お伽噺のお姫さまは
高い塔の上で助けを待っているけれど、
自分はそんなの性に合わないと思うから。
いつも優雅に笑っているわけではなくて、
ご立派な生き方なんてしてはいないけれど。
ヒラリと裾が揺れるドレスなんていらない。
豪華な装飾品で着飾らなくてもいい。
シルクのリボンも、朝摘みの生花も飾るものは何一ついらない。
傷だらけでも構わない。
この身一つで、貴方と共に歩けるならば。
飾らない私を私として受け入れてくれるならば。
■ さぁ 幸せになろうか ■
エドワードは1つ息をする。
部屋の隅には、外された呼吸器と機械音響く心電図。
スキャンダルが報じられた新聞は昨日のゴミに出した。
弟は今日も図書館に出向いているし、
回診はすでに終了している。
そこに聞こえた一台の車の音。
こんな田舎に車が通ることは滅多に無くて、
郵便は自転車のカラカラ回る車輪の音と、チリリンというベルの音。
荷運びは馬の蹄の音と、ゴトゴトと響く重厚な物音。
だから、その車の音は、
現れるだろうその人を予感させた。
「大佐・・・・・」
彼がもう【大佐】なんて地位にいない事は分かっているけれど、
どうしても彼を呼ぼうとすればその地位を口にしてしまう。
もっとも自分が彼を親しみ呼んでいた名だからだろうか。
【准将】である彼は、自分とは違う人を一番にしていたと思うからだろうか。
この何日間にたくさんの事がありすぎて、
パニックになるし、それを上手く消化するなんて出来なかったし、
全てを受け入れることは難しかった。
彼に自分の言葉なんて届くはずがないと思っていたし、
もちろん伝えてどうなるものでもないという諦めもあった。
事実、彼は自分とは違う女性と共に人生を歩んでいたのだから。
苦しくて、何度となく飲み込んできた言葉の数々と、
息もできない程の胸の痛みをどれくらい越えてきただろう。
自分の性を嫌というほど見せられた。
誤魔化し生きてきたこの心は、いつも叫んでいた。
貴方の幸せを願っていることに変りはないけれど。
自分の幸せをそこに重ねてもいいだろうか。
それは許されるだろうか。
過ちを犯し、繰り返し足掻いた生き方だけれど、
決して綺麗な人生を歩んできたわけではないけれど、
この先の道を貴方と歩くことを、願ってもいいのだろうか。
車のエンジンは止まり、バタンと音がしてから数十分。
もしも、自分の想像通りだとするなら、
もう少しでその扉は開かれる。
トントンと小さくノックの音を響かせて。
トントン
予想していた音にビクリと反応する。
次いで、ゴクリと喉を鳴らす。
決して言わずにいようと決めていた事を彼に。
「・・・・・・どうぞ」
緊張から布団の下にある腕をキュッと握る。
呼吸数が早くなるのを押さえるように、深く息を吸った。
キィと音を立てて、扉が開く。
「失礼するよ」
ただその一言なのに。
心が震えて仕方ない。
こんな時だ。
堪らず貴方が好きなんだと思い知らされるのは。
声だけで心が揺れてしまうなんて。
睫毛を瞬かせて瞳を開ければ、
見慣れた蒼い軍服がそこにあって。
夜闇の包み込むような瞳が甘さを含んでこちらを見つめる。
自分に思いを告げた後の彼の瞳は、
そういった色を隠そうとしない。
甘く優しくこちらを見るのだ。
「先ほど先生に会ってね・・・・経過が良いようで安心したよ」
フワリと笑って、
まるでそれが当然の所作であるようにして、彼はベッド脇の椅子に腰を下ろす。
いつもは高く響いていたブーツの靴音は、心臓の音にかき消されてしまったのか、
聞こえてこなかった。
彼はこうして病室に訪れては、
何も話さない自分に一言二言ぽつりぽつりと話す。
そして、時間が過ぎれば帰っていく。
