「なんなのあの子」
にこやかに振舞っていた笑顔が消える。
きゃらりと可愛らしい声が棘を孕んだ。
女って。
どうしてあの子のように清らかではいられないのか。
そうして、かの人はどうしてそれを受け入れているのか。
「鋼の錬金術師ですよ。准将が後見人をされてます」
「あぁ・・・少し馴れ馴れしいのではないかしら」
まったくと呟く淑女として名の通ったその人は、
目を細めながら、口の端を歪めた。
まったくはこちらのセリフだ。
俺から見れば、あんたの方が余程馴れ馴れしい。
こんなところにまで足を伸ばして、
そうしてどこに顔を売るというのか。
あんたの顔が売れるところなんて、きっとどこぞの社交場だけだろう。
■ 多面キューブ ■
「おや?来ていたのかい?」
目前で何やら難しい話をしていた上司がこちらに振り向いた。
軽く手を挙げて挨拶をするも、
その横にいる紅いコートの子どもは女の姿にビクリと肩を揺らした。
上司は気付いていなかったけれど。
「えぇあなた。・・・・ご紹介くださるかしら」
きゃらりと声が高くなる。
おぉ怖い。
これが彼の言う、「良い妻」の顔なのだろう。
「あぁ、初めてだったね。
こちら最年少国家錬金術師のエドワード・エルリック。
鋼の錬金術師といった方が分かるかな」
「まぁ!有名な鋼の錬金術師さん?!
お会いできて嬉しいわ。
私は」
「俺っ!!!もう行くよ。
アル・・・そう!アルを待たせているから」
上司の妻が、自己紹介をしようとしたところで、
突然、紅いコートの子ども、エドワードが声を上げた。
聡い彼の事で、
こんなに無作法をするような子どもではない。
挨拶の途中で、その声を区切るなど。
上司としても意外だったのだろう、いつもはしない様なきょとんとした顔をしている。
「じゃぁ!!」
「っちょっと待ちたまえ!鋼の?!」
クルリと踵を返して、紅い絨毯を蹴り、
大きな音を響かせて開かれたドアを勢いよく飛び出していく。
金色の髪が弧を描いて、揺れるのを眺める。
あんたって本当に残酷だ。
知らないことが罪だなんて。
昔の人はよく言ったもんだ。
「おぉい・・・・風邪ひくぞ」
まだ肌寒い季節の中ごろに、
ひんやりとする武器庫の中に彼は座っていた。
部下の無礼を己の妻に詫びる上司に冷たい視線を向けたまま、
そろりとその部屋を後にした。
書庫、食堂、給湯室。
それらに彼の姿はなく。
そうして向かった武器庫。
以前、「ここって静かだなぁ」なんて感心したように呟いていたことを、
ふと思い至ってやってきた結果であった。
「ショック・・・だったか?」
「・・・・・・なんの事だよ」
低い声が響くけれど。
そんな意地っ張りな無理やりな声に怯えるほど、
俺の過ごした現場は甘いものじゃねぇんだわ。
そろそろ。
本音で語ってみませんか。
「低い声だすのってしんどいか?」
「だからっ!何の話だよっ!!!」
目が赤い。
耐えようとした涙が鼻の奥を刺激しているのだろう、
声はとても詰まったものだった。
「マスタング准将ってさぁ・・・本当に女好きか俺分かんないわ」
「はぁ?」
「だってさ・・・横にこんな可愛い女いるってのに、
なんでさっさと結婚なんて出来るんだろ」
ビクリとエドの肩が揺れる。
恐々と見上げられる顔は、とても神妙だ。
「・・うそっ・・・・少尉って女・・・・?」
「はぁぁぁ?違うよっ!」
どんな勘違いしてるんっスか。まったく。
一気に自分の中の緊張した気持ちが解けていく。
・・・・・・これでも一世一代の大博打中なんっスけど。
信じられないって顔をしているエドの肩に手を置いて、
グイと体を近づける。
