君を知ってから、
世界がこれほどまでに美しいと気が付いた。
その他大勢ではなくて、君1人だけ
「大佐ぁ〜軽トラック借りてきました〜」
朝からの書類の格闘に見切りをつけて、休憩でも挟もうかという時間になって、
外回りから帰ってきたハボックが執務室に入ってきた。
手の中で器用にクルクルと回しているのは車のキーであるようで、
小さなキーホルダーはどこぞのみやげ物なのだろう、互いにぶつかってはカシャリと音を立てる。
「今年の特別受付場所ってどこなんスか?
混雑する前に何人か兵をださないと大変なことになりますからね〜」
はぁまいったまいったという様子が、言葉の端々に現れている。
ここまで部下に「毎年の行事」として受け入れられていたことに驚きを覚えるほどには。
「ハボック少尉、その必要はないようです」
隣で書きあがった書類の確認をしていたホークアイは、
トントンと書類を1つにまとめると、入口付近に立ったままであったハボックに言った。
その声に、「何がっスか?」とまるで状況を判断できていないハボックが、
取りあえず車のキーをその手にキャッチして、初めて部屋をぐるりと見回していく。
「・・・・・・・今年はえらく殺風景ですね」
「あぁ、折角のトラックだが必要ない。
どうしてもというなら、三番街の菓子店の手伝いに行ってくれたまえ」
今日は2月14日。
巷はお菓子業界の戦略が行事化した「バレンタインデー」によって賑わっている。
そのお陰で、市民(女性に限り)にえらく人気のある東方司令部大佐、ロイ・マスタングのもとには、
色とりどりのラッピングされたチョコレートから高級な菓子の詰め合わせ、
花束やハンカチ、ネクタイといったものまであわせると相当な数の品が届けられる。
セキュリティーの問題からも自宅は公表されない軍高官。
もちろん届けられるのは分かりやすく「東方司令部」となるわけで。
日ごろ敷居の高い軍門の前には、「私も」「私も」とキラキラふわふわしたお姉さんが集まってくる。
群集心理とはこうしたもので、「1人でないなら大丈夫」ということなのだろうか。
やがてこの混雑に対して、「贈答品受付場所」が設置されたり、
主道路を塞いでしまわない為にもスムーズな整理が必要とされ、門番以外の人員が必要となったり。
受け付けた品を選別し、
(もっともこれに乗じて爆弾物を交えた熱烈な贈り物もあったために、この作業は慎重を要した)
菓子類は日持ちするものとしないものに分けられ、
軍内のおやつ用にされたり、食べきれないものは施設の子ども達に配られたりした。
(過激なメッセージ入りではないものを選んで施設に送ることにもう一手間必要となったが)
花束や日用品を兼ねたプレゼントの処理はロイ自身による作業となり、
それらはロイの自宅へと秘密裏に運ばれることとなった。
(翌年にはそれに気づいたお嬢様たちが運搬車の後をつけるという騒ぎが起きたので、
運搬は毎年会議によってそのルートをきちんと決めなくてはならなくなった)
そんなこんなの大騒ぎが繰り広げられていたというのに、
どうしてか今年はその必要がないのだという。
「どういう事なんスかっ!!?」
「どうもこうも、受け取る相手が決まったからね。
誰彼構わず受け取ることが出来なくなったということだ」
なんでもない様にサラリと言ってのける上司に、
ハボックは頭を抱えてその場にへたり込みそうになった。
「聞いてるのはそうではなくて、どうやってあの騒ぎを抑えたんスかっ!!」
そんな事が出来るなら、もっとはやくにそうしろと言いたい。
この騒ぎのお陰でどれだけ日常業務に支障がでていたというのか。
「簡単なことだよ。本命がいるのだと言ったまでさ」
・・・・・・簡単なことっスか?
それは簡単なことなんスか?
昨年までのあの混雑を形成していた一人一人に?
っていうか、一人一人把握してたんスかあんたは!!!
「だが、楽しみに待っている施設の子ども達には可愛そうなことをしたのでね、
今年からは私がチョコレートを送ることになったわけだが」
そんな事を言いながらも至極ご機嫌な様子の上司は、
薄く雨雲が広がり始めた窓の外を見てゆっくりと笑った。
「本命さんからもらえるからそんなに嬉しそうなんスか?」
おや?という顔をして振り返った上司に向かって、
「顔がニヤついてますよ」と返すが気分を害した様子はない。
「もらえるかどうかなど問題ではないよ。
出会えただけで満たされる相手をお前も早く見つけることだな」
チョコレートがないっていうのに、
この空気の甘さは何なんだろう・・・・胸焼けしそうっスよ。