時はこう言うの。

「大丈夫ですか。早く元気になってね」って。

 

だから、私もベッドに居るエドちゃんに「早く元気になってね」と言うと、

「病気じゃないんだよ」と言った。

 

分かんない。

病気でないのに、入院しているの?

 

不思議に思っていると、ロイくんが「赤ちゃんが生まれたんだよ」と、

横にあった二つのゆりかごの前に向けて、私の体をそっと動かした。

 

 

そこにはほっぺたを赤くして、白い布団に包まれて眠っている小さな子がいた。

頭には髪の毛が無くて、小さな手はキュッと握られている。

 

「わぁ。赤ちゃんだ!!」

「うん。昨日生まれたんだよ。私たちの娘だ」

 

ロイくんは私の頭をポンポンと撫でてゆっくりとそう教えてくれた。

 

「生まれたってどうやって?赤ちゃんはどうして生まれてくるの?」

 

私は不思議に思った。

 

だって、どうやったら赤ちゃんが生まれてくるだろうって知っていないもの。

ヒヨコが生まれるときは卵からよね。

だったら、赤ちゃんも卵から生まれるのかな?

その卵を産むのはお母さん・・・。

 

「この子のお母さんは?」

 

「えっと・・・エディだよ」

 

エドちゃんが卵を産んだの?

赤ちゃんって生きているんだよね。

そうだよね。

 

エドちゃんは「命」を作れるんだ。

 

そうだよ。

エドちゃんはいろいろな物を直してくれたもの。

 

壊れてしまったおもちゃも。

割れてしまったガラスコップも。

折れてしまったウサギさんの箸入れも。

 

パンと手を合わせて、そして触れたら直っているの。

すごいね。魔法みたいだと、いつも思っていた。

直せるかな。元に戻してくれるかな。

 

 

 

パパを。

 

 

 

 

「ねぇ、エドちゃん。お願いがあるの!」

 

「うん?何?」

 

エドちゃんは振り向いた私に手を広げてくれた。

それは抱っこしてくれる合図。

 

うん。

私、エドちゃん大好きだよ。

エドちゃんに抱っこしてもらうのも好きだし、

ロイくんに抱っこしてもらうのも好き。

 

でも。

でもね。

 

パパがいい。

パパがいいの。

 

 

「パパを生き返らせて。命を作って欲しいの!!」

 

 

大きな声で言った。

自分がして欲しいことは大きな声で頼むの。

聞こえなかったら大変だから。

 

 

エドちゃんは何も答えてくれなくて、

伸ばした手をそのままポスリと布団の上に置いてしまった。

どうしたんだろう。

駄目なのかな?

でも、私は何度もお願いするよ。

お願いの仕方が違っているのかな?

 

 

「あのね。エドちゃん、私パパに会いたいの。」

 

会いたいの。

抱っこして欲しいの。

ママに会って欲しいの。

 

 

「エリシア、ごめんね。それは・・・」

 

「ロイ!・・・俺が話すから・・・」

 

 

もう一度、お願いしようとしたら、ロイくんが後ろから謝った。

駄目なのかな?と振り向こうとしたら、前からエドちゃんがロイくんを止めて、

そして、おいでと手を伸ばした。

 

私は、エドちゃんのベッドによじ登って、エドちゃんの腕に体を預けた。

ゆっくりと頭を撫でられて、少しくすぐったい。

 

 

 

「エリシアちゃん。聞いてくれるかな?」

 

「うん?」

 

「エリシアちゃんのパパを生き返らす事は出来ないんだよ」

 

「どうして?」

 

「人はね死んでしまったら、誰にも生き返らせる事は出来ないんだ」

 

「命がなくなってしまうから?」

 

「そうだよ」

 

「でも、エドちゃんは命を作ることが出来るんでしょ?

 赤ちゃんみたいに、パパの命を作ってはくれないの?」

 

「出来ないんだよ」

 

「でもっでも・・・。私はっ・・・パパに会いたいっ」

 

泣きたくなんてなかった。

泣いてしまったら、ママがとても痛い顔をするから。

私がママの泣いているとこが見たくないように、

ママも私が泣いているとこなんて見たくないに違いない。

 

でも。

会いたいの。

なんで、出来ないなんて言うの?

