彼女はどこかにスイッチを持っていて、

それは彼女の意思を無視しながらONOFFを繰り返す。

 

カチリカチリと切り替わるそれは、一定の周期を持っているようでも、

またそんなものなど関係ないようでもあった。

 

 

大概にしてそのスイッチは、彼女を酷く疲弊させることとなり、

そんな時は決まっていつもの毒を吐くような口調はなりを潜めた。

 

 

あぁ、今日もそうなのだろうか。

憂鬱な春の雨は生暖かく纏わり付き、

鬱そうとした重たい雲は流れる事無く頭上に留まっている。

 

本日の天気は曇りのち雨。

 

けたたましく思える標準語のニュースがそう伝えている。

雲のマークと傘のマークだけがどこか滑稽に映り、意味もなく笑ってしまった。

デフォルメしたような可愛らしいマークは、いつも彼女を苦しめる。

 

 

こんな春の雨の日。

湿度の高い部屋の中は、窓に水滴を付けながら中に彼女を抱え込む。

 

それは執務室であったり、彼女の半ば自室と成りつつあるような書庫であったり、

給湯室や休憩の為の一室であったりするのだが、

1つだけ選ぶ基準があるとするならば、そこに誰もいないことだろうか。

 

 

いつ訪れたのか知らないままに、彼女はスルリとどこかの部屋に忍び込み、

ソファーがあるような執務室ならばまだ問題は少ないのだが、

埃の堪ったどこぞの部屋であろうと、決まって隅の方に丸まるようにして体を投げ出す。

ソファーがもしあったとしても使われる頻度は、経験からして五割に満たないようではあるが。

 

 

彼女の訪れを知るすべは、彼女の弟からもたらされる一本の電話だけだった。

 

いつも後ろを歩いていない日のほうが少ないのだろう弟が、

ともに訪れることもなく、たった一本の電話で姉の来訪を告げる。

 

その声はひどく憔悴したようなものであったり、

ともすれば投げ出してしまった、あぁもうどうでもいいというような声だったり。

共通して言えるのは、いつもの鎧を通しても可愛らしいと言える様な声ではないと言うことだ。

 

 

「姉さんが司令部に行きました」と。

 

 

ただそれだけの事を伝える為に、彼は受付にまず電話をかけ、

専用コードを持たない彼は、繋げられる最も位の高いホークアイ中尉を指定する。

そうして、彼女を通じて私のところに電話は回されるのだ。

 

 

最初にその電話を受けたのは、いつの事だっただろうか。

そんな一言のために、何度もの確認作業を通して、

そうして決して暇ではない軍の内部にまで電話をつなげる。

 

怒るよりも呆れてしまったが、

それでもあの姉に対する執着を知っている者からすれば、

弟のその行動は、とても不可解であった。

 

 

その居心地の悪さが、納得という形で消化されたのは、

電話を受け取ってから1人で電話により来訪を告げられた彼女の元を訪れた時だった。

 

 

その時は、もちろん執務室ではなく、書庫でも給湯室でも、休憩室でもなく。

こちらが忘れかけていたような部屋の一室。

廃棄処分を待つ壊れた備品が並べられているそんな部屋。

 

自分がなぜその部屋に足を向けたのかも今ではもう思い出せないが、

その時はどういうわけかそのドアを開いたのだ。

 

申し訳程度にクルリと見回ったその部屋の入って右側の隅に、

見慣れた赤いコートが見えた。

 

薄暗く、湿気を多分に含んだ空気が埃と混じって酷く気持ちが悪かったが、

身動きしない赤い塊は、それ以上に背後をゾクゾクとさせた。

 

 

 

「エ・・・鋼の?」

 

 

なぜが、いつもは呼ぶ事のない彼女の名前を呼ぼうとしたが、

それでも思いとどまり彼女の銘を呼ぶ。

 

 

声が届いたからなのか、もそりと赤い塊が動き、金色の髪がゆっくりと肩から床にすべり落ちた。

動いたことで先ほど感じた奇妙な気持ち悪さは軽減し、

「生きていたのか」とよく考えれば当たり前なことを思う。

 

 

 

弟は、彼女のこんな様子を知っているのだろう。

いつもの皮肉や賢さを惜しげもなく披露するあの様子ではなく、

誰も来ないこんな一室に、体ごと投げ出して丸まっている姿。

 

 

 

これが15歳の少女の姿であるのだろうか。

 

 

明日の学校の心配をしたり、

放課後の買い物に夕方近くまで時間をかけたり、

甘いお菓子を誘惑に負けて食べてしまったり、

好きな異性に心を躍らせたり、

 

あぁそんな、そんな甘やかさなど一片も持たず、

 

冷たい埃の重なる軍の一室で身を丸めて隅にいる。

 

 

 

「鋼の・・・何をしているんだね」

 

 

堪らない。

この世界が奇麗事ばかりで出来ているなんて、そんな事は遠い昔から違うと知っていたけれど、

それでもこの小さな少女がここにこうしていることが、

堪らない。

 

 

 

「タリオの法なんだよ・・・そうなんだ、大佐」

 

 

こちらを一度も振り向かないままで、

彼女はそっと声を響かせた。

 

フワリと美しくもない灰色の雪が彼女の息で舞い上がるが、

それを嫌悪する様子も無く、その雪は再び彼女の元に降りていく。

 

 

「タリオ?・・・・同害報復の原則?」

 

「あぁ・・・だから、答えはそこにあると思うんだ」

 

 

 

いつもは睨むように意思を伝える金色の瞳が閉じられているからなのか、

彼女はとても大人しい。

 

自分に答えを示すかのようなその言葉に、

ふと以前、二ヶ月近く前に言った自分の言葉を思い出した。

 

いつものように旅に出るとこの司令部に挨拶に来た時だった。

弟は荷物運びの戦力として借り出され、執務室には自分と彼女の2人だけ。

 

 

互いに相手の想いがどこにあるのかなんて気が付いているというのに、

それでも踏み出せないような曖昧な状況で、

自分は彼女にこんな事を言ったのだ。

 

 

『まったく君は本当に連れないね』 

 

『なんであんたと茶に付き合わないといけないんだよ』

 

『それでも君は弟の為に、寝食を忘れて走り続けているじゃないか』

 

『それとあんたがどう関係してくるんだよっ!!』

 

『どうして・・・そこまで自虐的になる必要があるのかなと思ってね』

 

『っ!!!』

 

『君は若いし、恋をしたって構わない。そうだろう?

 男性とお茶をしたとして誰に責められる必要があるのかね?

 まぁ私以外とするのは許せないがね』

 

『うるさいっ!!!』

 

 

 

それが、タリオの法。

それが、同害報復の原則だと言う。

 

 

古代、ハンムラビ法典によって規定されたそれは、

受けた事と同等の報復を許している。

それが、正義だと。

 

 

「君が自虐的に生きる意味が・・・同害報復の原則とどう関係しているというのだね」

 

二ヶ月も前に戯れに告げた一言が、

こうして今の彼女を作っているとするなら、どうだろう。

 

あの弟でさえ、どうしようもないと言わば放棄したような状態の彼女は、

自分がもたらした、たった一言によって形成されている。

 

後悔なのか歓喜なのか。

 

普通の少女であって欲しいと願った少女が今、

自分の言葉に縛られてここにいる。

 

堪らないとすら思ったと言うのに。

 

 

 

「だから、俺は弟の為に自虐的になっているんじゃなくて、そうしないといけないんだ」

 

「どうして?」

 

 

「この手を見てよ・・・あぁ足でもいいけど」

 

 

再び辺りを舞う灰色に、今度は目をパシパシと動かしながら、

床になだれていた赤いコートを持ち上げる。

右手が露にされると、そこには辺りよりも鈍く光る灰色の機械。

カチャリと音を立てながら配線が緩やかにたわむ。

 

「機械鎧・・・それが?」

 

「そうこれが。これが同害報復そのものだろ?」

 

 

鈍い光りが妖しく届くその機械は、

彼女の右腕であり左足であった。

それを醜いと思えるはずもなく、胸を過ぎるのはそれの装着時の激しい痛みだとか、

天候によってジクジクと痛むのだというその不便さとか。

そうして、それを着けなければいけなかった彼女の心情が痛々しいのだけれど。

引き攣れたその傷口でさえ愛しいとさえ思う。

 

 

しかし、目の前の彼女は、

カチャリと音を立てる機械鎧を軽く持ち上げて、

苦笑すらその顔に浮かべ、床に体を横たえたままにこちらを見上げる。

 

 

「分からない?

 これはアルの腕。俺に奪われたアルの腕。

 ・・・そう、すべて奪ってしまった俺に、自由になるものなんて1つだってない。

 この足も腕も体も顔も・・・髪の一本だって・・・俺のものなんかじゃない」

 

 

「それは君の足だし、腕だし、体も顔も髪だって、すべて君じゃないか」

 

 

「目には目を歯には歯を・・・・命には命を」

 

「だから、君は弟にすべてを?」

 

「だって、すべてを奪ってしまったというのに」

 

 

あぁなんて馬鹿で弱くて・・・・そうして愛しいのだろう。

なんて。

 

「では、君はアルフォンス君の心を否定するのかい?

 今の彼は人としての心がないとでも?」

 

 

「なっ!!違う!!アルは人間だ!」

 

 

この部屋に来て、初めて彼女の瞳に意思が宿ったと思う。

そうだ。

 

 

「だろう?なら、なぜ君が心を差し出す必要があるんだね」

 

「・・・・それは」

 

「君は恋をしてもいいんだ。だってアルフォンス君は心を無くしてなんていない。

 なら、君はそれを奪っていない。差し出す必要なんてないだろう?」

 

 

 

 

 

 

彼女にはスイッチがある。

時折自分の意思に反してそのスイッチはONOFFを繰り返す。

 

そうして酷く彼女を疲弊させる。

 

 

 

弟は決まって司令部に電話で報告を入れる。

「姉さんが司令部に行きました」と。

 

 

そのたった一言を受けて、自分は司令部の中を歩き、

ゆっくりと扉を開き、赤いコートを探すのだ。

 

 

今日咲いた花の色が、母親の好きな色だった時や、

市で手を引かれた親子とすれ違った時。

僅かなきっかけで弟とケンカした時や、たまらなく幸せだと感じてしまった時。

 

 

彼女の日常に溢れているそれらの他愛ないことと、

彼女の持つスイッチが重なった時に。

 

 

床の上に体を投げ出した彼女の元に向かう。

 

 

そうして、自分は彼女の話を聞く。

 

真綿でゆっくりと包み、

君はまだ歩いて行けるよと、そっと直接的ではない言葉で知らせる。

 

心ではもう止まってしまってもいいのではないかと、

少なからず思ってしまうのだけれど。

 

 

 

 

 

 

罪に怯える夜が明けないなら、君の下に明かりを届けるよ。

 

ロイエド子

スイッチ