幸せ交換

 

 

 

 

 

 

 

朝早く、上司に自宅まで呼びつけられ、

玄関の先でこんな事を言われた。

 

 

「・・・・大尉、すまないが一週間程家で仕事を行えないだろうか」

 

 

突然に、上司であるロイ・マスタング少将がそんな事を言い出した。

その声に条件反射とも言うようにして小型のハンドガン、ベレッタM92Fに手が伸びた。

「まっ待ちたまえ!!」と焦る少将の声に、自分が銃の安全装置を外していたことに気付く。

 

そういえば、こんな状態は久しぶりなように思う。

 

彼がまだ大佐と呼ばれていた頃、山のように積まれたデスク上の書類は、

今では綺麗に期日前に処理されている。

定時を過ぎても、部下すら帰る事ができなかったのが嘘のように、

時刻を時計の針が告げる時には、彼はこの執務室をすぐに後にした。

 

そうなったのは、彼が中央に配属され、

そして、彼が最愛の女性と共に家庭を作ってからだ。

(今目の前にある、家が賑やかになってからという事ができるだろう)

 

彼は仕事を溜めて帰宅時刻を遅らせることなどもう随分と無かったのだ。

それに比例して、この愛銃が彼に向けられる事も少なくなっていった。

 

 

久しくなりを潜めていた、懐かしいとも言えるこの状況。

 

 

「失礼致しました、久方ぶりの事でしたので」

「・・・とにかくしまいたまえよ」

 

そうですね。と軽く答えてから、小型の銃をしまい込む。

 

 

「先ほどの話は、どういう事なのでしょうか」

「・・・・実は妻の体調が優れなくてね」

「エドワード君がですか?」

 

 

問いかければ、少将は躊躇うように慎重に告げた。

自分の妻の体調が優れないと。

 

彼の妻と言えば、国家錬金術師であった『鋼の錬金術師エドワード・エルリック』

小柄な体型に金色の長く美しい髪、同色の蕩けそうな瞳に白い肌。

まるで男の子のようだったというのに、とても綺麗な女性と成長した妹の様な存在である。

 

彼女の体調が優れないとは自分も心配だ。

 

 

「あぁ・・・病気という訳ではないのだが・・・一週間程」

 

言い難そうな上司の声に、彼女の体調不良の原因を悟る。

女性特有とされる体調不良の要因。

月に一度、それに悩まされる女性は多い。

 

 

「そんなに酷いのですか?」

 

確かに、酷い女性は酷いと聞く。

しかし、毎月そんな事は聞いていないし、

そんな休暇を申し出られたのは、今回が初めてだ。

 

 

「少しだけ、情緒不安定ならしくてね・・・・。

 娘の事もあって、どうも・・・傍にいてあげたいと思ってね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「びぃぁぁんぁぁぁ〜〜」」

 

 

仕事前の短い朝の時間に、泣き出した娘の声が響く。

1人がわんわんと泣き出したからなのか、

声が二重に響き出すのに時間はかからなかった。

 

急いで、パリとしたシャツに袖を通し、青い軍服の上着を掴んでリビングに降りる。

娘の声はどうやらリビングから届いているようだった。

 

 

「ロジー、マリっ・・・・エディ?」

 

 

きっと、朝食の準備の途中で泣き出してしまった娘を前にして、

オロオロとあやしながら、そしてコーヒーでも淹れてくれているのかと思っていた。

妻は、2人が泣き続けているベビーベッドの前に立っていて、動かない。

 

 

どうしたのだろうとリビングのソファーに上着を投げて、

妻の後ろに立つ。

その間も娘はわんわんと泣き続けている。

 

 

「えっエディ?!!!」

 

 

金色の瞳の中から、トロトロと溢れてくるまるで蜂蜜のようなそれ。

腫れてしまっている瞼から、随分と長い間妻が泣いていたのだと知れる。

 

「どっどうしたんだい?あぁ、ロジーマリーもいい子だからねっ」

 

