「さぁ昼飯にするかって・・・准将は愛妻弁当ですか」
司令部の昼食時。
手元の書類をとりあえず一区切りさせたブレダは、
ゆっくりと(重い)体重に軋むイスを後ろに押しやった。
働きの割りに給料が上昇しない軍部には、ありがたいことに食堂がある。
弁当を作ってくれる恋人も、家で作る時間も腕もない悲しい独身者は、
あたたかいおばちゃんの笑顔と共に、食堂の昼食を頂くのが慣わしである。
高給取りの代表のような上司、ロイ・マスタングは、地位准将であり、
さらには国家錬金術師。
どれだけ給料をもぎ取っているのか、聞くことすら恐ろしい。
その上・・・羨ましい事に、妻帯者でもある。
妻は、金色の髪が美しく、一回り以上も年下の幼な妻。
可愛らしい容姿から最近美しくなったともっぱら評判なエドワードである。
料理があまり得意そうではなかったが、ずっと旅をしていたこともあってか、
それなりに料理も出来たようで。
さらには、その集中力と研究者肌も幸いしたのか、今では料理上手で通っている。
ブレダは、たまに持ってきてくれる差し入れに舌鼓を打った事を思い出す。
「准将、今日は何が入ってるんですか?」
「あぁ・・・っと見るな、エディの愛が減るだろうが」
「・・・減りませんって」
「サンドイッチみたいだな。後はポテトとチキンソテー。暖かいスープもあるぞ」
バスケットの横には小さな水筒があるので、その中にスープが入っているのだろう。
ますます羨ましい。
「エドワードさんって栄養とかにも詳しそうですよね」
よいしょと書類を抱えながら、横からフュリーが会話に加わった。
フュリーもまた独身、寮住まいである。
「あぁ、いろいろ本で調べているらしいな」
妻が褒められて嬉しいのか、得意顔で応える我らが上司。
「あれっ?」
「うん?どうしたフュリー」
「いえっ・・・そのお弁当どこかで見たような」
「そんなはずはないだろう。これは妻が私に作ってくれたものだからね」
やたらと「妻」と「私」を強調して言った、上司は、
残った書類をデスクの端に押し寄せてから、
水筒に入った暖かいスープをコポコポとコップに注いだ。
あたりに野菜スープの良い香りが漂うので、
ここで愛妻弁当自慢を聞いているのも虚しいだけだと思いなおし、
早速、食堂のおばちゃんの笑顔を見に行こうと決めた。
その時、カチャリと執務室のドアが開く音がして、
交代制の昼食から帰ってきたのだろう我らが副官殿かそこにいた。
「あらっ准将・・・ここでお昼ですか?」
「ホークアイ大尉。ここで食べては何か不都合でも?」
「いえっ先ほどエドワード君が来ていましたので、いっしょにお昼を食べられるのかと」
「なにっエディが来ているのかい?!」
「中庭の方で・・・」
執務室にホークアイが入ってきてからものの30秒ほど。
言葉が言い終わる内に、上司は風のごとく部屋を後にした。
しかも、きれいにデスクの上のお弁当一式を持って出て行くあたり、
抜け目がない。愛妻とお昼を一緒に取ろうと考えての事だろう。
「・・・差し入れとかあるかな」
おばちゃんの笑顔も捨てがたいが、エドワードの弁当も捨てがたい。
しかし、消し炭覚悟で2人の間に入るのは・・・無理かも知れない。
「こっちは食べやすいようにサンドイッチにしてみたんだ。
あぁ、野菜スープは熱いから気をつけろよ・・・はい、あ〜ん」
うららかな午後の風景。
広げられたバスケットには手作りのサンドイッチをはじめとした美味そうな昼食。
手作りしたのだろう若い女性は、暖かい色のワンピースと背中に流した金髪が美しい。
中庭に広げられた敷物に座っているのは2人。
もしここが郊外の公園であるならば、この2人は恋人か新婚カップルで、
デートの合間の昼食であると誰もが判断し、暖かい視線をおくるだろう。
まぁ、一言で言えば似合いのカップルなのだ。
男がダラダラと冷や汗をかいていなければ。
ここは郊外の公園ではなく、軍司令部の中庭。
さらに言えば、敷物に座っている2人は恋人同士でも、新婚カップルでもない。
女性が新妻である事は正しいのだが。
金髪のひよこ頭とからかわれるヘビースモーカーな彼は、
目の前の大変可愛らしい女性から「あ〜ん」なんて差し出されているチキンソテーよりも、
その背後に見える暗雲の方が遥かに気になった。
いや、気になるなんてレベルではない。
これはもう、生命の危機だろう。
「やっって・・・ちょっと!!違うんスよっ准将ぉぉ!!!」
「ふぇっ?ロイ?」
この状況にはとても、とても深い訳はあるものの、
断じて深い意味はないのだ。
その事を、やたら妻を大切にしているあの上司にどう説明すればいいのだろうかと、
ひよこ頭=ジャン・ハボック中尉は心底頭を痛めた。
「ハボック・・・いい度胸だなっ・・・燃えるか?」
(尋ねながら指を擦らんでくださいっ指を!!)