そして、今日も同じように、彼は口を開こうとしていた。
黙ったままのこちらを相手に、
司令部内で何かあったとか、復旧活動のその後であるとか。
庭の花の咲き具合や、今日の空の様子。
他愛のない話を織り交ぜて、ゆっくりと話す。
その声を遮るように、いつもは目を合わさない彼の瞳を、
今日は振り返ることで合わせる。
丁度椅子に座っている彼と、自分の目線はとても近い。
『与えられる事ばかりを望んでいたの。
自分から得ようとしていなかったのに。』
ローラさんの言葉は、確かに自分にも当てはまっていた。
愚かな自分。
痛むだけの自分。
どうせ自分なんてという思い。
けれど、気付いて欲しいなんて。
なんて我がままだったろう。
変化を望むのはこちらも同じ事。
聞いて欲しい事があるんだ。
一歩進むために。
「あのっさ・・・・聞いて欲しい事があるんだ」
声が乾いた喉から掠れるようにして小さく響く。
甘いばかりの告白のような声にはならない。
けれど、告げたいと思う。
受け入れら無かったらという怖さもある。
自分は壊れてしまうかも知れないという不安定さも。
けれど、動かなければ何も始まらない。
動きは彼に伝えるという、まずはそこから。
いつもは何も話さないこちらの声に、
ロイは少しだけ反応して、首を上げ、こちらの瞳を真っ直ぐに見た。
小さく首を動かしただけで、促すような言葉は何一つなかったけれど、
視線に促されるようにして、言葉を紡ぐ。
女だと告げた。
自分が何を偽っていたのかを。
そして、大佐が告げた結婚の話を、
自分がどう受け止めていたのかを話した。
つまりは、自分が相手をどう思っていたかということで。
ドクリドクリと煩いほどに心臓は動くし、
赤くなりたくなんて無いのに、顔は火を吹くように熱い。
きっと熟れた林檎のような顔をしているのだと、どこか頭の別の方で思う。
はぁはぁと息は上がるし、布団の下の腕は握りながら震えた。
自分の心だというのに、
正確に伝えたいと思えば思うほど、
どうして言葉というのはこんなにも足らないのだろう。
「ずっと好きだった」なんて。
そんな言葉で自分の今までの思いが表現できるだろうか。
「愛している」なんて。
そんな言葉でこの胸中に渦巻く感情が表現できるだろうか。
考えるだけで胸の奥がぎゅうぎゅうと手で搾られるような。
吸い込む息が酸素よりもずっと重く感じられるような。
何かが膨らんでは揺れ動き、時にはスゥと萎んでしまうような。
そんな感情を、どう伝えればいいだろう。
彼の瞳の前で、語る自分の言葉は、まったく言葉にはなっていなかっただろう。
単語が結ばれただけの意味を持つには程遠いモノたち。
それでも必死に。
上手く動かない口を叱咤しながら、
話し続けた。
そして、彼がいつも過ごしていた病室での時間など、
遠に過ぎてしまって居ることに気付いたのは、
思いの丈をぶつけるようにして、はぁはぁと息をした時だった。
ずっと声を挟む事無く、彼はずっとこちらを見続けてくれた。
非難の声も、嘆きも、何一つ挟む事無く。
こちらの話をただ聞き続けてくれた。
自分が何を話していたのか、
どこまで話したのか、
本当にそれが全てであったのか。
まるで夢の中にでもいるように、ぼんやりとしか思い出せないでいる。
けれど、息だけは上がってしまって、
伝わっていなかったらどうしようと、瞳をあわせた時だった。
すっと手が伸びて、気付いた時には一面に蒼が広がっていて。
何度か瞬きをした後に、自分が抱きしめられているのだと気付いた。
「あっ」と声を出す間もなく、
彼の腕に巻き込まれ、ぎゅっと力を込めて抱かれる。
淡い香りと少しゴワリとした軍服の感触。
抱き寄せられた事に驚いたけれど、嫌悪感など少しも無い。