白い肌に可愛らしい鼻。
長いまつ毛に小さな唇。
香りも違う、柔らかさも違う。
それは、女性特有のもの。
誤魔化そうなんて無理だったんスよ。実際。
・・・・某、どこぞの准将を除いては。
「俺が女なんじゃなくて・・・・お前がだろ?」
「っ!!!」
「・・・・辛かったよな」
小さな肩を抱きしめる。
その肩に乗っている大きな荷物が故に。
この少女が、自分の想いを告げられないでいるのだと、
そう分かった時の自分の胸の痛みといったら。
母の練成に失敗。
失った足と弟。
血の海の中で願った弟の命。
そうして腕を失い、得たのは弟の魂のみ。
まだ10と少しの子どもであるのに、
なんでもない笑いと、明日を望むワクワクした想いだけで、
ずっと暮らしていけるのだと。
そうただ漠然と思って過ごしていい、僅かな時間だろうに。
こんな風に、歯を食いしばって、
大人ばっかりの社会の中で、
「軍の狗だ」「錬金術師の恥じだ」と罵られ。
鎧の弟の前を、
血を流しながら、その血にも気付かず歩いている。
それが少女で。
それすら隠して旅をしていて。
どうして平気でいられようか。
気付いたのはごく最近。
そう。
ちょうど、上司の結婚が決まったころ。
『鋼のにも電話で報告したよ』なんてのん気に言う上司に、
あぁまた惚気でも聞かせたんだろうな、可愛そうに大将、なんて。
ぼんやりと考えていた。
でも、それからパッタリと。
エドは司令部に現れなくなった。
いつも根無し草の2人のこと。
最初はあまり気にしていなかった。
それでも、段々と不思議に思った。
届けられる郵送の報告書。
繋げられる電話は中尉止まり。
なんだろうこの違和感は。
それから考えた。
答えはすぐにでた。
あぁエドは女じゃないか。
「っ離せよっ!!!」
「痛かったよな、辛いよな。
あんな無神経な上司で・・・・すまん」
抱き寄せるようにして、エドの頭を腕の中に抱きこむ。
金色の髪は柔らかく、そして、細い。
「俺は男だっ!!!」
「こんなに柔らかいのに?」
「・・・・おっ男なんだよっ」
フルフルと首を振り、
何かから逃れるようにして声を絞り出している。
男だって思いこまなきゃ、自分が壊れてしまうほどに。
それほどに、お前はあの上司が好きなのか?
街で赤色を探すくせに。
金色の髪に振り向くくせに。
いつも気にしているくせに。
肝心なことには蓋をして。
逃げてばかりのあの男のことを。
お前はそんなに好きなのか?
お前の本当の姿さえ気付けなくて。
そうして逃げたあの男を。
「なぁ・・・俺にしないか?」
「っなっなな・・・やめろよ・・・・そんな事いうの」
「卑怯かも知れないけどさっ・・・・俺はお前のこと。
エドのこと好きだからな」
「俺は・・・・」
「男なんかじゃない。そんなに無理しなくていい」
弱ったところに付け入るなんて、卑怯だとは思うけれど。
エドの瞳に焔をつけたあの男だって、
出会いからして少々卑怯だろうと思う。
そんな「俺しかいない」的な導き方するからだ。
そのくせ、今になって逃げ出して。
「俺ってば、お買い得なわけよ。
一途に好きだし、浮気の心配なし。体丈夫で、健康そのもの。
まぁ階級は、エドより下だけど、それなりに暮らしてはいける。
どうだ?・・・・・まぁ、少々タバコ臭いのは欠点っスけど・・・・」
「俺じゃ駄目か?」
黒い瞳を、黒い髪を追いかけていてもいい。
お前が泣きそうに歪んだ顔をして、
重たい軍の扉を開いて、
そうして出て行く背中なんて、もう見たくないんだ。
俺ってば、待つのは得意なんスよ。
いや、本当に。
だから。
俺のことを選べよ。