「ここは?」
カタカタと揺れているのは道が悪いからなのか、
それとも運転手の腕が悪いのか。
どうやら眠っていたらしい瞳を重たく開ければ、
薄暗い空間だということは分かった。
腰掛けているのは、安っぽく毛羽立った布が張られているイス。
何席かが列を成している中間ほどらしい。
バスの車中だ。
長くこのようなバスを利用した覚えはなく、
どうして自分がここに乗っているのかという事も理解できない。
ただ薄暗い車内には、
これまた薄暗い電灯が細く光っている。
曇った窓からは、
通り過ぎる街頭が線を繋いでいる。
自分以外にそのバスには乗客はいないようで、
どんどんと進んでいる。
降車ブザーは点滅しておらず、車内放送もないために、
どこを走っているのかすら検討がつかない。
(・・・まったくもっておかしい。)
乗った覚えなどないそのバス。
取り合えず情報を収集しよう。
クスリを嗅がされてどこかに運ばれているのだとしても、
その相手にはならないだろう、運転手ただ1人。
もちろん情報を得るために、
言葉をかけるのも彼1人だ。
コツコツと音をならし、
体が揺れるので、座席に付けられている手すりを握り、
揺れる車内を一席ずつ前にいく。
濃色の帽子を深く被り、
同色の制服を着た運転手は軽快にハンドルを切っていた。
もう少し運転技術を学べと言ってやりたかったが、
ここで機嫌を損ねるのもどうかと思い止める。
「すみません・・・このバスはどこへ向かっているのでしょうか?」
「あん?行き先も知らずに乗ってんのか??」
・・・こちらとしても奇妙な質問だと思うが仕方ない。
「はぁ。それでどこに向かっているのでしょう」
「あぁ!あんたも突然だったんだな・・・ご愁傷様なことで。
俺にも行き先ってもんはハッキリわかんねぇんだわ・・・」
「行き先が分からない?どういう事だ!!」
仮にもバスの運転手が行き先も分からず運転しているとはどういうことか。
業務怠慢ではないか。
思わず、声を荒げてしまったが、当然だと思い直す。
どこの支部だか、あとで苦情を届けねば。
「いゃあ・・・怒られても・・・・・って!!!
ロイ・マスタングか!どうしてここに!!!」
「はぁ?!」
頭をかくようにして後ろをバックミラーで確認したのだろう。
帽子で隠された顔が驚きに揺れたように映る。
「どうしても何も・・・それを聞きたいのはこちらなんだよ」
ボソリと言葉を出すが、
自分はそんなにも有名だったのだろうかと思う。
軍人ならばともかく、
滅多に乗ることの無いバスの運転手にまで顔が知られているらしい。
「おまっ・・・いや。
マスタングさん・・・あんたは思い出さなければならない」
急に余所余所しい声を出して、
さっきまでの気の抜けた声とは違うそれで、
運転手は話しかけた。
「何をだ?これに乗った時のことかね。
それとも行き先を?」
トントンと足を鳴らして、
バスを示すも、運転手は意を返さない。
そんなことよりもと言うように、
「あぁ」だの「うぅ」だのと言っている。
そして、1度ちらりとこちらを向いて、
ただゆっくりと頷き、すぐに前に向きかえった。
その行動の意味は分からなかったが、
運転手はゆっくりと深く被っていた帽子を直し、
はぁとため息を吐いた。
「行き先なんて、思い出そうとしたって無駄だ。
行き先をあんたは知らない。
・・・これに乗った奴は誰もそれを知らないんだから。
そんな事よりも・・・。
帰る場所を思い出せ。」
「帰る場所?」
「あぁ、あんたには帰る場所があるだろう?
しっかりと思い出すんだ。だったら帰り道はきっと分かる」
「バスに乗っているのにかね」
「あぁ、そうだ。
このバスは止まっちゃくれねぇ。
自分で思い出さないと・・・な・・・」
わだかまりは消えないままに、
その運転手の声がなぜか信じられるものだと判断できた。
自分の第六感は信じるものだ。
そう決めて生きてきた。
運転席とは違う列の一番前に座り、
腕を組んで頭を落ち着かせる。
(どこに行くかではなく、どこに帰るか?
私に、帰る場所などあっただろうか・・・)
ゆっくりと、ゆっくりと意識を下降させていく。
ガタガタという車内の音も、
揺れる振動もなにも感じないように。
『・・ロ・イ・・・・』
(こえ?・・・だれの?)
『・・・ふっぇ・・・っ』
(泣いているのか?・・・なぜ?)
ドクンと心臓が跳ねる。
誰かが呼んでいる。
誰かが泣いている。
その声に答えなければ。
泣かないでと肩を抱いてやらなければ。
傍にいて・・・。
そう。
自分が守ると誓った人。
彼女を守らなければ。
あの弱い人を1人で歩かせるわけにはいかない。
ましてや、
生まれ出でた新しい命もそこにある。
帰らなければ。
ゆっくりと閉じていた瞳を開ける。
「・・・思い出したみたいだな」
「あぁ、私には帰らねばならない場所がある」
「とっとと、帰れ。
ここに来るのはもっと先だよ。バカ野郎・・・」
ぎゅっと白い手袋をした手が、
ハンドルを強く握るのが見えた。
「また・・・世話になったな」
「もう、二度と御免だがなっ!!」
「まったく・・・心臓に悪いぜ!!
って・・・心臓なんて動いてないけどな・・・」
久しぶりに見た親友の顔は、
あの頃と変らず童顔なようだ。
深く被っていた帽子を取り、
細いフレームの眼鏡を直すように手を伸ばす。
深碧の瞳には、誰も乗っていない車内がミラー越しに映った。
・・・まさか、こんな所に来るなんて思いもしなかったが、
無事に帰れたみたいだ。
「俺の頑張りを無駄にする気なのかね・・・奴は」
ほぅと安堵の息を吐く。
それと同時に、あいつはまだ危険な事に足を突っ込んでいるらしい。
世話焼きついでに、こちらでは送迎なんて役をもらっちゃいるが、
親友の送迎なんてしたくはない。
自分が気付けたから良かったものの、
あのままであったなら、親友も同じ世界の住人となっていただろう。
(シフト増やせるかな・・・閻魔さんにでも頼むのか、こういう場合は?)
あっちの世界だけでなく、
こちらに来てまでよくもまぁ、振り回してくれるものだ。
懐かしくはあったけれど。
酷く懐かしくはあったけれど。
・・・少しだけ、
本当に少しだけ、羨ましくもあったけれど。
思い出して泣く、家族を見るのはもう十分。
ましてや、おまえと並んで見る気なんてさらさらない。
さぁ、帰れ。
子どもは可愛くてしかたないぞ。
おまえは、帰れ。
まだ・・・早すぎる。