「うわぁ!!」
ゴロゴロドン
「なっ何事だね」
キッチンから妻の声と大きな音がする。
身重の妻の事、少しの変化も大事に繋がる危険がある。
声をたどり、過ごしていたリビングから新聞を持ったままで駆け込んだ。
「大丈夫か!?」
ガバリと覗き込めば包丁を持ったままで固まっている妻。
「あっロイ」
こちらに気付いて顔を向けるが、
「あっロイ」なんて気楽に声を掛けてきた。
夫の心配を軽くかわして笑っている。
どうやら体に影響があった訳でもこけた訳でもないらしく、
安堵の息を吐く。
「何をしていたんだい?」
「あぁ、ごめん。これ」
これといって示されたのは緑色の丸いもの。
ハロウィンではおばけのランタンとして用いるそれとは種類が違うが、
名称としては同じもの。
『かぼちゃ』
「いやっ料理しようと思ったんだけど、硬くって」
包丁を握っていたのは、このカボチャを切ろうとしていたかららしく、
大きな物音は切っていたカボチャが転がってしまったからだったようだ。
機械鎧を付けていた時は握力も力も強かったと記憶しているが、
自身の体を取り戻した後は女性の腕であるわけで、
硬いカボチャを切り料理するのはそれなりに難しいらしい。
「切ろうとするんだけど、ゴロゴロと上手くいかなくて」
困っているんだよと吐いたため息から感じてしまう。
妻は国家錬金術師の資格を最年少で取るほどの才能の持ち主で、
物質を再構築するなんて事はお手の物だ。
さらに錬金術は「台所で生まれた」とされるほどに料理と本質が近い。
以前にも魚相手に格闘を興じていた妻に対して、
「錬金術を使えばいいのでは?」と聞いてみたことがある。
妻に関して言えば、練成陣も必要とはせず、
包丁を駆使して手間を掛けるよりも何倍も効率的であると思えた。
そんな言葉を受けた妻は、笑みを崩したような複雑な顔をして、
持っていた包丁をコトリとまな板の上に置いた。
「・・・師匠がさ、俺と同じように錬金術使えるのに、
絶対に料理とか洗濯とか家事には使わない人だったんだ。
俺も、使えばいいのにって言った事があって」
笑っているようで、とても辛そうな顔に静かにその言葉を聞く。
妻の師匠は何と言ったのか。
「命を貰う時は、それなりの力を使うべきだろうって。
楽して命を貰うのはフェアじゃないよって」
食を得ることは、命を奪うこと。
それが魚であれ、野菜であれ、獣であろうとも、
自らが生きる為に、他のものを屠ることに変りはない。
肉屋の女将はとても命に対して厳しいのだろう。
人の命やその他の命に対して。
そして、その言葉を心に刻んでいるのが、
目の前にいる私の妻であり、遠く故郷にいる彼女の弟なのだろう。
そんな事があったから、妻は決して料理に対して錬金術を使う事はない。
それが等価とかそんな意味ではなく、
奪うものに対しての礼儀なのだそうだ。
そうして、今もカボチャを前にして四苦八苦している。
どこまでも真っ直ぐな妻に微笑みが増す。
「どれ、私が切ってやろう。貸してごらん」
バタン、バタンと包丁を片手にカボチャを睨んでいた妻は、
キョトンとした顔をしてこちらを見た。
そんなに珍しい事を言ったのだろうか。
「エプロンは?」
「あぁ、このままでいいよ。さぁ、包丁を貸して」
素直に包丁を渡してくれたので、少し休んでいなさいと言って、
今度は私がカボチャの相手をする。
硬い緑の皮を裂けば、黄色の果肉が覗く。
食欲をそそる色だと思う。
確かに硬いそのカボチャに少し驚く。
あぁ、自分が今まで食べていた物はこんな労力を払って調理されていたのか。
切ったことなどなかったカボチャ。
これは確かに錬金術を使用したなら気付かない事だったろう。
切り終わった後の味付けに関しては妻に任せて、
少ししわが寄った新聞にもう一度目を落とす。
彼女の胎内で育っている新しい命は、
とても優しい母によって育まれている。
きっと彼女はこれからも料理に錬金術を使う事無く、
そうして子どもたちを育てていくのだろう。
子どもたちが1人でカボチャを切れるようになるまでは、
その仕事は父親である私の仕事としよう。