随分と遠回りをしていたんだね。
笑った顔を見るたびに
怒った顔を見るたびに
とても安心していた事を思い出す。
君がいて。
離れて初めて気付くなんて。
なんて、愚かな私だろうか。
螺旋階段は同じところを何度も周り、
それでも近づいては離れて。
結局、あの頃に戻るなんてできない。
■ ぽつり と 涙ひとつ 。 ■
「うぃ〜す。これ中尉からの追加分なんてよろしくお願いします」
どうにか木製の扉を開けて、書類で塞がった腕の変わりに、
足で扉を閉める。
これを他所の上官の前で行ったならば、不敬罪に問われても文句の言えない行動であることは、
十分に認識しているが、慣れというのは恐ろしいもので、
もうなんだかいいやとさえ思う。
不敬罪に問う側である上司、ロイ・マスタング准将も、
ぐでりと黒い余分に偉そうなデスクの上に体を寝かせている。
実質の指揮官であると言えば聞こえはいいが、
彼以上に指揮官である副官殿を知っているあたり、身の振り方を考える。
高く積まれた書類の山に、副官の愛銃が火を吹くまであと少し。
まったく、この人ときたら。
「私に過労死しろとでも言いたいのか?えっそうなんだな!ハボック!!」
だから、急に起き上がらないでくださいよ。
あぁ、書類が落ちてるじゃないですか・・・・あっ紙飛行機発見。
いつも言ってることなんですが、書類を紙飛行機にして飛ばすのどうにかなりませんかね。
「あんたが溜めているのがいけないんでしょうが。
昨日も定時に1人で帰るとか言うから、中尉も機嫌が悪いんスよ・・・」
書類を拾うこちらを見ないようにして、
上司はサイン用の万年筆をクルリと手の甲で回して見せた。
「しょうがないだろう?息子の相手をしてくれと妻に言われたんだから」
「あぁ・・・・・そうっスか」
家庭の話をできればして欲しくない。
それがたとえ事実であれ、この場を治めるためのいい訳であれ。
ここにあの子がいたら苦しむから。
あんたが言うその「美しい家族愛」ってやつで。
書類を置いたので、とっととこの場から離れたい。
自分が命を掛けてついて行こうと決めた上司だ。
嫌いではない。
むしろ尊敬できる上司だと言えるだろう。
けれど。
今、この感情のまま彼の背中を預かることに少々不安があることも事実。
巻き添えになって銃の餌食になるのも勘弁。
「じゃあ、俺、行きますんで」
では、と軽く敬礼してみせて、
踵を返して部屋を出ようとする。
しかし、それは止められた。
「おい、ハボック」というありきたりな声かけによって。
うんざりとした顔を小さなため息で隠す。
声のした方にもう一度振り向いて「なんスか」と聞き返す。
あぁもう。黙って仕事してくださいよ。
「・・・・・いや、噂だとは思うのだが」
「だから、何んスか?」
「お前と・・・・鋼のが付き合っていると」
なんですかその顔。
ってか、そんな事を聞かないでくださいよ。
・・・・・・言ってやりたくなるじゃないですか。
黙っていようと思っていたのに。
きっとあの子はあんたにだけは、知られたくないとか思っていて。
口では言っていいなんて言うくせに。
きっとそう思っていて・・・・。
「・・・・・・はい、付き合ってますけど。何か?」
うわ。俺ってば言っちゃったよ。
だってさぁ。
「鋼のと・・・・付き合っていると?」
デスクの上で、准将が手を握ったのが見える。
手にはサラマンダーの陣は見えない。
それでも、ぎゅっと手を組んだ。
覚えがある。
それは耐える仕草だ。
幾日か前の貴重文献書庫のあの場所で。
あんたの声を聞き分けたあの子の前で、
自分がした行動と一緒。
震える腕を隠すように、
白くなるほど握りしめたあの所作と同じ。
「はい、俺とエドが付き合っているんです」
なんだか、馬鹿みたいに優越だった。
最後の審判を下すみたいに。
はっきりと宣告してやる。
あんたが見ない振りしてたことを
俺はしてるんだ。
あんたが傷つけた相手と
俺が好きな相手は同じなんですよ。准将殿。
「はははっお前の趣味はどうだというのか。
ボインが好きだとばっかり思っていたよ・・・・あの子どもが?」
あぁ、この人は。
上司は、やれやれという様にして、くしゃりと黒い髪をかき上げる。
重厚な黒い革張りの回転椅子を押し引いて、カツカツと軍靴を鳴らしてこちらに歩いてくる。
俺の方も、半ば開きかけていた扉を後ろ手でしっかりと閉める。
あの子は今日、まだ来ていない。
来るとしたらあの鎧の弟も一緒だから、足音ですぐに分かる。
大丈夫だ。
「えぇ、ボインは好きなんですけど、それ以上の存在ってやつですか?