 

 

「エリシアちゃん。

 エリシアちゃんのパパはね、本当にエリシアちゃんが大好きなんだ」

 

うん。知ってる。

それは、誰にパパの話をしてって頼んでも言ってくれる言葉だ。

 

「きっと離れたくなかったのは、パパの方なんだよ」

 

うん。知ってる。

帰ってくるよって言ってくれたもの。

だから、いってらっしゃいって言ったもの。

聞こえたかどうかは分からないけど。

 

だから、お願いは大きな声でするの。

聞こえなかったら大変だから。

お願いしたのに、帰って来てくれなかった人を知っているから。

 

 

「パパは・・・どこに行ってしまったのって聞いたの。

 そしたら、お空の遠くだよってママが言ったの。

 先生にも聞いたの。

 死んでしまったら、そこに行ってしまうんだよって言ったの」

 

 

泣き声にならないように必死にしゃっくりを堪えたけど、

でも少しだけ泣き声になってしまった。

言葉に詰まったら、エドちゃんが背中をポンポンと叩いてくれた。

 

「だから、朝のあいさつも、いってきますも、ただいまも、おやすみなさいも。

 全部お空に向かって言ったの。

 でもねっパパは何も答えてくれないの。

・・・もうっパパの声が思い出せないのっ」

 

 

いつも悲しかったの。

パパの話をしてって言ったら、

皆がパパは私のことを本当に愛していたよって教えてくれた。

それはすごく私を嬉しくしたけど、

とても悲しくさせたの。

 

ごめんね。

 

パパ。

 

私のことを大好きだよって抱き上げてくれたパパも、

皆に私を愛していると言ってくれていたパパも、

私は大好きなのに。

 

なのに。

 

私はパパの声を思い出せないの。

 

こんな娘でごめんなさい。

 

 

ママに聞こうと思ったの。

でも、それは出来なかったの。

 

「パパの声を忘れてしまった」

 

そんな事言えなかったの。

言っちゃいけないって思ったの。

 

 

 

「会いたいのっ声が聞きたいの・・・パパを思い出したいの」

 

 

エドちゃんがギュッと抱きしめてくれたから、

エドちゃんの胸に顔を押し当てて泣いた。

 

エドちゃんからは甘いミルクの匂いがして、

その匂いは私をとても安心させた。

 

 

「エッリシアちゃ〜ん」

 

ガバリ

 

「パパ!!」

 

慌てて振り向く。

とても懐かしい声がしたから。

 

 

そこには、ロイくん。

 

 

「エリシアはパパを思い出したかったんだね。

 私が知っているヒューズはいつも君の事をこう呼んでいたよ」

 

いつもの笑顔で、

でも少しだけ寂しそうにして、ロイくんはそう言った。

 

 

とたんに涙が溢れた。

 

 

だって、パパの声がしたと思ったの。

忘れてしまっていたはずのパパの声だと思ったの。

 

それは、ロイくんの声真似だったけれど、

でも。

 

でも、パパの声がしたの。

 

あの、とても間延びして、

でも大好きな笑顔で呼んでくれるパパの声だったの。

 

 

ロイくんが頭を撫でてくれた。

 

「エリシア。思い出すなんて事は必要ないよ。

 だって、エリシアは忘れてなどいないのだから。

 エリシアは覚えているよ。パパに愛されていた事を忘れてしまった子が

 こんなにいい子になるわけないじゃないか。」

 

でもね。

でも、私。

 

「私っパパに何も言ってあげられなかった・・・」

 

 

小さすぎた私は父の日も、

誕生日も、何もしてあげられていない。

与えられてばっかりだった。

 

 

「生まれて来てくれただけで、親は幸せになれるんだよ」

 

「・・・本当?」

 

エドちゃんの抱きしめてくれている腕が強くなったから、

顔を上に向けて、エドちゃんの金色の瞳を覗く。

 

「うん・・・出会えて本当に嬉しいから」

 

 

パパもそうだったかな。

私と会えて嬉しかったかな。

幸せになってくれたのかな。

 

 

「私もねっ!!私もパパに会えて嬉しかったの。

 幸せなのっだからっだからね。

 この子達もきっとそうだよ」

 

 

「おめでとう、エドちゃん。

 おめでとう、ロイくん。」

 

 

やっぱり、ママの言葉は正しかった。

お見舞いで「おめでとう」と言ったのは初めてだったけれど、

会えてよかったね。おめでとう。

 

私の生まれた時もきっとパパはおめでとうと言われたのだろう。

 

そうしたら、こうして、

エドちゃんや、ロイくんのように「ありがとう」と言ったのだろう。

ロイエド子
パパの話をして。