気付かなくて良かった思い

気付かなくてはならなかった思い

 

 

聞かなくていい話

聞かなくてはならない話

 

 

 

どちらも同じだけこの世にあって、

それは必要な人に必要なだけ訪れる。

 

 

どう受け取るかはその人しだい。

まったくもって手助けなど出来ない。

 

 

何がどう転んで、どこでどうなるかなど、

所詮、一日のサイクルを繰り返す人になど分かりはしない。

 

 

 

 

考えるのは自分。

求めるのも自分。

いつだって答えは自分しだい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ 刺さった棘を針で抜き取る ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハボックは病室の閉ざされたドアの前で、

あぁとヒヨコのような金色の頭を掻き毟った。

咥えた煙草はすでに短くなっていたが、

ここは病院で吸い直す訳にもいかない。

奥歯でガシガシと噛み付ける。

 

 

 

そうか。

あの人は奥さんに手を出していなかったのか。

まさかあの女にだらしなくて、女好きな男が?!と思うのと同時に、

妙に納得してしまう自分がいたりする。

 

 

 

結婚したばかりの上司は上手く仮面を貼り付けていたから。

 

 

新聞報道にラジオのニュース。

幸せいっぱいな話題を提供しながらも、

どこか空虚なオーラを持っていた。

それが、結婚した男のオーラなのだと言われてしまえば、

結婚などしたことの無い自分が何か意を唱える事など叶わない。

 

 

 

生まれたという上司の息子は、

茶けた髪にブルーの瞳をしていた。

 

 

「これがあんたの息子ですか?」と言いたい言葉を無理やりに飲み込んだ。

きっと見た人誰もがそんな事を思ったに違いない。

だからどれだけたくさんのインタビュー記事に答えても、

決して子どもの写真を載せたりはしなかった。

 

テロに警戒してとか、子どもを危険から守るためなんて、

大義名分は沢山あったけれど。

 

 

確かに婦人に似ていない事はなかった。

けれど、准将の子どもだと言われて頷く人は少なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何を百面相しているんだ、お前は」

 

「あっ・・・・もういいんですか?」

 

 

再び開いたドアの先には見慣れた上司の姿。

入る際に乱れていた髪は整えられ、妙にスッキリとして見える。

・・・・憑き物が落ちたような顔ってこんな様子を言うのだろうか。

 

 

「聞いていたな・・・・馬鹿者めが」

 

「あぁっと・・・すみません。聞こえたんっス」

 

 

 

苦笑いのような曖昧な表情を浮かべ、准将にペチリと頭を叩かれた。

大して痛くないし、衝撃も少ない。

それでもこちらを叩かなければ間を持たせられなかったのだろう。

 

 

 

「離婚するんスか?」

 

「あぁ。これからが大変だが、このままよりはずっといいだろう。

 私にとっても、彼女にとっても・・・・そして、子どもにとってもな」

 

 

カツリカツリと軍のブーツを鳴らして、上司は歩く。

そして、少し行った先の待合室で簡素な椅子を引き寄せて、

その身を深く腰掛けた。

 

 

「子どもにとっても・・・スか?」

 

准将が目を細めたので不味い事を聞いたと思ったが、

言った事は取り返しが付かない。

気付かなかった振りをして、准将の声を待つ。

 

 

一呼吸だけ間を置いて、話し始める。

 

「可愛くなかった訳ではない。一度でも親という感覚を受けられた事は、私にとっても幸せだった。

 ・・・・・けれど、父として私は何もしてやれない。

 彼女が本当に愛した人と、その子どもを育てていくのが一番だろう」

 

 

「それはそうだと思いますけど・・・・」

 

「確かに彼女の父親であるあの将軍が素直に従うとは思えないが、

 そこはどうとでもしてやるさ。・・・・罪滅ぼしになどならないが、

 せめて私が出来ることなどそのくらいだろう?」

 

 

 

もうすっかり日が落ちた病室で、上司は1人そんな事をいう。

 

ここは軍の医療施設で、

位の高い者が使う専用の階であるので人の気配はここにしかない。

完全な人払い状態である。

 

下ではそれなりに忙しく人が行きかう気配があるのだが、

ここは全く無音に近いと言っていい。

 

 

 

 

簡素な椅子に腰掛けている准将は、

太ももに預けた腕をぎゅっと握ってその上に額を当てている。

 

祈りの仕草にも似たその様子。

手袋の外された准将の腕が白くなっていく。

 

 

 

「エドのところに・・・行きましょう?」

 

 

 

ここは軍の医療施設。

けれど、エドはここにはいない。

 

出血が酷く、准将の腕に居たまま意識を失ってしまい、

遠いこの場所に動かすことすら危険を伴ったのだ。

 

今の今でも手術の最中だろう。

 

村の医療施設に運ばれているのだ。

腕は優秀な救急医が付いている。

設備も手術に足るものが揃っていると聞いた。

 

 

 

それでも不安なものは不安だ。

 

准将の手袋は、エドの血でべったりと染まっていた。

 

 

 

 

「・・・・・ハボック。

 私は、もう止まらない。自分を偽ってまで手に入れる物に価値を見出せない。

 幸せを望もうと思う。それが彼に新たな禁忌を引き起こさせようと。

・・・・神であろうと、彼を傷つける者から私が守ればいい」

 

 

「・・・・・・エドワードは居なくなったりしませんって」

 

 

 

どれ程怖いかなんて、聞かなくても分かる。

だってそれは、自分も同じであるから。

 

あれほどの練成をしてみせた。

だから無事だと思ったその後すぐに。

 

 

血まみれでこちらに歩いてきて、

声を掛けるとホッとしたように微笑んで。

 

そんな、そんな顔をするなんて。

 

 

医者を連れ、担架を運んでくれば、

准将が腕の中のエドをひたすら大声で呼んでいた。

意識が無くなって、それでも血は止まらず。

 

 

 

「怖かった・・・・彼がいなくなるという事に耐えられないと思った。

 何よりも優先して守りたいと思うのに、周りはそれを認めはしない。

 ・・・・・・・自分の地位が疎ましい。

 地位もそれに準じた妻もいなければ、先に助けられるべきは重症である鋼のだったはずだ!!」

 

 

 

軍医はまず准将夫人の安否を確認した。

それは軍人であることから、当然だったのかも知れない。

 

たとえ、横に頭から血を流す子どもが居たとしても。

彼は准将の部下であるのだから。

 

 

 

確かに人命救助の面から考えればおかしい事だ。

 

けれど、一番問題となっているのはそこではない。

 

もっと根本的なものだ。

 

ずっと単純なことだ。

 

 

 

「・・・・ってか、准将が遠回りし過ぎてたのが、一番の原因なだけでしょうが」

 

 

「ぐっ!!!」

 

 

 

そう、遠回りしていた。

それにやっと気付いたというのが、こんな緊迫した状況でだったと言うわけだ。

 

失いそうになって初めてその大切さに気付くなんて、

まるでどこかのお伽噺の世界だ。

 

泡になる前のお姫さまを逃さまいと必死な王子さま。

 

 

 

「おまえ・・・・私がこんなに落ち込んでいるというのに。

 部下だという意識は無いのかまったく・・・・」

 

 

「ことエドワードの事に関しちゃ恋敵だって事をお忘れなく」

 

 

 

どうしてこんなピエロ役を演じなくてはならないのか。

損なばっかりだ。

恋敵だという男の背中を押して、大切な人に近づけなければならないなんて。

 

 

 

・・・・・笑ってくれればいい。

 

苦痛を耐えるような、そんな顔でもなくて。

歯を食いしばる悲しみの表情でもなくて。

 

 

ただ心からの笑顔に出会いたいと思う。

その横に自分がいなくても。

 

 

 

 

「結局、准将が言っていた禁忌だ何だと言う話も乗り越えられればそれまでの事っスよ。

 泣いてる顔が見たくない・・・自分の傍で笑って欲しい。

 それだけが理由で恋人になったって、俺はいいと思います」

 

 

「・・・・・お前がもてない訳が分からなくなった」

 

 

 

失礼な男だ。

ポカンとした顔でそんな事をいう。

 

 

どうも人は自分の事を考えるのが上手くないらしい。

自分の過ちはいつも人から教えられる。

俺だって、あんたが居なかったら、あんたのような愛し方を押し付けていたかも知れない。

そんな事は分からない。

 

 

間違えに気付いたら正せばいい。

それを恐れないかどうかが問題だ。

 

遅くあっても、それを成さなければ、

自分はずっと間違えたまま。

 

 

 

「さぁ、エドワードのところに行きましょう。

 早く行って、顔をみて、無茶をするなって言ってやりましょう」

 

 

 

車を取って来ようと、後ろを向き廊下を行こうとしたら、

背中から声が掛かる。

 

 

「・・・・もう少し待て」

 

 

まだ何かこの人は悩んでいるのかと、肩をガクリと落としそうになる。

 

 

 

 

 

「私は1からやり直す。ここからが再スタートだ。

 ・・・・・殴っていいぞ、ハボック」

 

 

「はぁ?!」

 

 

とんでもない声が聞こえた気がする。

急いで振り返れば、なんだ聞こえなかったのかと言わんばかりの上司がそこにいる。

 

 

 

 

「何度も言わせるな。上官を殴れるなど、そうそう無いことだぞ。

 許可しよう。顔でも腹でも好きなところを殴りたまえ」

 

 

殴れと言われているのに、どうしてそうも高圧的なのか。

大体、「殴りたまえ」ってどうよ。

 

 

 

確かに、殴りたいと思ったことは何度もあった。

 

「いい加減に気づけよ馬鹿ヤロー!!」 バコっ とか。

 

「お前にエドは渡さないぜっ!!」 バコっ とか。

 

「変な言いがかり付けてんじゃねぇっ!!」 バコっ とか。

 

 

以下エンドレスで続ける事ができそうな程に。

 

あぁ・・・でもさっ。

こうして許可されて、上官を殴るっていうのもどうよ。

まぁ二度とないチャンスとか言われればそうだけど。

 

 

 

 

「全て帳消しにしたい訳ではない。そんなに簡単な事でもない。

 分かっている・・・・これは戒めだ。愚か過ぎた自分への・・・・殴ってくれないか?」

 

 

 

「じゃあまぁ・・・それでは・・・一発」

 

 

 

静かな病室の階。

 

響いたのは鈍い音と、簡易椅子が倒れる時に出したカチャンと高い金属音。

 

 

軍法会議にかけられる事のない上官への不敬。

 

 

殴った部下と殴られた上司はともに、ここから離れた村の診療所へ向かう。

妙にスッキリとした顔をしているのに、顔の腫れた上司を乗せて。

 

 

 

 

上司は言った。

 

エドワードが目を覚ますときに、嘘偽りのない自分でいたいと。

あんなに綺麗な生き方をしている者を見る瞳が、

虚偽で汚れているのはどうしても耐えられないと。

 

 

離れたくはない手術の待合室を離れて、

それでも軍の施設に出向いた訳が少しだけ分かる気がした。

 

 

 

 

「ここからが私の正念場だ」

 

 

 

 

 

もうすぐ車が診療所に着く。

 

ロイエド子