見つけちゃったんですよ・・・・俺」
「それ以上の存在?・・・・男で、さらにお前は何歳だ?あんな子どもと付き合うなんて」
今度は、はぁとため息をついた。
立ったまま、向き合う姿勢。
自分より背の低い上官は、年よりもずっと若く見えるくせに、
修羅場ってやつはより多く経験している。
何歳も年上の、ヨボヨボした将軍たちや、野心家や、爆弾もった襲撃犯や。
そんな者達の相手をしただろう瞳は、
決して笑ってなどいなかった。
口ではおちゃらけた。部下の話を笑う上司を装いながら。
確かに、笑ってなどいなかった。
「子どもで、性別が違って、でも、それで離すには惜しい相手なんですよ」
「・・・・・愛しているとでも?」
「もちろん」
瞳だけで射られると思った。
野生の豹のような獣の瞳だと思う。獲物を捕獲するそれ。
邪魔な物を排除するそれ。
「そりゃあ、准将のように、綺麗で可愛らしい奥さんと子どもさんのいる家庭持ちには、
分からないかも知れないっスけど。
エドが笑っていられるなら、俺は幸せっスよ」
釘を刺す。
あんたはもう奥さんがいる。
その間に子どももいる。
それを「幸せ」なんだと見せびらかせればいい。
そんな物のために。
あの子が流した涙と痛みに気付かないふりを続けるなら。
分からないふりを続けるなら。
俺が攫っていきますから。
「・・・・鋼のが笑えるだと?それがお前の幸せだと?」
「少なくとも、俺はそう思いますけど」
低く、准将は声を出した。
それは嘲笑のような響きを含んで、投げかけられる。
部屋からは、風に揺れる木々が見えた。
出勤前のニュースは「豪雨」を報じていたっけ。
その雨雲がこちらに近づいているのかも知れない。
嵐が。
「鋼のは・・・あの子は、家庭を欲している。
早くに家族を失って、家族というものに深い依存を生じているのだ。
弟にあれほど執着して見せるのもそのせいだ。
だから、お前ではだめなのだ」
「何故っスか?俺が家族になればいい」
「馬鹿かお前は?そんな希薄な繋がりなどあの子は求めていないよ。
お前と鋼のの間には子など宿せるはずがない。
それでは、あの子は幸せになどなれないんだ」
それは誰に向けられていた言葉なのか。
この人は、あの子が命を宿せる性であることを知らない。
「そんなの俺が埋めてやりますよ」
「簡単に言うんじゃないっ!!!禁忌を犯したあの子を。
あの子の何を?!どうやって簡単に埋められるというのか!!」
エドワードには深い闇がある。
失ったものを上手に捨てることの出来ない彼女は、
余程罰せられるもの達がいる世の中で、それでも足掻いて生きている。
綺麗さを装った大人の中で、純真であるはずの子どもは酷く傷ついて。
罵られる言葉を受け止めて、傷は広がる一方だ。
「禁忌?俺だって人を殺したことがある。
軍人の俺たちが、何故エドの禁忌を責められる?
知って行ってきた俺たちの方が余程、咎が重いというのに!!!」
准将は、ふぅと息を吐いた。
睨んでいる瞳は変わらずあったが、肩にポンと手を乗せてきた。
サラマンダーの描かれている手袋をしていない腕で。
「では・・・・お前は、あの子に何故、禁忌を与えるのだ?
同性で愛し合い、何も宿す事の出来ない性で。
未来に繋がる命のサイクルを終わらせることが、禁忌でないとでも?」
そうやって。
あんたはあの子を諦めたんですか?
地位でもなく。
権力の為でもなく。
エドのために?
このまま愛してしまえば、
禁忌を恐れるあの愛し子に、再び禁忌を強いるからと。
欲する家族を与えてやれないからと。
己の欲などどうでも良くて。
どんな思いでその終止符を彼女に伝えたのだろうか。
「・・・・・准将。俺は、馬鹿っスけど。
それでも、エドを望んでいる自分だけは譲れない。
地位も、権力も、俺は要らないっス。
どんな天秤に掛けたって・・・・どんないい訳をしてみたって。」
あんたがもし。
もしも、エドが女だと気付いていたら。
そうしたら、こんな討議は意味をなさない。
知っている俺が、あんたにこんな事をいうのはフェアじゃないかも知れない。
それでも。
あの子を泣かせて、違う女を抱いたあんたを。
俺は許せないと思う。