近づけられた耳元は、彼の胸で。
ドクドクと流れるその心音が響いてくる。
どんな慰めよりも、どんな弁解よりも、
それは、なんと雄弁な事だろう。
彼のまぎれも無い生きているという証を
この耳で聞くことができるなんて。
ここを一突きすれば、容易く奪われる生を、
自らに近づけ、その音を聞くことが出来るなんて。
それが軍人であり、頂点を目指す男であり、
何より「生」と「死」をしるこの人にとって、
どんな意味を持つというのだろう。
そして、命を冒涜し、
命を求めるために旅をし続けている自分にとっても。
「ありがとう・・・・話してくれて。」
抱き込まれた腕の中で、必死に頭を振る。
あぁもう泣きそう。
だって・・・・だって・・・・だって。
「ごめっ・・・・ずっと言えなくて・・・ごめんなさい」
霧が晴れるようにどんどんと重たかった喉に、
新しい空気が流れ込んでくるようだ。
ぽんぽんと背中を撫でるように叩かれて、
あやされる様にその身を腕に任せる。
「君が男だったらと・・・いろいろと言い訳を考えては、君から遠ざかろうとしたよ。
禁忌だ・・・君に家族を持たせてやれない・・・他にもね。
まったく馬鹿な考えしか持っていなかったと、今なら思えるけれど。
その時は、本当に必死だったんだ」
背中で動かされる手の合間合間に、
ぽつりぽつりと彼は話した。
耳元で話される低い声に、恥ずかしさで震える。
「君が女性だと・・・・本当は、少し前に分かっていたんだけれど」
「えっ?!」
彼の思わぬ声に、身体が揺れる。
腕の隙間から、ひょこりと顔を上げると、思った以上に近い位置に彼の顔があって、
とても凝視できずにまた下を向く。
「うん・・・・本当に少し前なのだけれど。
もちろん聞く以前から、君への思いは違わなかったけれど、それでも。
それでも、嬉しかったよ・・・・君を形の上にも自分のモノに出来るかも知れないと、
そう思ってしまったからね」
悪戯がばれてしまったかのような謎解きの話。
どうして彼が知っていたのか分からないけれど、
あわわわっと頭でたくさんの思考が再び縺れていくようだ。
「私は・・・・きっと君を束縛してしまうだろう。
今まで耐えられていたのが不思議な程だ。
君の家族になりたい、恋人になりたい、親であって、子でありたい。
・・・・・可笑しいだろう?君に関わる全ての関係を手に入れたいと、
そう切に願ってしまった。
もう・・・・それから逃れられない」
混乱し続ける頭の中に、
直接響くように彼の低い声が届く。
甘くて、溶け出してしまいそう。
分かったのは。
彼がこんな自分をずっと前から受け入れてくれていたのだと言うこと。
怖かったのは嘘を付いていた自分。
それで彼を欺いていた自分。
そんな自分を彼がどう思うかということ。
ねぇ。
いいの?
【俺】でなくて【私】を。
本当に?
そのまま受け入れてくれるというの?
「いい・・・の?
本当に・・・・私を選んで。
それで・・・・・・いいの?」
「私はね・・・・エドワード・エルリックがいいんだ。
もう、君以外選べないよ。
・・・・逆に、私が聞きたい。
本当に私を選んでくれるのかい?」
泡になるはずだった。
この思いに蓋をして、遠い海に沈めてしまうはずだった。
もう流れ出した涙が、
嗚咽に変って、上手く返事ができない。
でも、伝えたい。
ずっと思っていたこの気持ちを。
私だって貴方がいい。
貴方以外選べない。
抱き寄せられたその腕を、ぎゅっと握り締める。
もっと心音を聞くように、頬をその軍服の胸に押し当てる。
言葉に出しても、伝わらないかも知れない。
けれど、聞きたい言葉もきっとあるから。
「私も・・・・貴方がいい。
ずっとずっと・・・・貴方以外選ぶことができない。」