妻のその瞳の向かう先には、幼い娘の姿。

えぐえぐと泣き、喉を詰まらせそうな程に泣き続けている。

静かに泣き続ける妻もまた心配ではあるが、

まだ本当に小さな2人を同時に腕に引き寄せて、ポンポンと背中を叩いてあやす。

 

徐々に小さくなるその泣き声は、泣き続けた事もあって眠りを誘い出したようだ。

泣くことは思わぬ体力を消耗する行為らしく、

このまま暫くは眠ってくれる事だろう。

 

 

「・・・・・エディ?どうしたんだい?」

 

泣き止み眠ってしまった娘の横で、

ハラハラと涙を流し続けている妻を今度は抱き寄せるように胸に寄せる。

涙をキスで吸い取ってしまって、腫れた瞼をそっと撫でた。

 

 

「泣きっ・・・ふぇ」

「うん・・・ゆっくりでいいから」

 

声を出そうとして、そのまましゃくり上げてしまい、

上手く言葉を発することのできない妻。

娘にしたように、その背中をあやしながら言葉を待つ。

 

 

「泣き止んでくれなくて・・・ミルクもおむつも替えたのに・・・。

 朝早いし、ロイ・・・起きちゃうしっふぇっ・・・でっ、何していいか」

 

 

 

 

ここまで、混乱する様子はあまり覚えがない。

情緒が不安定な妻。

 

 

 

あぁ・・・・と、そうなのかも知れない。

 

 

 

グルリと思いを巡らせてみれば、ふとカレンダーが目に入る。

月に一度、彼女の体調が変る時。

 

 

それは、彼女がまだ国中を旅していた時の事で、

普段隠していた性が主張するかのように自分を誇示する。

 

自分は「女性」であると。

 

 

 

旅が終わり、彼女が「女性」であることを、

誰の目からも明らかに示す事ができるようになって。

あまり不安定にならなかったソレは、

今また彼女を大きな波で飲み込もうとしているのだろうか。

 

 

娘が生まれ、3か月。

 

そう言えば、この3か月はいつも誰かが居てくれたように思う。

それは彼女の祖母のような女性であったり、

幼馴染の女性や、彼女の弟。

きっとそんな人たちに支えられて、妻はこの期間を過ごしていたのだろう。

 

 

夫であるというのに、男である自分は、

妻のそんなささやかで重大な変化に気付かないなんて。

 

 

 

「うん、うん。エディ・・・怖かったね」

 

もう大丈夫だよとその滑らかな髪を撫でる。

子どもというものは、親の心理状態をとても敏感に感じ取るものだと言う。

娘もまた、妻の情緒不安を感じて、

こんなに泣くことなど珍しいというのに、朝から泣き出してしまったのだろう。

またそれが、妻を追い詰めてしまったようだ。

 

 

 

 

こんな状態で仕事に行くわけにもいかず、

すぐにホークアイ大尉を呼び、その事情を説明した。

幸いにして、彼女は妻を妹のように大切にしているので、

要求した一週間程の家庭での仕事について、どうにかしてくれるという。

有能な部下を持ったものだと再確認した。

 

 

「奥様が辛い時に、何も出来なくて何が夫ですか。

 しっかり助けて差し上げてください」

 

 

愛銃をちらつかせての言葉に、ドクドクと心臓は脈打ったが、

どうにか「言われなくとも」と返す事ができた自分を褒めてやりたい。

 

 

 

朝食はケータリングを頼もうかとも思ったが、

こんな時こそ、自分で作ったものを妻に食べてもらうのもいいかと思い直す。

どれほど自分が妻の朝食を嬉しく思っているか、それを詰め込み料理するのもいいではないか。

 

 

暖かい紅茶を淹れて、カリカリのベーコンを焼こう。

パンは食べやすく切って、軽くトーストする。

チキンスープの素を使って野菜を煮込もう。

娘を一緒に抱いて、庭の花を摘みに出て、一輪挿しで食卓を飾ろう。

 

 

 

さぁ甘やかしてあげよう。

たくさん愛を囁いて。

ぎゅっと抱きしめて、身体を温めよう。

 

 

 

少しだけ君が元気になったら、娘と共に笑ってくれたらいい。

 

 

ロイエド子