謹んでお断りしますと、もはや土下座の勢いであるが、
どういうわけか、この状況をまったく理解していない上司の妻は、
目の前でこうのたまった。
「邪魔すんなよロイっ!ハボック大尉に食べさせてあげなきゃいけないんだからっ!
はい。あ〜ん」
「・・・・・・・・・・」
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」
その日。ジャン・ハボック中尉は、自慢(?)のひよこ頭をチリチリされる被害を被った。
「だから、オレのせいなんだから、ハボック中尉の面倒をみなきゃいけないだろ?」
「なんでエディがそんな事をしなければならないのだっ!!」
どうにか髪だけで被害が収まったハボックは、
それでも「目の前に焔が見える」とか言いながら、執務室の隅で震えていた。
その執務室の中央付近においてあるソファーには、
問題の夫婦が、各々のズレた主張を繰り広げていた。
「ハボック中尉がヤケドしちゃったのは、オレのせいなんだよっ」
「だからっ!それが何故エディのせいなんだね」
「家のコンロを直してもらった時の傷なんだって」
「家の・・・コンロ?」
エドワード・マスタング(旧姓、エルリック)の話はこうだ。
昨日、前々から調子の悪かったコンロがとうとう壊れてしまった。
修理を錬金術で行おうと考えたのだが、久しぶりに電気街にも行って見たいし、
新しい物を見てから修理するのも悪くないと考えた。
(この辺の考え方は、いち主婦というより、錬金術師の考えだろう)
そんな訳で、トコトコと散歩がてら電気街を物色して、
新しい器具などを購入して帰ろうかと思ったときに偶然、ジャン・ハボックと出会う。
(この偶然が今回の火種となるわけだが、そんな事は思いもしない)
あれこれとコンロの話などしていたら、丁度非番だった彼は、
「なら、手伝ってやるよ」と持ち前の気の良さもあってか、そのまま自宅まで着いていくことにした。
(気の良さも一歩間違うと、いろいろな災難を持ち込むらしい)
そうして、上司宅についたジャン・ハボックはコンロの設置など力仕事を引き受けた。
最後に、着火してみようという話になって、
カチリと発火のノブを回したところ・・・勢いよく焔が飛び出した。
「わぁ」と叫ぶも突然の事で、顔を庇った手をヤケドしてしまったというのだ。
「なっ?」
「だから、なにが『なっ』なのだねっ!!!」
妻としては、この説明で夫は納得してくれるだろうと考えた。
・・・実際は、もっとまずい展開になっているのだが、その事を感じとっているのは、
妻、エドワード以外の者たちだろう。
「ハボック・・・きさま何処へ行く」
そろりと震えていた執務室の隅から、忍び足で出て行こうとしていたハボックに、
これでもかという程の冷たい上司の声が響く。
「えっと・・・あのぉ」
ダラダラと冷や汗が止まらない。
目の前には先ほどの焔ではなく、絶対零度の凍った山でもあるようだ。
「ほぉ、弁解を聞こうではないか。言いたい事があるならば許可するが」
「・・・コンロって危険ですよね」
「あぁ、そうだな」
「非番の日に、手伝えることがあれば、手伝おうかなぁぐらい考えますよね・・・」
「成る程、いい心がけだ」
ふむ。とロイ・マスタングは、自分の腕を顎の下に置き、
物思いに耽るポーズを取る。
「えっと・・・准将・・・」
「つまりは、こういう事だな。
お前は、非番の日を見計らって、上司である夫がいない間に家に上がりこんだと」
「やっと・・・それは・・・」
「あぁ、そうだな・・・・コンロは危険だ。それを手伝うのもいい」
うっわぁ・・・すんごい笑顔だよこの人。
執務室にいる誰もが(妻エドワードを除く)この上司が決してハボックを許していない事を知る。
「しかし、コンロは・・・火力が弱いだろう?
ふむ。ヤケドか・・・どれほど酷いのかは知らんが・・・
そうか。食事をするのも大変な程か・・・休暇は必要かねハボック」
「イイエ、メッソウモゴザイマセン」
「あぁ、ホークアイ大尉。どこだったか、雪山での遭難援助隊の要請があったな」
「はい。・・・北部第三小隊ですが」
(あっひでぇ・・・大尉がハボックを見放した)
ブレダはこっそりと十字架を切った。
フュリーについては、恐怖で最早思考は停止していた。
「うむ。では、ヤケドの治療も兼ねて、雪山に行ってはどうかね・・・ハボック」
ゴウゴウと背後に黒い雲が見える。
(あぁ、雪山行かなくても、ブリザードが吹いてるんですけど・・・)
「ツツシンデ、オウケイタシマス」
唖然と事の成り行きを見ていた、新妻に、
くるりと向きを変えて、今まで部下に見せていた笑顔とは逆の笑顔で、
「という訳だよ、エディ。ハボックの介助は今日限りで中止だ」
「あぁ・・・」
有無を言わせない夫の提案(半ば強制)に、頷くしかない妻は、
肩を落としながらその部屋を去っていくジャン・ハボックの背中を見守るのが精一杯であった。