さよなら

 

バイバイ

 

 

 

 

 

 

 

    また   今度

 

 

 

 

 

 

「・・・・ぐぅげぇ・・っ吐きそう」

 

 

 

 

陸に打ち上げられた鯨とかシャチとか、も少し可愛くイルカとかはこんな気分なのかと流しっぱなしの水道の水を見つめながらそう思う。

 

清潔なピンクのタイル張りの床にマットが敷かれたトイレに膝をついて、流れていく水をぼんやりと見る。

 

 

まさか自分に子どもが宿るとかそんな事は心配しないでいい状態であるならば、

こうも気にしはしなかったのだけれど、一応はそんな関係を持ったことのある男性もいたりする。

 

 

「・・・って気持ち悪い・・・・・」

 

 

 

 

 

今朝起きてすぐに籠盛りのフルーツを食べようと手を伸ばした。

いつもならばこんな室内サービスのある宿になんて泊まらないのだけれど、

長旅で疲れきっていたし、お風呂に入ってさっぱりして、さらにはフカフカのベッドで寝たかった。

 

贅沢には慣れていないものだから、とても躊躇していたのだけれど、

どういうわけかカンの働く弟はあっさりと「いい宿に泊まろうよ」と言ってのけた。

 

 

そうしてゆっくりと眠ったはずの朝。

 

 

まさかこんな形で最低な朝になるなんて思ってもみなかった。

 

 

籠の中のフルーツはどれもキレイなものばかりで、田舎で叩き売りされるような傷なんて1つもなかった。

荒く編まれた籠の中の中央にあったグレープフルーツを何の気なしに手にとって、

きっと爽やかな香りがするだろうそれに鼻を近づけて、いっぱいに空気を吸い込んだ。

 

そこまでは良かった。

 

ベッドメイキングは完璧(少なくとも自分が使う前は)で煙草の匂いなんてどこにも残っていない室内に、

キレイな壁紙と壁にかけてある飾り時計に季節の草花。

額に入れられている絵画はどこかで見たことのあるような、きっと有名なもの。

国家錬金術師なんて大層な肩書きがなければ、とても田舎のまだ子どもだと言われる年齢である自分が

泊まれる事などないであろうそんな一室で。

起きたてのぼやけた頭をスッキリさせようなんてグレープフルーツを手にして香りを堪能する。

 

あぁなんて優雅なひと時。

 

 

問題はその香りを嗅いだ途端に込み上げてきた言いようのない吐き気。

 

 

 

グラグラと頭が動くような気さえして、込み上げるモノに対処するために急いでトイレに駆け込んだ。

室内に負けず劣らず清潔で管理の行き届いたトイレであることに感謝して、体を投げ出して座り込む。

 

 

 

流れていく自分の胃液。

 

 

 

思い当たるのは?

 

 

 

 

 

 

はっまさか!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしようどうしようどうしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だって産めやしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だって、まだここに止まるわけにはいかない。

足を止めるわけにも、あの鎧の弟を見捨てるようなことをするわけにもいかない。

 

 

 

 

今、自分のこの体に新たな命が宿っているとして、そうしてどうすることができるというのだろう。

あの優しい弟は、「僕の事はもういい」と言いはしないだろうか。

 

 

 

 

いや、「ふざけるな」と怒鳴るだろうか。

 

 

 

 

 

弟しか見ていないと、俺にはお前だけだと言わんばかりの面を見せておいて、

その実、男の腕に抱かれていた姉を恨むだろうか。

 

 

 

 

 

 

その時だけはお前のこともこの機械の腕も足も、

ともすれば罪を犯したことすら忘れて、ただ体を駆け抜ける快楽と熱に全てを委ねて、

そして過ぎていく、ただ流れていく時に耐えていたのだと。

 

 

 

 

 

 

 

あの静かなだけの夜をもう耐えることは出来なかったのだとそう言えば、

お前は落胆するだろうか、それとも高らかに笑い声を上げるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

「僕はもうずっとそうだったよ」と。

 

 

 

 

 

 

まさかここに命が宿ったとして、喜ぶ者は誰もいない。

自分はどういうわけかまだ随分と子どもであるし、

自分を受け入れた大人さえも、この新たな命を受け止めるだけの余力など持ちえていない。

(前に進むのが精一杯というところだろうか)

たった一人の肉親(父親を父親だと考えてはいないので)である弟は、

冷ややかな侮蔑と諦めと確かな憎しみを持ってこの命を見るだろう。

 

 

 

 

そうして、ガラガラと音を立てて崩れるのだ。

その時に初めて、自分はあの鎧が響く高い声で自分を呪う声を聞くのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さよならバイバイまた今度。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺なんかでなくて、もっといい母親のところに生まれてきなよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キレイな音を響かせるガラガラと緩やかに回る天井の飾り。

暖かな布団と整ったベビーベッドに哺乳瓶。

しゃぼんの香りとともにお日様の匂いがする母親に抱かれて、

そうして近所の公園に散歩に連れて行ってもらったりするんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今度会ったなら。

それが例え自分の子どもとして生まれていなかったとしても、

街角でただすれ違うだけだとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうか自分を許さないで欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その紅葉のような手を挙げて、こちらをしっかりと指差して、

そうして笑いながら睨みながら言えばいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私を殺した罪びとよ。次は誰を殺すのか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロイエド子