「おっ動いた」
撫でるその手は白くすべらか。
まるでどんな重い物も、汚れた物も触ったことの無いような美しさで。
そう、例えば。
生まれたての小鳥のフワフワした白い羽だとか、
初めて降った新雪の白さだとか、
それでいて夏の早朝の清らかさのような白さ。
けれど、僕は知っている。
その腕で欲して来たものがどれほどの痛みを与えていたか。
決して、綺麗な物ばかりを掴んできたわけじゃない。
その腕は血に汚れていたし、
鈍い光を放っていたこともある。
掴みかけたと思った矢先にスルリと腕から零れていった物もたくさんあった。
そして、何より僕を繋ぎ止めてくれた腕だ。
代わりに何を要求されるか分かっていなかったその状態で、
それでも掴んでくれたのだ。
その手が優しく見えるのは、
何よりも強い決意の象徴だからなのかも知れない。
久しぶりに会った姉は、
膨らみかけたお腹を優しく撫でていた。
僕の体と姉さんの手足を取り戻した後に、
姉さんはお嫁さんになった。
少し・・・いやかなり、寂しくはあったけれど、
幸せになるために、そう、僕は僕の大切な人を見つけて、
姉さんは姉さんの大切な人と共に幸せになるために、
それぞれの道を歩き出した。
だから、僕は1人でリゼンブールに残ることにした。
リゼンブールは昔のままで、とても暖かく優しかったし、
感じる事の出来なかった多くの物を一つ一つ確認して過ごしていった。
いつも一緒にいた姉さんが隣にいないことは何だかとても不思議で、
起きて一番初めに「おはよう」という存在が代わっていった。
姉さんが結婚してから1年ぐらいしたもう少しで冬が来るというその時に、
とても嬉しい知らせが届いた。
「・・・赤ちゃんができた」
照れ隠しからか、ボソリと言われた言葉の意味を理解する為に
少しだけ時間が必要だったけれど、それでも頬がカーっと熱くなった。
目頭も同様で、嬉しくて嬉しくてボロボロと涙が零れてしまった。
それを心配したのは横で聞いていたウインリィで、
慌てて受話器を奪って姉さんに怒鳴りつけた。
「あんた!!アルに何言ったのよ!!!」
ちがうんだよ。ウインリィ。
僕は嬉しくて、嬉しくて。
涙を拭った目で電話口を見れば、目を丸くしていたウインリィがいて、
しばらく経つと、僕と同じように泣き出した。
しゃくりあげながら、「エド」と何度も繰り返して、
聞き取り難かったけれど、「おめでとう」と続けているらしかった。
幸せであれと願った人が、
今日もどこかで笑っていられて。
それを聞くことで、とても幸せになれるなんて、
なんてすごい事なんだろう。
そして、今日は久しぶりに姉の顔を見るために中央に来ていた。
ウインリィも一緒にリゼンブールからやって来て、
ひたすらに新婚家庭をからかっていた。
それでも、照れ臭そうに笑いながら、
暖かい紅茶を淹れてくれたり、お腹を撫でるその仕草は、
とても幸せに溢れていた。
今は准将の地位にいる義兄は、
とても姉の事を大切にしてくれているらしかった。
それは、新居を見れば明らかで、
姉の背丈に合わせて作られているキッチン。
物干し台の高さ。
いつも本を読みながら寝てしまうソファーは
姉が横になるのにぴったりだ。
走って昇ってしまう階段には滑り止めのテープがしてあるし、
家具は全て角が無く、丸く加工されている。
それは、新しく生まれてくる子どものための配慮なのかも知れないが、
子どもを愛してくれているのは、
姉を愛してくれているのと同意だろう。
キッチンからは甘い香りが流れてくる。
リゼンブールのマアサおばさんから持たされた赤く熟れたリンゴを使って
ウインリィがアップルパイを作っていた。
その横では姉さんが、作り方を聞いている。
なんだかとても暖かい。
3人でお茶をするときのお菓子は、
決まってアップルパイだ。
そのレシピは姉さんの頭の中にもきっと書き込まれていて、
これからはこの家のキッチンにも甘い香りが漂うのだろう。
生まれてくる子どもの為や、
義兄の為に。
漂うのは甘い香り